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登校拒否

2009-09-06 | 登校拒否について
二学期になってから子供の登校拒否が続いています。
わが家の子供は二人が発達障害です。
人と違う感覚の中で育つ子供にとって、学校は楽しいものではないようです。

土曜日に同じクラスの子供たちが心配して、遊びに来てくれました。
近所の空き地で遊んでいるのか、遠くに子供の声が聞こえます。

発達障害の子供は人間関係を作るのが下手なことが多く、子供同士の遊びからは離れがちです。
そして本人の苦しさも同じ所から発生します。
友達関係で受けた傷は友達に治して貰うしかありません。
楽しそうに遊ぶ声を聞きながら、親には出来ない事もあるのだと考えていました。

人を信用する、自分はこれでいいのだと納得する。
子供が日の暮れるまで遊び呆けていられた時代には、子供の世界だけで解決できる事だったのかもしれません。
ロベルト・ミヒェルスの著作の中に
「人間にとって祖国とは国家のことではなく、幼年時代のふとした折の懐かしい記憶、希望に満ちて未来を思い描いていた頃の思い出のことである」
という記述があります。
今の子供たちに夕日を眺めながら帰宅しなければと思う時間はあるのでしょうか。
時間を忘れて遊び、暗くなった空に叱る親を思う時間はあるのでしょうか。

子供同士の遊びには、人生で大切なことがたくさん詰まっていると思うのです。







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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはまろさま (shouske0)
2009-09-08 13:26:15
子供それぞれに事情は違っても苦しい気持ちは同じで、中でも、そんな自分が許せない納得できない事が大きいのではないかと思います。
きっと自分にOKが出せた時に、苦しさも終わるのではないでしょうか。

おはまろさまにも今の自分でいいのだと思えた瞬間があったのでは ?
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Unknown (OHAMARO)
2009-09-07 22:39:54
事情は違うでしょうが
僕も登校拒否児童、生徒でした。

学校も嫌い
先生も嫌い
親も嫌い

多感な年頃だったと思います…
やっぱり救ってくれたのは
友達だったと思います。
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やじろじゃさま (shouske0)
2009-09-07 17:04:37
何故、と言われても子供の見る世界は子供本人だけのものですし、親は推測でしか考えられません。
長い間に積み重なってきたものが溢れ出したのだと思います。

で、エライ人にはワカラナイのでは ? w



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帰る場所 (やじろじゃ)
2009-09-07 09:40:22
エライ人の言うとおりですね。子供の頃の記憶がある場所、そこが故郷。
住めば都なんて言葉もありますが、すっきり割り切れるものでもありませんし。

で、友達がいて楽しく遊べる環境なのに、何故拒否?
勉強嫌い?先生嫌い??
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