老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

また暫くお休みです 

2024年09月28日 19時16分09秒 | 全般
 明日からまた2週間ほど旅行に出ます。写真整理のためにPCは持参予定ですが、ブログ書き込みは時間の余裕のある場合に限り、原則的には休む予定です。

 今回の行先は、1年程前のスペイン旅行に参加した時に同行者となった方に教えて頂いた「銀の道」です。

 銀の道は、ビスケー湾に面するスペイン北部のヒホン(Gijón)と、南部の主要都市セビージャ(Sevilla)の南にあり、地中海に面した港町カディス(Cádiz)を結ぶ道で、現在のポルトガルとの国境に沿っています。

  古代ローマ時代にスペインの北部で採掘された金銀をローマに輸送した交易路として整備されたようですが、やがて金銀の産出量が減った後は、夏草や冬草を求めて群れを追うための、牛追い道の一部として使用されていたようです。

 しかし、9世紀初めにスペイン北西部の現在のガリシア州で、キリスト12使徒の一人であるヤコブ(スペイン語でSantiago(サンチャゴ)の墓所が発見され(スペインで普及活動後、エルサレムで殉教し、弟子たちが遺骸をスペインに運んで埋葬したとの言い伝えがあったようです)、その後この地にサンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)が建立されるとともに、この地はエルサレム・ローマと並ぶキリスト教の三大聖地の一つになり、各地からの巡礼者が殺到するようになりました。

 最も有名な巡礼路はフランスからピレネー山脈を越えて西に向かう「フラン人の道」と呼ばれるルートですが、この「銀の道」も南からサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼路として活用されるようになったようです。

 セビージャから北上しアストルガで「フランス人の道」と合流して西に向かうコースや、アストルガの少し南でそのまま北西のサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう「サナブレスの道」を経由するものなど様々なルートが出来たようです。

 今回のツアーはこの現在の巡礼路のように、「銀の道」を南から北に向かい、アステルガからは「フランス人の道」を経由せずに、昔の銀の道に沿ってそのまま北上しオビエド/ヒホンに向かう800㎞を超すコースです。(勿論歩きではなく、便利なバスでの移動です)


 このように紀元前から存在している道で、紀元前より商人・鉱夫・牛追い・そして軍人・巡礼者というような色々な人たちが重宝した道路であると共に、紀元前にイベリア半島に居住したとされているタルテソス人や、カルタゴ人(フェニキア人)・ローマ人・アラビア人等がスペインを南北に移動する機軸となった縦断ルートで、歴史、芸術、自然、料理、民芸等のバリエーションに富む魅力的な道だと思うとワクワクしてきます。

 更に、歴史的建造物や考古学上重要な様々な歴史的遺産は、正に広大な野外博物館ともいえそうで、その中には歴史重要文化遺産都市や歴史・美術保存指定区域があります。

 スペイン旅行としては珍しく、マドリードもバルセロナにも寄らないコースですが、非常に楽しみです。(まさ)


 参考までに、サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの色々な巡礼路です。
左下の方、緑色のルートが「銀の道」です。アストルがからオビエド経由でヒホンに向かいます。

 今日団地で見かけたヒガンバナ科の花とヤブランです。










言葉の語源など その(128) ~「のるかそるか」~

2024年09月27日 19時25分02秒 | 面白い言葉や語源など
 少し前に、賭博・博打に由来する言葉 その①で、イチかバチかの思い切った勝負を意味する表現に、「乾坤一擲(けんこんいってき)」という熟語があり、乾坤一擲の「乾」と「坤」の字は、それぞれ天地の「天」と「地」を意味し、「一擲」は「(サイコロを)1回だけ投げる」ことを意味しますので、<天がでるか、はたまた地がでるか、意を決してサイコロを振る>といった意味合いの表現のようですと書き込みました。

 これと同じような意味の言葉に「のるかそるか(の大勝負)」という言葉もあり「のるかそるか」という意味が判らなかったので少し調べてみました。

  「のるかそるか」は、<成功するか失敗するか、成否を天に任せて、思いきってやること>を言いますがそれを漢字で書けと言われると困りますね…

 
 「のる」は「乗る」と書いてしまいがち。実は「のる」は「伸る」という漢字なのです。そして「そる」は「剃る」や「逸る」ではなく「反る」です。
つまり、「のるかそるか」は漢字で書くと「伸るか反るか」で、博打ではなく矢づくりに由来しているようです。

 矢師が矢を作るときに、竹を『のため型』といわれる竹の曲がりを真っすぐにする型に入れて竹を乾燥させます。そして取り出した竹が真っすぐに伸びていれば使えますが、曲がっていると使えないので捨ててしまいます。
矢師が「のるかそるか(真っすぐに伸びるか、曲がるか)」と言いながら型から取りだしたことから、運を天に任せることを「のるかそるか(伸るか反るか)」と言うようになったようです。

 その後、物を賭けて勝負を決めることを「賭る(のる)」という言葉を当てはめて、勝負的な意味合いが強くなったといわれています。(まさ)

※ この項は<Domani>などを参考にさせて頂きました。



ようやく秋の気配

2024年09月26日 19時02分33秒 | 自宅の様子(ベランダ/室内園芸)
昨日から昼間の温度は相変わらずの暑さに戻り、クーラーが復帰となりましたが、朝晩は漸く秋を感じられるようになりました。
ここ数日、身近で感じた秋の風景をお知らせします。(まさ)

<我が家のベランダ>

クレマチス(キンポウゲ科)の実

同上

ゲッキツ(ミカン科)の花 又もや沢山の蕾が出来ましたが、今回は開花は少ないみたいです

同上

同上

<近くで見かけた風景>

カジノキ(クワ科)の真っ赤な実

24日に見た秋の空 最初はスジ雲のように見えました
同上

同上 徐々に鱗雲に変化

<今日の夕食> 最近体重調整の為、少し量を減らしています
冷奴/豚肉と野菜の煮込み/メザシ
豚肉/キャベツ/エリンギの煮込み

メザシ



言葉の語源など その(127) ~賭博・博打に由来する言葉 その②~

2024年09月25日 19時16分26秒 | 面白い言葉や語源など
 引き続いて、日常に何気なく使用しているが、賭博や博打に由来するとされている言葉の紹介です。

・ぞろ目:
 漢字で「揃目」と書くこともありますが、正にこの漢字の通りにサイコロ賭博でサイコロの目が同じ場合に「そろい目」と言っていたのが、いつの間にか「ぞろ目」になったようです。

・ため口:
 私は、年下の者や、仕事などで下の立場の人が、年上の人や上司の立場の人に対して<敬語を使わず、なれなれしく話すこと>だと思っていたのですが、どうやら年齢や役職などには関係なしに、<相手を対等として扱った話し方>をいうようです。

 「ため」は二つのサイコロで同じ目が出る「同目(どうめ:ゾロ目)」を意味した。サイコロ賭博と共に言葉が広まる中で「どうめ → とうめ → ため」と変化し、「ため」という言葉が生まれたという説もあるようです。
即ち、二つのサイコロが同じ目を出した状態を指す「同目」が、同じ立場、対等の立場という意味で「ため」という言葉が使われるようになった。その後、1960年代に不良少年が「ため口」の語を仲間内だけの隠語として使い始め、若者の間で広まり、1980年代には一般に広まったとされていて、「ため口」という言葉も比較的新しい言葉のようです。

・買って出る:
 <自分から進んで仕事や役割を引き受けること)を言いますが、その由来は花札にあるようです。
即ち、花札は本来、3人で勝負するため、参加者が4人以上いる場合は、親から数えて4人目以降の下座の者は外されることになっています。どうしても下座の者が勝負に参加したい場合は、その代償として、上座の者から役札を買い上げて参加することから、自ら進んで引き受けることを「買って出る」というようになったというようですが、どのような役札をどのように買い上げるのかまでは判りませんでした。

・シカト(シカトする)
 昭和30年代後半から若者の間で使われ始めた比較的新しい言葉らしいですが、<無視すること。また、仲間はずれにすること>をいうようです。
この語源は、花札の10月の絵柄である鹿がそっぽを向いているところから、シカ+10で「シカト」になったと言うのですが…

・ぼんくら:
 <ぼんやりしていて物事の見通しがきかないこと。また、そのような人や、そのさま)を言いますが、その語源については諸説あるようです。
・まず、漢字で書くと「盆暗」で、「盆」は「賭博場」のことを指し、「暗」は「負けてばかり」の様子を表す言葉です。このことから、ギャンブルで負けてばかりの人を「ボンクラ」と呼ぶようになったという説です。

同じく「盆暗」で、賭博に関係ありますが、意味が少し違います。
賭場は半方・丁方に分かれて盆が置かれており、その上に金銭代わりの木札を乗せていきます。これが掛け金です。一方、つぼ振りの横には後見がおり、「丁方ないか、半方ないか」と声を掛け、「丁半そろいました」でつぼを開けます。この「丁半そろいました」が胴元(親)側の一番大切な仕事です。常に丁と半の掛け金が同じだと、親が損することはあり得ません。寺銭(てらせん、場所代)が順調に入ってきます。ところが掛け金が多い方に「目」が出た場合、足らない分は親が、まどう(弁償する)事になります。そこで左右の盆を一目見ただけで、どちらが多いかを瞬時に見抜く後見を「盆に明るい」と褒め、いつまでたっても勘定ができない後見を「盆に暗い」と見下しました。この「盆に暗い」が、慣用化されボンクラとなったという説です。

・もう一つは「盆蔵」で、賭博ではなくて建築に由来するという説です。
土蔵というものは空気が乾燥している冬場にたてるのが普通なのに、夏に建ててしまうと、土の表面ばかり乾燥して平均的に乾かず、役に立たない土蔵になってしまうと言われています。つまり「お盆の時期」に建てられた蔵が使いものにならないことから、ダメな人のことを「盆蔵」というようになったというものです。


・三下(さんした):
 今では<取るに足らない者。下っ端の者>を指す言葉ですが、元々は丁半打の仲間の内で下っ端の者を意味する言葉で、三下奴とも言うようです。

 賭博場での上位者は貸元・代貸・出方で三下とは、表番、下足番、使番などといった仕事を行う者を表す階級を意味したようですが、語源としては、博打ではサイコロの目数が三よりも下だったならば勝ち目がないというところから言われ始めたとされています。

・寺銭(てらせん):
 博徒が経営する賭博場で賭金に応じてとる手数料のこと。語源については諸説あるが,江戸時代に取締りがゆるやかだった寺社奉行支配下の寺社の境内に,仮設の賭博場をつくり,賽銭勘定場と称し,手数料のもうけを寺へ寄進する形式をとったことに由来するという。

 このように色々な言葉がありますが、余り良い意味の言葉はないですね。
大阪へのIR誘致に力を注いでいる人たちも、後世には『あの、ボンクラたちが・・・』と呼ばれそうな気がしますが…(まさ)

この項は、<ユライカ><雑学ネタ帳><語源辞典オンライン><ちょっぴり自慢できるコトバの語源><weblio辞書><goo辞書><コトバンク><家づくりブログ><松喬日和>
 10月の花札



言葉の語源など その(126)~賭博・博打に由来する言葉 その①~ 

2024年09月24日 19時06分50秒 | 面白い言葉や語源など
 先日のブログに書き込んだように、「賭博」と「博打」の明確な区別はできませんでしたが、何れも<ある程度の偶然性に賭けて利益を狙う>という点では同じことでしょう。

 また【人間が 2 人いれば博打は誕生する】という言葉あがるくらいなので、「博打」或いは「賭博」は人間からは切り離せない魅力ある行為だと思いますし、それ故にこれに由来する言葉は数多くあります。

 その内の代表的なものを列記してみます。

<丁か半か><イチかバチか>
 ◆丁か半か:
 ツボに2つのサイコロを入れて振り、出た数の和が丁か半かを予想して賭ける丁半賭博で使う言葉であり、偶数を丁(ちょう)、奇数を半(はん)と呼びます。

 ◆イチかバチか:
 勝負ごとや、後先がわからないことに取り組むときなどに使われる言葉で、その由来には下記の二つの説があるようです。
  • 「丁か半か」という用語からきているという説です。
「丁か半か」はサイコロをつかった丁半賭博で使う言葉であり、偶数を丁(ちょう)、奇数を半(はん)と呼びます。丁と半という漢字の上の部分にあたる「一」と「八」をとって、「一か八か」が生まれたとされています
  • 賭博用語の「一か罰か」が一か八かに転じたという説です。「一か罰か」は、さいころの目に一が出るか、それ以外の目が出て罰となるかという意味です。

  • イチかバチかの思い切った勝負を意味する表現に、「乾坤一擲(けんこんいってき)」という熟語があります。乾坤一擲の「乾」と「坤」の字は、それぞれ天地の「天」と「地」を意味し、「一擲」は「(サイコロを)1回だけ投げる」ことを意味しますので、<天がでるか、はたまた地がでるか、意を決してサイコロを振る>といった意味合いの表現のようです。


<思うつぼ>
 「思うつぼ」とは、<意図した通り、期待した通りになる>という意味ですが、熟練の壺振り師は思った通りの目を出せることから、意図した通りになることを「おもうつぼ」と言うようになりました。

 また、<ひどい状態になること、最低の状態であることを>を表す言葉に「どつぼ(土壺)或いは(ど壺)などとも書く」があります。

 賭博で負けが続いている場合に「どつぼにはまる」という言い方をすることもあり、「思うつぼ」という言葉があるだけに、この「どつぼ」も賭博や博打に関する言葉だと思われています。

 しかし、この「どつぼ」は賭博などには関係がなく、昔はあちこちで見られた「肥溜め」(「野壷」や「土壷」ともいう)のことのようで、肥溜めに落ちるくらい悲惨な経験が「ドツボにはまる」と例えられるようになったようです。

 私も幼少期は田舎で過ごしていましたので、「肥溜め」にはまる悲惨さは良く見聞きしましたが、確か、子供がはまった場合は<名前を変える>という風習があったようにも記憶しています。(まさ)

※ この項は<DOMANI><Mayonez><goo辞書><意味解説辞典><実用日本語表現辞典>などを参照させていただきました。