![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/c8/011e7be4c4333e8c9feba92aa348e3df.jpg)
五月の連休を利用して、あてのない旅にでた。
とにかく四日目の宿を、富山県の氷見に取っただけで、あとは行き当たりばっ旅である。
何処へ行こう?と考える間とてなく、腕がハンドルを北へ回す。
体内に毘沙門天の棲むごとく
北目指す時
心康らぐ
父ともども富山県魚津の生まれだ。そして、二人とも肌が真っ白である。間違いなく北方系だ。
もっとも、亡き父は顔と両腕は真っ黒であった。戦時中の南洋焼けである。
それは兎も角、岐阜の街を抜け、各務ヶ原、鵜沼と一路、木曾街道へ向かう。
旅の始まりに聴く歌は、いつも決まっている。
「赤い花」 詞:水島 哲 曲:北原じゅん クラウンレコード
♪春に背いて 散る花びらを ♪♪思い出さすな 夜空の星よ
背に受けゆこう ひとり旅 深いひとみの 面影を
流れる雲の そのまた果てに 道なき道を ふみしめ今日も
何が待つのか この俺を たどる心よ 強くあれ
45年来の愛唱歌である。坂道の登り、下りを繰り返して、中津川市から、いよいよ木曾路へ。
馬籠、妻籠は当然のようにパスする。
木曾のナァ木曾の馬籠はなんじゃらホイ
現代人が
ひしめき歩く
数年前、立ち寄ってへきへきしたのだ。完璧観光地、田舎とは到底思えない人の群れ。寄るだけ無駄である。せめて宿に泊まり、早朝を歩くのならば・・・。
「寝覚めの床」の石くれの道を歩く。
木曾川の激流が削り取った大岩の間を、あくまでも蒼い流れが、滔々と行く。
浦島太郎がその後、全国を旅していて、この地の美しさに魅せられて住み着いたとか。
ある日、この大岩の上で久し振りに玉手箱を開けた処、煙りに包まれて三百歳になったそうな。
苦笑しながらも、頷いてしまう、そんな長閑さに満ちた、場所であった。
再び北上。桜花いよいよ咲き盛ってくる。塩尻まで来て、初めて迷う。右へ行けば小諸である。
若草を尻に敷いて、藤村を気取り、遊子になりきってみたい。千曲川をじっくりと観てみたい。
だが、そうなるとその後の旅程がキツイ。またにするか?
左に進路を取る。日本海に抜けるルートがふたつある。大町、白馬を通り姫川沿いに進む道。
だが、ここは半月前に立山アルペン・ルートのバスツァーで通ったばかりだ。で、松本へ向かう。
ハンドル握りながらも、短歌と俳句が次々湧いてくる。一つづつ暗記するのだが、二つ目は無理だ。
その都度停車し、携帯のメモ欄に打ち込んでゆく。
初日は俳句ばかり湧いてきたが、今日は短歌の日のようだ。
自分で選ぶ訳にはいかない。短歌が来るのか?俳句が湧いて来るのか?先様次第なのだ。
観光客でごった返す松本城を、早々に後にして、お目当ての妙高高原を目指す。 続く
心のむくまま・・導かれるようにして北へ
北へと旅が続きますね。
寝覚めの床の浦島太郎の説には 魔女も頷きました。
旅の道先案内人がよろしくて 続きも楽しみですね