その②で見たような「脱炭素」を口にしながら、原発依存を深めようとする考えにはどこか違和感を覚えるものの、一気に脱原発まで主張すれば日本の経済が成り立たないのではないかと心配と、表面切って反論できないもどかしさを感じている方も多いかと思います。
確かに、私たちが持っている一般的な知識の中で、「脱炭素」と「脱原発」が両立するのかを即答できる人は少ない、非常に難しいテーマでしょうが、少しでもその実現策を見出す必要があるでしょう。
◆脱炭素と脱原発は同根である
まず、「脱炭素」に同意する背景としては、年ごとに身近に感じる地球温暖化の原因と言われている炭素排出を抑える必要があると感じていて、その大きな要因である石炭や石油などの化石燃料使用から何とか脱さねばと思うからでしょう。
要は、地球の環境を我々の手で悪化させるのを止め、少しでも良好な地球環境を次の世代に引き継ぎたいという気持なのだと思います。
この観点からすれば、「脱原発」と言うのはある意味では全く同じ発想だと思います。
「原発」というのは、福島第1原発の事故で体験したように、一度事故が起こればその地での生活が持続できない様な環境破壊を引き起こすものですし、何よりもその稼働に伴って発生する使用済み核燃料や、施設の解体に伴う放射性汚染物質の無害化には人間がコントロールできない様な長期間を要するだけでなく、まだその安全な処分方法も確立していないのです。
如何に原発からの炭素排出が少ないと言っても、決して安全な再生可能エネルギーなどとは言えないもので、ある意味では炭素問題以上に、取り返しのつかない地球環境の悪化要因だとも言えるでしょう。
これだけでも、「脱炭素」に同意する以上は「脱原発」をも主張する十二分な理由だと思いますし、その方向を目指すべきだと思います。
そう考えれば、政府が推し進めようとしている福島第1原発の事故に伴う汚染水を、いかなる理由を付けようともトリチウムという放射能物質を含んだ状態で、人類の共有財産である海洋に放出するなど、もっての外であることも良く判るでしょう。
地球環境の保護を口にしながら、このようなことはできないはずです。
何よりも、原発は、その使用核燃料や建屋などのいわゆる廃棄物の処理問題も確立していませんし、稼動に当っては万一(?)の事故に備えて近隣住民の避難経路確保が必要と言う、およそ「産業」とも呼べないリスクを孕んだものなのです。
地球環境の保護をいうのなら、脱炭素だけでなく、脱原発と共に海洋汚染物質の垂れ流しなども考慮しなければ、誕生以来地球の資源を独占的に使用して、地球環境を悪化させてきた人類はその存在価値を失うでしょう。(まさ)