先日、毎日新聞の夕刊の“時の過ぎゆくままに”というコラムで、岡田満里子さんが「電網怪々」という題で、「水無月」の言葉の由来調査を例にして、ネット検索への依存の危うさについて書かれていました。
私もこのブログを書き込むに当たり、ネットで検索することが多く、その場合は一つの情報に頼るのではなく出来るだけ多くの情報に当るように努めていますが、時間の余裕がない時や、ある程度自分の考えに合致する場合などは、ついそのまま取り入れてしまう事が多く、ネット検索の危うさについて改めて認識をせねばと思っています。
所で、このブログでは先日から、“普段何気なく使っている言葉なのに語源も知らないままに使っている言葉が多い”ということで、気になった言葉の語源を考えてみることにしていますので、今回はこの「水無月」(みなづき)と神無月(かんなづき)について、もう少し掘り下げてみたいと思います。
(1)水無月
旧暦の6月(今年は新暦では7月13日~8月10日)を表す言葉で、漢字から判断すると“水の無い月”となるのですが、良く考えるとこの時期は梅雨明けの時期でこの解釈には少し違和感があります。
◆“水の月”説
・私がよく世話になっている「語源由来辞典」などでは、水無月の「無」は「の」という意味の連体助詞「な」であり、陰暦の6月は田植えに多くの水を必要とする「水の月」であるとする説が有力であるとしています。
・しかし、この説明にも何かしっくりしないものを感じます。田植えの時期はもう少し早いのではないかという感じがして、更に調べてみると、田植えの時期が昔と現在では大きく変わっていたのです。
かつて田植えは、梅雨の季節に集中的に行われており、初夏の風物詩の一つであったが、昭和二十年代以降、冷害に強い保温折衷苗代の発明や品種改良が進む中でイネの早植が可能になり、地域によっては一カ月程繰り上がるようになったということです。
・これで何となく納得。田植え時期や田植え直後の田には水を張る必要があり、水の月で「水無月」となったようですが、同じく旧暦6月は「水張月(みづはりづき)」「水月(みなづき)」とも言うようです。
◆「水の無い月」説など
WIKIPEDIAや、ニッポニカなどによると上記の「水の月」説だけでなく、言葉通り「水の無い月」説も併記されています。それらを紹介すると、
・この月は暑熱激しく、水泉が滴り尽きるので水無月という説
・田植という大仕事を仕終えた月「皆仕尽(みなしつき)」であるとする説
などですが、WIKIPEDIAではこれらの説を、俗説(語源俗解)であるとしています。
(2)神無月(かんなづき)
旧暦の10月を表す言葉で、今年は新暦では11月8日~12月6日に当ります。
◆私などは、良くマスコミで言われる“出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神がいなくなる”という説を頭から信じていましたが、どうやらこの説は俗説(語源俗解)だとする意見が強いようです。
この説の余談としては、出雲地方では10月を「神無月」ではなく「神在月(かみありづき)」と呼ぶという話があります。
◆有力な説としては上記の水無月と同じく、神無月の「無・な」が「の」にあたる連体助詞「な」で「神の月」というもので、「日本国語大辞典」や「語源由来辞典」もこの説を採っていて、“出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神がいなくなる”という説は、中世以降の後付けで、出雲大社の御師が全国に広めた語源俗解であるとしているようです。
本当に漢字からだけの勝手な思い込みは怖いですね。(まさ)
私もこのブログを書き込むに当たり、ネットで検索することが多く、その場合は一つの情報に頼るのではなく出来るだけ多くの情報に当るように努めていますが、時間の余裕がない時や、ある程度自分の考えに合致する場合などは、ついそのまま取り入れてしまう事が多く、ネット検索の危うさについて改めて認識をせねばと思っています。
所で、このブログでは先日から、“普段何気なく使っている言葉なのに語源も知らないままに使っている言葉が多い”ということで、気になった言葉の語源を考えてみることにしていますので、今回はこの「水無月」(みなづき)と神無月(かんなづき)について、もう少し掘り下げてみたいと思います。
(1)水無月
旧暦の6月(今年は新暦では7月13日~8月10日)を表す言葉で、漢字から判断すると“水の無い月”となるのですが、良く考えるとこの時期は梅雨明けの時期でこの解釈には少し違和感があります。
◆“水の月”説
・私がよく世話になっている「語源由来辞典」などでは、水無月の「無」は「の」という意味の連体助詞「な」であり、陰暦の6月は田植えに多くの水を必要とする「水の月」であるとする説が有力であるとしています。
・しかし、この説明にも何かしっくりしないものを感じます。田植えの時期はもう少し早いのではないかという感じがして、更に調べてみると、田植えの時期が昔と現在では大きく変わっていたのです。
かつて田植えは、梅雨の季節に集中的に行われており、初夏の風物詩の一つであったが、昭和二十年代以降、冷害に強い保温折衷苗代の発明や品種改良が進む中でイネの早植が可能になり、地域によっては一カ月程繰り上がるようになったということです。
・これで何となく納得。田植え時期や田植え直後の田には水を張る必要があり、水の月で「水無月」となったようですが、同じく旧暦6月は「水張月(みづはりづき)」「水月(みなづき)」とも言うようです。
◆「水の無い月」説など
WIKIPEDIAや、ニッポニカなどによると上記の「水の月」説だけでなく、言葉通り「水の無い月」説も併記されています。それらを紹介すると、
・この月は暑熱激しく、水泉が滴り尽きるので水無月という説
・田植という大仕事を仕終えた月「皆仕尽(みなしつき)」であるとする説
などですが、WIKIPEDIAではこれらの説を、俗説(語源俗解)であるとしています。
(2)神無月(かんなづき)
旧暦の10月を表す言葉で、今年は新暦では11月8日~12月6日に当ります。
◆私などは、良くマスコミで言われる“出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神がいなくなる”という説を頭から信じていましたが、どうやらこの説は俗説(語源俗解)だとする意見が強いようです。
この説の余談としては、出雲地方では10月を「神無月」ではなく「神在月(かみありづき)」と呼ぶという話があります。
◆有力な説としては上記の水無月と同じく、神無月の「無・な」が「の」にあたる連体助詞「な」で「神の月」というもので、「日本国語大辞典」や「語源由来辞典」もこの説を採っていて、“出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神がいなくなる”という説は、中世以降の後付けで、出雲大社の御師が全国に広めた語源俗解であるとしているようです。
本当に漢字からだけの勝手な思い込みは怖いですね。(まさ)