来週に笛の試験があります。
古楽器科には
伴奏の先生が2人いるのですが、先生達、すさまじい疲労を見せています。。。。
一人30分の持ち時間があり、最終試験の人は1時間。
プラス室内楽もあり、ほとんどの曲を2人が通奏低音しています。
音楽院、問題多し、、、、
外人、言い訳多い。
最近、みんなのレッスンを見させてもらっていますが、
学生も、伴奏の先生も、間違うと、
必ず言い訳のような事を言っている。
面白い。。。
言い訳も自分を表現する一つの手段。
そういう教育過程を通ってきたのでしょうか。。。。
この国では言い訳はマイナスでは無いのでしょうか。
私も一つくらい言い訳フレーズを覚えようかしら。。。
伴奏の先生があ、ぼくが上手に今弾けなかった、、、ごめんごめん。
とか、途中で止めるから何かと思えば、
今までこのミの音の鳴りが悪かったんだけど
急に今ミが成るから驚いたんだよ!ほらっ★とか。
知らんし、、、、、
いちいち言わなくても良いんだけど。
外人観察する事1年間、日本はやはりルールが多いんだなあと
感じます。
ところで、なんだか少し私には妙だったのですが、
今笛の学生、私も含めて全員BACHの作品を吹きます。
私は、ガンバソナタの編曲を選びました。
他の学生もリュートやバイオリン、オルガンのソナタの編曲。
みんな相当バッハが好きのようです。
何でこんなみんなバッハを選ぶの?
って聞いたら、みんなバッハが好きだよ。普通だよ。
って言っていたが、私にとっては結構妙だ。
日本の大学時代にはほとんどバッハの曲はやりませんでした。
あまりやる意味を見出せなかったのは、
リコーダーのために書いたソナタが無いからです。
まあ、この笛学生のブームに私も便乗して
ガンバの曲を吹くことにした。
後期が始まってからすぐに、リコーダー用に編曲された楽譜を手に入れ
合わせとレッスンを受け始めたのですが、
3楽章がどうにもうまくいかない。
リコーダー用に編曲されている為に、
オブリガードチェンバロの音域が相当高く、
リコーダーの音となんだかぶつかって何か違和感を感じる。
先生や伴奏の先生も同意見で、
笛の教授が編曲した別の楽譜を手に入れた。
それは、ガンバのメロディーとチェンバロの右手をそっくりそのまま入れ替えたものでした。多分試行錯誤した結果だったのだと思います。
ほう、こういうやり方もあるのか。。。
と試すと、リコーダーとチェンバロとの音域と響き方が
こちらの方が随分うまく曲としてはまる。
ただ、メロディーの入れ替えという事に練習が進むにつれ
疑問を持ち始めました。
2つの楽器はお互い主旋律を取るので、入れ替えても別に構わないという意見もあって良いと思いますが、
私の中で何か反しているような気がして、
結局この曲自体を笛で演奏する事に疑問を持ち始め、
それなら、この曲は辞めようと思いました。
試験3週間前の出来事。
教授にOKをもらったけど、2週間前に、
絵美の曲数は足りないから、1曲増やせ、でももうレッスンする時間は無いよ、、、といわれ、
もう伴奏の先生と新しい曲を合わす時間も無いやん!!!と
結局このバッハのガンバソナタを1楽章だけ追加する事にしました。
今日の合わせで伴奏の先生に、来年この曲全部3楽章までまた取り組むの?
って聞かれましたが、多分、この曲もう吹かないだろうな。
ガンバの演奏を聞いたんだけど、この曲はとてもシリアスな部分が多く、
ガンバで演奏するとその重厚な部分は自然に現れるし、
テンポも必然的に遅くなる。
笛のような高音楽器ではガンバのような深みは出ない。
テンポも少し速くする必要がある。
低い楽器で試してみると、この曲のもつスピード感が出ず、
響きは良くなるがモコモコしてしまう。
なので、笛で演奏する必要が無いように思った。と伴奏の先生と話すと、確かにね~~★と変に意気投合したりして、、、
バッハの楽器選択の意味を感じたのでした。。。。
来週試験で一緒に演奏する2人が変な会話してるなーとか思いながら、
最終練習を終えたのでした。。。。
1楽章だけ吹くって変な感じだけど、、、、まあ、いいや。
今回の試験では自分の中で色々チャレンジする事にしました。
イタリアソナタは、今まであまりディミニューションをつけるよりも
シンプルに演奏する方向を選んでいましたが、
少し自分に無い部分をチャレンジする事にした。
それから、現代曲。
猿回しというタイトルの付いた韓国人が作った中国の曲。
韓国と中国と若干日本の精神的な要素が入り組んだ曲。
詩的部分もあり、中国独特の旋律が綺麗かと思うと、
猿の感情が見え隠れするような。
自由に飛び回ったり、
ちょっと休憩したかと思うと急に叫んだり反抗して発狂したり、
少しお茶目で、気まぐれで、
でもこの猿は少し妖艶な部分も感じられるような気がしています。。。。。
うーん。我ながら変な説明である、、、、
リコーダーは、強弱をつけることが容易ではないのですが、
この曲は、1小節の中で様々に強弱が変化したり、
グリッサンドやトリルもふんだんに使われています。
それが、感情表現の手段として使われているのですが、
事細か過ぎて、実はまだ完成していません、、、
半年間、現代曲の先生とこの曲に取り組みましたが、
ほとんどの時間を、変え指探しに費やしたように思います。
リコーダーって、大変な楽器だなーとつくづく思いました。
果たして、、、その曲、自分の思い描くものを
人に少しでも伝える事ができるのか、まだわかりませんが、
アジア人としてアジアのメロディーを吹く事が
少し誇りにおもったり、、、
喜んでこの曲を演奏できるといいなあ。
古楽器科には
伴奏の先生が2人いるのですが、先生達、すさまじい疲労を見せています。。。。
一人30分の持ち時間があり、最終試験の人は1時間。
プラス室内楽もあり、ほとんどの曲を2人が通奏低音しています。
音楽院、問題多し、、、、
外人、言い訳多い。
最近、みんなのレッスンを見させてもらっていますが、
学生も、伴奏の先生も、間違うと、
必ず言い訳のような事を言っている。
面白い。。。
言い訳も自分を表現する一つの手段。
そういう教育過程を通ってきたのでしょうか。。。。
この国では言い訳はマイナスでは無いのでしょうか。
私も一つくらい言い訳フレーズを覚えようかしら。。。
伴奏の先生があ、ぼくが上手に今弾けなかった、、、ごめんごめん。
とか、途中で止めるから何かと思えば、
今までこのミの音の鳴りが悪かったんだけど
急に今ミが成るから驚いたんだよ!ほらっ★とか。
知らんし、、、、、
いちいち言わなくても良いんだけど。
外人観察する事1年間、日本はやはりルールが多いんだなあと
感じます。
ところで、なんだか少し私には妙だったのですが、
今笛の学生、私も含めて全員BACHの作品を吹きます。
私は、ガンバソナタの編曲を選びました。
他の学生もリュートやバイオリン、オルガンのソナタの編曲。
みんな相当バッハが好きのようです。
何でこんなみんなバッハを選ぶの?
って聞いたら、みんなバッハが好きだよ。普通だよ。
って言っていたが、私にとっては結構妙だ。
日本の大学時代にはほとんどバッハの曲はやりませんでした。
あまりやる意味を見出せなかったのは、
リコーダーのために書いたソナタが無いからです。
まあ、この笛学生のブームに私も便乗して
ガンバの曲を吹くことにした。
後期が始まってからすぐに、リコーダー用に編曲された楽譜を手に入れ
合わせとレッスンを受け始めたのですが、
3楽章がどうにもうまくいかない。
リコーダー用に編曲されている為に、
オブリガードチェンバロの音域が相当高く、
リコーダーの音となんだかぶつかって何か違和感を感じる。
先生や伴奏の先生も同意見で、
笛の教授が編曲した別の楽譜を手に入れた。
それは、ガンバのメロディーとチェンバロの右手をそっくりそのまま入れ替えたものでした。多分試行錯誤した結果だったのだと思います。
ほう、こういうやり方もあるのか。。。
と試すと、リコーダーとチェンバロとの音域と響き方が
こちらの方が随分うまく曲としてはまる。
ただ、メロディーの入れ替えという事に練習が進むにつれ
疑問を持ち始めました。
2つの楽器はお互い主旋律を取るので、入れ替えても別に構わないという意見もあって良いと思いますが、
私の中で何か反しているような気がして、
結局この曲自体を笛で演奏する事に疑問を持ち始め、
それなら、この曲は辞めようと思いました。
試験3週間前の出来事。
教授にOKをもらったけど、2週間前に、
絵美の曲数は足りないから、1曲増やせ、でももうレッスンする時間は無いよ、、、といわれ、
もう伴奏の先生と新しい曲を合わす時間も無いやん!!!と
結局このバッハのガンバソナタを1楽章だけ追加する事にしました。
今日の合わせで伴奏の先生に、来年この曲全部3楽章までまた取り組むの?
って聞かれましたが、多分、この曲もう吹かないだろうな。
ガンバの演奏を聞いたんだけど、この曲はとてもシリアスな部分が多く、
ガンバで演奏するとその重厚な部分は自然に現れるし、
テンポも必然的に遅くなる。
笛のような高音楽器ではガンバのような深みは出ない。
テンポも少し速くする必要がある。
低い楽器で試してみると、この曲のもつスピード感が出ず、
響きは良くなるがモコモコしてしまう。
なので、笛で演奏する必要が無いように思った。と伴奏の先生と話すと、確かにね~~★と変に意気投合したりして、、、
バッハの楽器選択の意味を感じたのでした。。。。
来週試験で一緒に演奏する2人が変な会話してるなーとか思いながら、
最終練習を終えたのでした。。。。
1楽章だけ吹くって変な感じだけど、、、、まあ、いいや。
今回の試験では自分の中で色々チャレンジする事にしました。
イタリアソナタは、今まであまりディミニューションをつけるよりも
シンプルに演奏する方向を選んでいましたが、
少し自分に無い部分をチャレンジする事にした。
それから、現代曲。
猿回しというタイトルの付いた韓国人が作った中国の曲。
韓国と中国と若干日本の精神的な要素が入り組んだ曲。
詩的部分もあり、中国独特の旋律が綺麗かと思うと、
猿の感情が見え隠れするような。
自由に飛び回ったり、
ちょっと休憩したかと思うと急に叫んだり反抗して発狂したり、
少しお茶目で、気まぐれで、
でもこの猿は少し妖艶な部分も感じられるような気がしています。。。。。
うーん。我ながら変な説明である、、、、
リコーダーは、強弱をつけることが容易ではないのですが、
この曲は、1小節の中で様々に強弱が変化したり、
グリッサンドやトリルもふんだんに使われています。
それが、感情表現の手段として使われているのですが、
事細か過ぎて、実はまだ完成していません、、、
半年間、現代曲の先生とこの曲に取り組みましたが、
ほとんどの時間を、変え指探しに費やしたように思います。
リコーダーって、大変な楽器だなーとつくづく思いました。
果たして、、、その曲、自分の思い描くものを
人に少しでも伝える事ができるのか、まだわかりませんが、
アジア人としてアジアのメロディーを吹く事が
少し誇りにおもったり、、、
喜んでこの曲を演奏できるといいなあ。