パワースポットの条件が、歴史・水・岩・古木・宗教施設であるなら、その内4つをクリアしている場所の巌鬼山神社。
津軽三十三観音第五番札所の十腰内観音堂でもある巌鬼山神社は、明治時代の神仏分離令で現社名の神社になり、本尊の十一面観音を百沢寺(現岩木山神社)に移すも、その後取り戻しています。神仏分離令以降は全国的に神社と寺ははっきりと分けられていくにもかかわらず、青森県では元の信仰形態を保ち続ける寺社が多いのは、仏教・神道だけでなく山岳信仰やイタコ・ゴミソなどのシャーマニズムまでをも包括して祭る懐深さも関係しているのでしょうか。
現在の岩木山神社は、この巌鬼山神社が11世紀末に移った寺という記録が残っていて、中世の文化的中心地が西海岸から内陸部へと移り変わっていく歴史と連動しているとも感じられます。
境内には青森県内でも十指に入る二本の杉の巨木と、参道右手には竜神社と湧き水の池があります。
社伝には、「796年建立、807年に坂上田村麻呂が再建」となっていますが、坂上田村麻呂が青森県内まで来たという事実は歴史上無いと解釈されています。
しかし樹齢推定千年の杉の巨木は、この神社の歴史の長さをしっかりと証明しています。
津軽三十三観音マップ
津軽三十三観音第五番札所の十腰内観音堂でもある巌鬼山神社は、明治時代の神仏分離令で現社名の神社になり、本尊の十一面観音を百沢寺(現岩木山神社)に移すも、その後取り戻しています。神仏分離令以降は全国的に神社と寺ははっきりと分けられていくにもかかわらず、青森県では元の信仰形態を保ち続ける寺社が多いのは、仏教・神道だけでなく山岳信仰やイタコ・ゴミソなどのシャーマニズムまでをも包括して祭る懐深さも関係しているのでしょうか。
現在の岩木山神社は、この巌鬼山神社が11世紀末に移った寺という記録が残っていて、中世の文化的中心地が西海岸から内陸部へと移り変わっていく歴史と連動しているとも感じられます。
境内には青森県内でも十指に入る二本の杉の巨木と、参道右手には竜神社と湧き水の池があります。
社伝には、「796年建立、807年に坂上田村麻呂が再建」となっていますが、坂上田村麻呂が青森県内まで来たという事実は歴史上無いと解釈されています。
しかし樹齢推定千年の杉の巨木は、この神社の歴史の長さをしっかりと証明しています。
津軽三十三観音マップ
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