9月最後のブログは、やはり原発関係です。
高速増殖炉の原型炉である「もんじゅ」の問題点については、このブログでも再三触れてきましたが、政府は9月21日の原子力関係閣僚会議で廃炉の方向で検討することになり、地元などとのスリ合わせの後、具体的な方策は年内に取りまとめられることになったようです。
◆“やっと”という気持もありますが、今までほとんど稼動しないまま20年で1.2兆円も空費し、今後更に廃炉に要する30年3,000億円ということを聞くと、改めて「サンクコスト効果の罠」を思わずにいられません。余りにも責任感のない、無責任なプロジェクトの代表と言えるでしょう。
◆更に問題なのは、この「もんじゅ」を廃炉にするにも拘わらず、この根本にあった核燃料サイクルはギブアップせずに、今後は文部科学省に代わって、経済産業省が主導して推進するということです。
しかも、今までの「もんじゅ」が原型炉として位置づけられていたのが、これよりも1段進めた「実証炉」という段階で継続するということです。
そもそも「もんじゅ」は核燃料サイクル政策の一環として位置付けされており、原発の使用済み燃料を再処理し、抽出したプラトニウムとウランを混ぜたMOX燃料を加工して原発で再び使用するサイクルの中核として位置付けられていましたが、「もんじゅ」の廃炉にもかかわらず、この燃料サイクルを見直しできない理由は、次のようなことが考えられます。
・もしこのサイクル自体を否定するとなると、青森県と結んだ協定に反して、六ヶ所村が核のゴミ捨て場になりかねず、使用済み燃料の持ち込み先がなくなってしまう。
・日本が現時点で保有するプルトニウムは約48トンとも言われており、これは核兵器にも使用出来るので、今まで政府が繰り返してきた“余剰プルトニウムは持たない”との発言や、米国との間に結ばれている「日米原子力協定」の兼ね合いもある。
というような事情で、政府としては核燃料サイクル政策の継続を表明せざるを得ないのでしょう。
しかし、この核燃料サイクル技術は相当に難しいようで、まだ世界に確立された施設はなく、欧米各国はこの計画からは撤退し、僅かにフランスだけが研究継続をしているようです。
このような状況を考えれば、日本は核燃料サイクルを継続すべきではなく、使用済み燃料の処理方法が未解決な原発そのものからの撤退と、いままでに生じた使用済み燃料を含む原発廃棄物の根本的な処理にまず取り組むべきでないでしょうか。(まさ)
高速増殖炉の原型炉である「もんじゅ」の問題点については、このブログでも再三触れてきましたが、政府は9月21日の原子力関係閣僚会議で廃炉の方向で検討することになり、地元などとのスリ合わせの後、具体的な方策は年内に取りまとめられることになったようです。
◆“やっと”という気持もありますが、今までほとんど稼動しないまま20年で1.2兆円も空費し、今後更に廃炉に要する30年3,000億円ということを聞くと、改めて「サンクコスト効果の罠」を思わずにいられません。余りにも責任感のない、無責任なプロジェクトの代表と言えるでしょう。
◆更に問題なのは、この「もんじゅ」を廃炉にするにも拘わらず、この根本にあった核燃料サイクルはギブアップせずに、今後は文部科学省に代わって、経済産業省が主導して推進するということです。
しかも、今までの「もんじゅ」が原型炉として位置づけられていたのが、これよりも1段進めた「実証炉」という段階で継続するということです。
そもそも「もんじゅ」は核燃料サイクル政策の一環として位置付けされており、原発の使用済み燃料を再処理し、抽出したプラトニウムとウランを混ぜたMOX燃料を加工して原発で再び使用するサイクルの中核として位置付けられていましたが、「もんじゅ」の廃炉にもかかわらず、この燃料サイクルを見直しできない理由は、次のようなことが考えられます。
・もしこのサイクル自体を否定するとなると、青森県と結んだ協定に反して、六ヶ所村が核のゴミ捨て場になりかねず、使用済み燃料の持ち込み先がなくなってしまう。
・日本が現時点で保有するプルトニウムは約48トンとも言われており、これは核兵器にも使用出来るので、今まで政府が繰り返してきた“余剰プルトニウムは持たない”との発言や、米国との間に結ばれている「日米原子力協定」の兼ね合いもある。
というような事情で、政府としては核燃料サイクル政策の継続を表明せざるを得ないのでしょう。
しかし、この核燃料サイクル技術は相当に難しいようで、まだ世界に確立された施設はなく、欧米各国はこの計画からは撤退し、僅かにフランスだけが研究継続をしているようです。
このような状況を考えれば、日本は核燃料サイクルを継続すべきではなく、使用済み燃料の処理方法が未解決な原発そのものからの撤退と、いままでに生じた使用済み燃料を含む原発廃棄物の根本的な処理にまず取り組むべきでないでしょうか。(まさ)