老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

宇治市木幡から京都市伏見へ

2024年12月30日 19時50分07秒 | 旅行/色々な風景
 12月28(土)に宇治市木幡から、京都市伏見区迄のハイキングに参加。
ハイキングとはいうものの、実態は殆ど市街地や公園などを歩くツアーです。
 
 私は鉄道オタクではないのですが、随分前にJRの大回り乗車に挑戦したことがあり、その時に「乗り鉄旅行会」という所より色々と情報を頂いた関係で、同会主催の廃線を巡るハイキングや、大回り乗車ツアーなどにまだ元気だったツレアイと共に参加させて頂きました。

 その後、ツレアイの調子が悪くなってからは参加していませんでしたが、同会よりはツアーの案内を引き続いて頂いていたので、今回久しぶりに参加となりました。

 今回のコースは宇治市にあるJR奈良線の木幡駅集合で、ここから明治から戦時中に存在していた旧陸軍宇治火薬製造所木幡分工場(本工場は少し東の黄檗駅近くにあったようです)まで繋がっていた引込線跡を歩き、その後桃山御陵/観月橋などを経て伏見の中書島迄歩くコースでした。

 この近辺はJR/近鉄/京阪などが入り乱れるように通っていて、鉄道好きな人にはたまらない地域のようですが、私は廃線跡に魅かれたのと、この地域を歩いたことがないので、運動がてらハイキングという事になりました。

 大阪からはJRで京都に出て、JR奈良線に乗り換えて木幡駅に着くと、もう全員が集合、
この年末に18名という参加者の多さに驚きましたが、どうやら私が最高齢らしいものの高齢者から小学生まで幅広い年齢層で女性も5名おられました。

 先ずは賑やかに話しながら、廃線跡に作られたという木幡緑地をスタートしましたが、以後は写真で紹介します。

 尚、大回り乗車に関心のある方は、下記を参照下さい(まさ)
大回り乗車の経路を一発検索!おすすめの乗換案内サイト&スマホアプリ | 乗りテツ旅行会


JR木幡駅 ややこしいですが、JRはコハタと呼びます。直ぐ近くにある京阪宇治線の「木幡駅」はコワタです。

木幡緑道 案内

同上 石碑

同上 廃線跡の緑道

同上 交差を避けるためか、少し高くなっています

近くにある許波多神社(コハタというフリガナがありました)

同上

緑道が終り直進できませんので一般道に降ります

廃線跡の土手に沿って進みます

廃線跡を終わり進んでいると近鉄の下の極めて低い場所を通ります 高さ僅か1.2m

同上 鉄道フアンは興味津々

同上 結構通行人が多くて、この低い所を自転車を押しながら通られています


京阪桃山南口駅近くで見かけた奇抜な建物。歯科医院らしいです


桃山御陵 案内図 元は木幡山と呼ばれていた丘陵地で、秀吉が作った桃山城の跡地の様で、直ぐ近くにある現在の桃山城は、歴史的には根拠がないようです。

御陵に上がる石段は240段ほどらしいですが、呼吸機能が衰えている私はパス


石段を登った元気な人たちとは、この乃木神社で待ち合わせ


伏見指月城の石垣遺構
豊臣秀吉はまず1592年に隠居屋敷としてこの指月の丘に屋敷を構え、翌年には城として改築拡大の方針を打ち出したとされています。淀城を破却してその天守を移築したり、聚楽第を破却して木材を指月へと運んだりと、大がかりな築城を行った記録がありますが、不運なことに指月城は築造半ば1596年の慶長の伏見地震により城郭施設の多くが倒壊してしまい、幻の城と言われていますが、その石垣が見つかったようです。
また、秀吉は地震に因る倒壊の翌日には、木幡山での伏見城築城の命を下されたそうです


観月橋 前にも少し触れたことがありますが、淀川の本流は琵琶湖に繋がる宇治川とされていますがこの観月橋から上流が宇治川、下流が淀川と呼ばれているようです。

近鉄 澱川橋梁  200m以上あるようですが、間に橋脚がありません。


伏見緑地

<途中で見かけた花たち>

今頃タカサゴユリが咲いていました

カラクサケマン

ヤブミョウガの実

早くもカラスノエンドウ






初冬の奈良へ  その② ~新薬師寺と百毫寺~

2024年12月09日 19時36分13秒 | 旅行/色々な風景
 万葉博物館を終えてからは、春日大社の二の鳥居の手間から右折し山の辺の道を歩きます。
 暫くは春日山の原始林の端っこの方の木々の合間を縫う小径ですが、先程迄の喧騒が全く嘘みたいに、人ひとりにも出会わない小道で、何だか寂しい感じです。

 暫く歩いて、人家のある所に出てホッとしましたが、「山の辺の道」とかお目当ての「新薬師寺」の表示があり、その表示に沿って歩くと新薬師寺に到着。

 この新薬師寺は、山号を日輪山という華厳宗の寺院で、天平19年(747)に、聖武天皇の病気平癒を祈って光明皇后により創建された古刹で、奈良時代には南都十大寺の1つに数えられ、平安時代以降は規模縮小したが、国宝の本堂や奈良時代の十二神将像をはじめ、多くの文化財を伝えています。
参拝者は少なくてヒッソリしていて、本堂内は写真が撮れないため詳しい写真はお届けできません。

  尚、新薬師寺に関しては、西の京にあり先般改築が済んだ有名な薬師寺だけでなく、橿原市にも本薬師寺跡というのがあり、混同する人も多いので少し整理しておきます。

 
 薬師寺は、藤原京の時代に天武天皇は皇后・鵜野讃良(うののさらら=持統天皇)の病気が治るよう願い、お寺を建てることにしました。しかし建設途中で天武天皇が亡くなってしまい、完成したのは文武天皇の代の680年です。

 しかし、その後、都は平城京に移り(710年)、これに伴い薬師寺も現在の場所(西の京)に移転しました。

 藤原京に建てられた元の薬師寺は、11世紀初頭まで本薬師寺として存続していたが、現在は本薬師寺跡として特別史跡に指定されています。

 即ち、藤原京に建てられた最初の薬師寺が本薬師寺となり、平城京に移転した薬師寺が今でも薬師寺として存続しています。

 新薬師寺は、このラインとは別のお寺です。従って新薬師寺の「新」は「ニュー」ではなく、「あらたかな」という意味だそうです


 この新薬師寺を終えて近くのレストランで昼食を摂った後に、百毫寺(びゃくごうじ)に向いましたが、途中は家並みが続くものの、何となくノンビリと落ち着いた感じの小径でした。

  百毫寺は真言律宗の寺院で、春日山の南に連なる高円山の山麓にあり、境内から奈良盆地が一望できます。
寺の草創については明確ではないですが、伝承によれば白毫寺の地には奈良時代の和銅年間(708年~715年)、志貴皇子の山荘があったとされ、白毫寺は勤操(754年~827年)が高円山麓に建立した岩淵寺の子院であったといわれています。

 境内では、この寺院の有名な五色椿にはまだ早く。萩はもう終わりかけでしたが、紅葉は見事でしたし、キチジョウソウなどを見ることが出来ました。


 百毫寺を終えて、もう少し歩くつもりでしたが、私が持っていた「山の辺の道」の案内図は古くて余り頼りにならなかったので、これ以上山の方に行くのはヤバイと思い、バス停を探して近鉄奈良駅まで戻りました。

 という事で、急に思い立った奈良歩きも目的の新薬師寺と百毫寺には行くことが出来、晩秋というか初冬の紅葉狩りが出来ました。(まさ)

<山の辺の道へ>
春日大社二の鳥居
この手前に道標と分かれ道があり右方向へ

直ぐに「下の禰宜(ねぎ)道」というのがありました。 奈良の高畑・社家町に住む春日大社の禰宜たちが利用したようです
その先に「中の禰宜(ねぎ)道」があり、ここを通ってみました
奈良の高畑・福井町に住む春日大社の禰宜たちが利用した道だそうですが、鬱蒼とした木々やアセビが多い小径でした。
大きな木の根っ子も
やっと道標に会えてヤレヤレ
このような道標があちこちに建てられています
民家の塀のツタの紅葉

<新薬師寺>

鐘楼とモミジ 萩はもう終わっていました

本堂 重文です。内部の内部の写真が撮れなかったので、有名な十二神将像は紹介出来ません

<百毫寺> 新薬師寺から15分程度で百毫寺の道標に着く
途中で見かけたカキ

道標

急な石段です
更に曲がってからも石段が続きます
途中で、センリョウ(センリョウ科)

山門到着
更に石段続く
辿り着いた境内のモミジ
紅葉に包まれた本堂
モミジの落ち葉に埋もれそうなカキドオシ(シソ科)

同上 シロバナカキドオシ
キチジョウソウ(ユリ科) こちらもモミジの落ち葉との競演です

同上

同上
同上

石仏
手前からハギ/10月サクラ/モミジ
眼下に広がる奈良盆地 正面は生駒山です



初冬の奈良へ  その① ~奈良公園と万葉植物園~ 

2024年12月08日 19時21分57秒 | 旅行/色々な風景
 もう今年の紅葉狩りは終わったと思っていたのですが、12月6日にいつもより早く目覚めると、明日から本格的な寒さになることが判り、その日は取り立てての要件もないし、急遽まだ少し暖かさが残る内に奈良界隈を歩いてみようと思い立ち、外出しました。

 ここら辺が一人住まいの自由さというか気楽さでしょうが、早々に朝食を済ませて、近鉄を利用して奈良まで出掛けました。

 目的地は、以前から一度行ってみたいと思っていた、新薬師寺と百毫寺方面。

 自宅から1時間余りで奈良駅に着きましたが、インバウンドの多さに改めてビックリ。
詳しい地図を入手したいと思っていましたが、案内所が判らずに手持ちの古い案内地図(近鉄発行の「てくてくマップ 北・山の辺の道コース①」)を頼りに歩くことにしました。

 先ずは、ある程度知っている奈良公園内を春日神社の二の鳥居を目指してのてくてく歩き。

 公園内は、日本人よりインバウンドの方が多かったですが、まだ綺麗なモミジが残る道を、久しぶりの鹿にも相手になりながらノンビリと歩き、以前に数回訪れたことがある「万葉植物園」にも寄ってみました。

 ここには万葉集に因んだ植物などが植わっているのですが、この時期ともなれば花もなく、専ら綺麗な紅葉を求めました。(まさ)

<奈良公園の様子>
インバウンドの人達と鹿
公園内の紅葉
鹿
同上

奈良国立博物館仏教美術飼料センター。 元の奈良県物産陳列所という建物で重用文化財です

<万葉植物園>
入口案内

入口付近の紅葉

同上

マンリョウ

クチナシの実

カラムシの実 大事な繊維材料だったようです

紅葉

同上
サザンカ

ユズと「丸窓」、旧春日大社高倉で重用文化財です
「丸窓」
同上

紅葉

同上

同上

同上
能舞台と紅葉



箕面の滝 後編 ~昆虫館で蝶に癒やされる~

2024年12月01日 20時37分36秒 | 旅行/色々な風景
(今日からいよいよ12月で今年も残り1ヶ月。何も急がねばならないことはないのですが、何となく気忙しいです)

 滝見学が終ったのが、まだ少し早かったので、帰路に滝道沿いにある昆虫館に立ち寄りました。
普段は散歩中に良い色々な蝶や昆虫を見かけても、私の眼とカメラ技術では動いているものを撮るのは諦めていますが、前回この昆虫館に来た時にアサギマダラを見たことを思い出しての入館でした。

 残念ながら今回はアサギマダラを見ることが出来ませんでしたが、代りにオオゴマダラリュウキュウアサギマダラを極く間近で見ることが出来ました。優雅にユックリと舞い飛ぶ姿には癒されましたし、あちこちに置かれたエサ代りの蜜液や葉っぱに止まる姿は、私のカメラ技術でも撮ることが出来、興奮しながら撮影しました。

 帰宅後写真整理をしていて気づいたのですが、何匹かのチョウの羽に数字が書いてあるのですが、どうやら孵化した日のように思えます。思っていた以上に長生きするようですね。

 見かけた蝶や他の昆虫をお知らせします(まさ)

オゴマダラ 日本のチョウとしては最大級で、南西諸島以南に自生するようです。沖縄県の県蝶らしいです。いきなり5匹も見られて興奮状態でした。

同上

同上

同上 翅に数字あり

同上

同上

同上 2匹
同上

同上 翅に数字あり

同上 3匹


リュウキュウアサギマダラ
同上

同上

同上 取り込み中の様です

同上


リュウキュウアサギマダラとオオゴマダラ

同上

同上


ツマベニチョウとクレプトランサス

同上

ツマベニチョウとオオゴマダラ

同上


ナガサキアゲハ 鉄柱に止まっていました お隣は?

シロオビアゲハ

クロアゲハ

タイワンキマダラ(?)


ミズスマシ 先日京都では上手く撮れませんでしたが今回はOKです

お馴染みのヘラクレスオオカブトムシ

ニジイロクワガタ


オオゴチョウ(マメ科)

ゴクラクチョウカ



箕面(みのお)の滝 前編

2024年11月30日 19時10分40秒 | 旅行/色々な風景
 少し前の出来事です。11月22日(金)は好天気でしたが、天気予報では明日から寒くなるという事で、まだ紅葉には早いかなあと思いながらも、色々と予定を変更して大阪の紅葉の名所である箕面(みのお)に行ってきました。

 阪急の箕面駅に着くと、想像以上に人が多く、皆同じことを考えているのかと思いましたが、よく見るとインバウンドの人たちが結構多いのです。何度も行っている箕面では、余り見かけない風景で、インバウンドの多さに改めて驚きました。

 やはり紅葉には少し早かったようですし、寒さもそれ程ではなく、上り坂では少し汗ばむような天気でしたが、清流に沿った片道3㎞程の気持ちの良いハイキングコースをユックリと楽しんできました。

 先ずは、滝道の様子をお知らせしましょう。(まさ)

滝道に沿った箕面川の柵はモミジ柄
箕面川の清流 滝に行く人が多いです

同上
瀧安寺

同上の紅葉  まだ少し早かったようです
水の流れが緩やかな所では水面の散り紅葉が綺麗です

山の紅葉はまだまだです

道のわきで目立つ紅葉

同上


スズメウリ

川沿いの傾斜地にはサザンカが多いです

ヤブミョウガ(ツユクサ科)の実

同上


滝に到着

同上

滝壺近くでは薄っすらと虹
滝近くは大賑わい


帰路は人の少ない少し厳しい道を選びました
同上 姫岩

清流
同上