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ギンナン
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昨日は河川敷散歩の途中で見かけたというか、散歩の主目的であったかも知れないツクシを摘んできて、夕食に頂きました。
スーパーなどでも時折見かけこともありますが、やはり「自分で摘んできた季節のものを自分の手で調理して頂く」というのは最高の贅沢のように思います。
ごくありふれたツクシですが、私のモットーとしているのは、開ききった(胞子が或る程度なくなった)ものではなくて、まだ開いていないツクシを使うという事でしょう。
ツレアイがいる時は、二人で摘んできたツクシを天ぷらや卵とじにもしましたが、今回は私の一番好きな佃煮風で頂きました。
ツクシは準備するのに少し手間が掛かりますが、袴を取り除いて、水洗いしたものを、ゴマ油で炒めて、醤油と味醂で味つけするだけですが、何とも言えない苦みは私にとっては正に春の味という感じで、これがあるとウィスキーがもう一杯増えることは間違いないです。
余談ですが、先日来鼻水が続いていて、「この年になって、ついに花粉症になったか?」と心配し、掛かりつけの耳鼻科で検査をお願いしていたのですが、昨日「大丈夫! 花粉症は全く関係なし」との検査結果を聞きホッとしました。
予てから自分なりの勝手な素人判断で、“スギナは色々な漢方薬に使われているのだし、そのスギナの親ともいえる花粉がたっぷり詰まったツクシ毎年食べているのが、花粉症予防方法だ!”との持論が覆らずにホッとしました。
また、私にとって、ツクシは単なる自然食というよりも、昔の想い出と繋がる非常に大事な食べ物なのです。
以前にも書き込みましたが、私は昭和16年生まれで、3歳の時に母親の里である兵庫県の山崎町(現在は宍粟市です)の祖父母の所に一人で先に疎開し、間もなく神戸市の家も空襲で焼失し母親や家族も疎開してきて、山崎の狭い借家に住んでいました。(教師だった父親は、神戸に残り勤務先の学校の実習室で自炊していたようですが、その後生徒たちと共に疎開)
当時は、食べるものも余りなく、借りた畑で細々と野菜作りなどをしていましたが、春になると祖母に教わりながら、少しでも食べられる野草などは貴重な食材として摘んだりしていました。
そのような馴染みのあるツクシですが、宍粟の方言では「ホウシコ」と呼んでいました。アチコチにこの名前が残っているようですが、「胞子」の「子」とは言い得て妙ですね。
また、昨年も書き込みましたが、ツクシを食べるためには茎にあるハカマと呼ばれる部分を除去するという結構手間のかかる作業が要ります。祖母はこのハカマを除去する作業を「しょうやく」と呼んでいました。
どんな字を書くのか判らず、ネットで調べて見ました。<コトバンク>で下記のようなそれらしい記述を見つけました。
しょうやく:「そうよく(澡浴)」の変化した「そうやく」がさらに変化した語
洗い清め、整えること、②農作物などの手入れをすること
とありました。
恐らく祖母はこのような昔からの言葉を使っていたのでしょう。
何れにせよ、ツクシは単なる野草というよりは、私にとっては非常に大切な植物なのです。(まさ)
昨日摘んできたツクシ
「しょうやく」して、水洗
昨日の食事 湯豆腐/タイのバター焼きと野菜炒め/ツクシの佃煮風
タイのバター焼き 野菜はホウレンソウ/エリンギ/牛肉のオイスター炒め
ツクシの佃煮風 ゴマ油で炒め、醤油/味醂で味つけ。七味をかけて・・・