加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



伏木の坂道坂を登ると門を構えた旧家が立ち並ぶ。これらの屋敷は、北前船の廻船問屋の屋敷なのでしょうか?。隣の伏木北前船資料館として一般に公開されている旧秋元家の住宅とよく似た趣きのある建物です。
門を構えた屋敷

前回の紹介ページ
 望楼のある廻船問屋
 望楼のある廻船問屋 その二
 望楼のある廻船問屋 その三

北前船に関するサイト
石川新情報書府 - 北前船~未来海道ものがたり~
http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/kitamae/index.htm


坂の町伏木 伏木北前船資料館今回場所goo_Mapへ


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S字にカーブする坂道
 十間道路の気多神社口を気多神社とは反対側に入った所になるが坂道を下りきると道は急に狭くなり民家の軒下を通る。
生活道路を横切る氷見線、踏切 少し進むと氷見線の踏切が有る、乗用車が通るのが精一杯の幅だ。氷見線の軌道が住宅と住宅の間を通る。汽車は住宅の軒先をかすめながら通ってゆく。
 また、十間道路より気多神社側に入り100メートルほど進むと越中国分寺跡、その先に進むと気多神社が鎮座する。

気多神社(以下は伏木商工業青年部会HPより)

気多神社は、伏木一宮地内にある越中国分寺跡の西方山裾に鎮座する。延長5年(927)に完成した延喜式神名帳に記載された神社は「式内社」と称され古い由緒を貴ばれているが、気多神社は越中国内の式内社34座1つにかぞえられるとともに、神名帳の異本(九条家本)においては越中国唯一の名神大社と記されている。

創建は、社伝によると天平宝字元年(757)に、越中より能登国が分立した後、越の大社と崇められていた能登・羽咋にある気多大社を国府に近い現在地に勧請したものといわれている。一説によると養老2年(718)に僧行基が開基したものともいわれている。‥‥‥続きを読む
(出典:高岡の文化財 … 高岡市教育委員会)


坂の町伏木 越中国分寺跡、気多神社、今回場所goo_Mapへ



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坂の町伏木 勝興寺参道 坂の町と言っているのは私個人で、市町村が観光用につけた訳でもありません、ただ、伏木を訪ねるたびに感じ、坂の町と書きました。
 どの場所も、景観を意識した創り、意匠にはなっておりません。ここに住む人の生活の場所なので、あえて白黒にしました。
 右の写真は、JR氷見線伏木駅からまっすぐ進むとある勝興寺に登る参道です。坂の途中には、気象資料館があり、旧伏木測候所で用いられた気象観測機器などの展示紹介されています。また、大伴家持がこの地に赴任した時の生活の場所でもあったようです。資料館前には、「国守館跡」の石碑が立建てられています。
伏木の坂道 この階段もすぐ近くにある道です。同じところに二本の階段が付いていて片方は緩やかな階段です。登りきった所をまっすぐ進むと同じように勝興寺に行くことができます。
 勝興寺は伏木の駅からくらべると少し高台に在るためどの道も坂道を登ることになります。 坂の町伏木 勝興寺伏木気象資料館今回紹介した場所Goo_Mapへ


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