大きなニュースが立て続けに起こっている中で、気になったのがこちらのニュース。
隠れかっぱの湯 解体撤去工事を開始(2011/02/20)
明治時代に海外からの視線を浴びるようになった日本は、土俗的とも評される日本の習慣を恥と思い、法律を作ってでも何とか変えていこうとしていました。
人の習慣は急に変わりませんが、長い時間と世代交代で庶民生活の近代化は達成されたものの、「自分たちはまだまだだ」という感覚だけはしっかりと刷り込まれてしまったのかも知れません。
その後、日本の混浴を「淫蕩」とまで評した欧米では逆に自然回帰の動きからヌーディズムが現れたりと、日本とは反対に進んでいる感もあります。
ほんの10数年前まで青森には完全な混浴が数多くありました。
自分が入るかどうかは別として、寒い青森の文化を濃厚に残していた混浴の温泉は、青森ならではの素晴らしい魅力だと思います。
観光とは『そこにしかない物』を見に行く事でもあり、それがどれ程あるかというのも魅力の指標になりえるはずで、地理的な移動よりも時間的な移動(20年前にはあったなど)が出来る事こそより貴重であるとも言えます。
古いものには魅力がある、というのは時間的な移動を可能にしてくれるからで、長い時間はどれほどお金をかけても作り出せないものです。
「古い」とか「遅れている」とか、それは恥ずかしいものではなくて魅力の源泉だと思うのです。
“自虐”日本に驚く世界のエリートたち
隠れかっぱの湯 解体撤去工事を開始(2011/02/20)
明治時代に海外からの視線を浴びるようになった日本は、土俗的とも評される日本の習慣を恥と思い、法律を作ってでも何とか変えていこうとしていました。
人の習慣は急に変わりませんが、長い時間と世代交代で庶民生活の近代化は達成されたものの、「自分たちはまだまだだ」という感覚だけはしっかりと刷り込まれてしまったのかも知れません。
その後、日本の混浴を「淫蕩」とまで評した欧米では逆に自然回帰の動きからヌーディズムが現れたりと、日本とは反対に進んでいる感もあります。
ほんの10数年前まで青森には完全な混浴が数多くありました。
自分が入るかどうかは別として、寒い青森の文化を濃厚に残していた混浴の温泉は、青森ならではの素晴らしい魅力だと思います。
観光とは『そこにしかない物』を見に行く事でもあり、それがどれ程あるかというのも魅力の指標になりえるはずで、地理的な移動よりも時間的な移動(20年前にはあったなど)が出来る事こそより貴重であるとも言えます。
古いものには魅力がある、というのは時間的な移動を可能にしてくれるからで、長い時間はどれほどお金をかけても作り出せないものです。
「古い」とか「遅れている」とか、それは恥ずかしいものではなくて魅力の源泉だと思うのです。
“自虐”日本に驚く世界のエリートたち
そういう理想が第一にありますね。
その為には過去を振り返らない、過去は汚らわしい物
過去は唾棄すべきものでしかないのでしょう。
半端な田舎ほど、そういう風潮が強いですね。
都会の方が意外にも歴史や伝統を重んじている。
と言うのも、自分が辿った道を振り返りながら
これからの自分を想像、創造しているから。
自分が何をすべきか、そう考えると全く過去を
捨て去る事は出来ないし、それらがあってこそ
新しい技が見えてくる。
捨てる奴は根っこが何もない、だから風が吹く度
バタバタと倒れるんですよね。
今回、役所や経済重鎮達と一緒にミッションこなして
再びその思いを強く感じました。
八戸って、文革の中国と同じだね。
でも現状の自分が好きになることが大切なので、何かに変わった自分じゃないはずです。
現状をそのまま受け入れられないのは色々な場合に当てはまることで、意外と難しいのかもしれませんよ。