毎日幸せに in青森

ヒトはどんなときに幸せを感じるのか?
形而上の話を形而下に

幸せの条件

2009-02-26 | 思うこと
そんなものはない。
幸せに条件など無い。

多くの人は幸せの条件を探す。
あれがあれば、これを持てば。
それを持ったらまた次の条件を探す。
こんなことが出来たら、もっといいものを持てば。
どこまで行ってもきりが無い。
さらに、さらにと次を目指す。
結局幸せは手元に残らない。
ただ不満だけが残っている。
あれが足りなかった、これができなかった。

幸せはそんなところには舞い降りてはこない。

幸せはただ主観的な気持ちのありよう。
ああ幸せだと思う人にのみ訪れる。

資本主義の洗礼を受けて物が幸せを運ぶと錯覚している世の中。
幸せを運ぶのはお金だと信じている人々。
この世界では当たり前の常識のように語られている大きな誤解。
それを喜ぶのは資本を持つ者たち。
どちらも誤解しているのには変わりないのに。

目を開こう。
周りを見回してみよう。
幸せはすぐ近くにあるはず。

それは物や、見得に形づくられたのではない、生き物の基本の中にある。
生きている。
感じている。
考えている。
繋がっている。
息をしている。

つらい経験をしている人も居る。
誰ともつながれない苦しみを持っている人も居る。
死にたい人も居る。
小さな幸せを見つけることが出ない人も居る。

幸せはどこか遠くにあるのではない。
自分の心のどこかに、必ず待っている。
いつか見つけてもらう日を。







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2 コメント

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やじろじゃさま (shouske0)
2009-02-27 17:36:37
資本主義のコマーシャリズムによる影響も大ですが、人間の思考の傾向には「理由を探す」ことがあります。
何かの事象に理由を見つけると人間は安心するため、とりあえず一番簡単な理由をつけてしまう。自分以外のところから。
それを続けてしまうと今際のきわで世を呪うことになります。
最後の時間を静かに迎えるためには幸せについてもっと深く考えるしかないと感じています。
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置きどころ (やじろじゃ)
2009-02-27 10:50:09
体と心を何処に置くかで価値観が結構変わりますよね。
環境がすべてを左右するとも言いましょうか。
悲惨な状況下では些細なことでも十分な幸せが得られますし、現在の日本では物質的幸福が全てでしょうね。

そういった意味で、定期的に発生する大規模紛争と言うのは、大多数の人々のこういった価値観を、簡単にリセットしてしまう道具なんだ、と感じる部分も無い訳ではありません。特に現在の世界的な精神的、経済的閉塞感の中では尚更。

願わくば、他人との紛争で気付く前に、自己の葛藤の中で本質を見出してくれることを期待して止みません。
マンガの様に、死んでから解かりあったって何の役にも立たんよ。
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