(いよいよ2月も今日で最終となりましたが、今日は少し辛口の内容になりました)
2月24日の毎日新聞のオピニオンというページの『深呼吸』というコラムで、作家の柳田邦男氏が、想像力が欠落した政治家の多さに、その原因として「三人称の視点」という捉え方をされています。
先日の国会でも、沖縄の米軍ヘリからの部品落下を巡る質疑の最中に、「それで何人死んだんだ」という自民党議員からのヤジが問題になりましたし、今までも福島原発事故や沖縄の基地問題などを巡っても、被害者や犠牲者に対して実に多くの心ない暴言が政権内の政治家や官僚から繰り返されてきました。
殆どの場合、これらの発言は“誤解を招いたが、本意はこうだった”との弁明と共に「失言」とされ、その発言が取り消されて一件落着ということになります。
しかし、高学歴の人が多い国会議員や官僚という立場の人が、軽々しくも自分が思ってもいないことを発言することは考えられず、本心に基づく発言だったと思わざるを得ないことが大部分です。
柳田氏はこれらの権力にある人達の想像力を欠いた暴言頻発の要因として、下記の点を挙げられています。非常に同感できますので、その概要を紹介させていただきます。
◆政治家や官僚達には、被害者や犠牲者を「三人称のいのち」の視点で見る傾向が強い。
その元には被害者や事故に対して、驚くべき無関心・無知があり、犠牲者の家族や被害者個別の悲惨さを思いやる想像力が欠落しており、財源を睨みながら法律や制度の枠に当てはめるだけ。
◆政治家・官僚に、時の政治権力者の考え方と政権維持の政策になびく姿勢と共に、地位に対する奢りがある。
従って、このような被害者や犠牲者に対する暴言を無くすためには、
◇政治家・官僚が人間のいのちに対する「三人称の視点」を脱却して、「一人称・二人称のいのち」を理解して寄り添う姿勢を普遍化する以外にないとされ、
◇具体的には、事故・災害・事件の現場を訪れて、状況を肌で感じ、犠牲者の遺族や被害者の話をじっくりと聞き、被害の全体像を調査分析するという取り組みが必要とされています。
まさにその通りですし、このような視点は何も事故・災害・事件だけでなく、あらゆる法案や政策審議に関しても当てはまることだと思います。
とに角、上から目線の奢った立場での政治は見直すべきだということでしょう。(まさ)
2月24日の毎日新聞のオピニオンというページの『深呼吸』というコラムで、作家の柳田邦男氏が、想像力が欠落した政治家の多さに、その原因として「三人称の視点」という捉え方をされています。
先日の国会でも、沖縄の米軍ヘリからの部品落下を巡る質疑の最中に、「それで何人死んだんだ」という自民党議員からのヤジが問題になりましたし、今までも福島原発事故や沖縄の基地問題などを巡っても、被害者や犠牲者に対して実に多くの心ない暴言が政権内の政治家や官僚から繰り返されてきました。
殆どの場合、これらの発言は“誤解を招いたが、本意はこうだった”との弁明と共に「失言」とされ、その発言が取り消されて一件落着ということになります。
しかし、高学歴の人が多い国会議員や官僚という立場の人が、軽々しくも自分が思ってもいないことを発言することは考えられず、本心に基づく発言だったと思わざるを得ないことが大部分です。
柳田氏はこれらの権力にある人達の想像力を欠いた暴言頻発の要因として、下記の点を挙げられています。非常に同感できますので、その概要を紹介させていただきます。
◆政治家や官僚達には、被害者や犠牲者を「三人称のいのち」の視点で見る傾向が強い。
その元には被害者や事故に対して、驚くべき無関心・無知があり、犠牲者の家族や被害者個別の悲惨さを思いやる想像力が欠落しており、財源を睨みながら法律や制度の枠に当てはめるだけ。
◆政治家・官僚に、時の政治権力者の考え方と政権維持の政策になびく姿勢と共に、地位に対する奢りがある。
従って、このような被害者や犠牲者に対する暴言を無くすためには、
◇政治家・官僚が人間のいのちに対する「三人称の視点」を脱却して、「一人称・二人称のいのち」を理解して寄り添う姿勢を普遍化する以外にないとされ、
◇具体的には、事故・災害・事件の現場を訪れて、状況を肌で感じ、犠牲者の遺族や被害者の話をじっくりと聞き、被害の全体像を調査分析するという取り組みが必要とされています。
まさにその通りですし、このような視点は何も事故・災害・事件だけでなく、あらゆる法案や政策審議に関しても当てはまることだと思います。
とに角、上から目線の奢った立場での政治は見直すべきだということでしょう。(まさ)