
十間道路の気多神社口を気多神社とは反対側に入った所になるが坂道を下りきると道は急に狭くなり民家の軒下を通る。
少し進むと氷見線の踏切が有る、乗用車が通るのが精一杯の幅だ。氷見線の軌道が住宅と住宅の間を通る。汽車は住宅の軒先をかすめながら通ってゆく。
また、十間道路より気多神社側に入り100メートルほど進むと越中国分寺跡、その先に進むと気多神社が鎮座する。
気多神社(以下は伏木商工業青年部会HPより)
気多神社は、伏木一宮地内にある越中国分寺跡の西方山裾に鎮座する。延長5年(927)に完成した延喜式神名帳に記載された神社は「式内社」と称され古い由緒を貴ばれているが、気多神社は越中国内の式内社34座1つにかぞえられるとともに、神名帳の異本(九条家本)においては越中国唯一の名神大社と記されている。
創建は、社伝によると天平宝字元年(757)に、越中より能登国が分立した後、越の大社と崇められていた能登・羽咋にある気多大社を国府に近い現在地に勧請したものといわれている。一説によると養老2年(718)に僧行基が開基したものともいわれている。‥‥‥続きを読む
(出典:高岡の文化財 … 高岡市教育委員会)
坂の町伏木 越中国分寺跡、気多神社、今回場所goo_Mapへ
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