スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

香港国際空港

2018-12-04 06:32:21 | 旅 ~海外

1998年7月に開港した香港国際空港(チェクラップ国際空港)は

アジアを代表するハブ空港だ。1992年着任した香港総督

クリストファーパッテンは着任早々新空港建設を決定。

3800Mの平行滑走路2本、24時間空港を建設する為に

6年の歳月と200億ドルの巨費を費やした。

その結果、最も高価な空港としてギネス世界新記録に成った。

空港のターミナルを移動中に2009年香港で行われた

東アジア競技大会のメダルと聖火のトーチが展示してあるのを発見。パチリだ。

香港国際空港をベースにしているキャッセイパシフィック航空は

当空港に「ザウイング」と「ザピア」の2つのラウンジを運営している。

長時間の乗り継の際に退屈しない様に、ラウンジには

シャワーやバー(世界有数の長さを持つ)など様々な工夫がされてある。

空港周辺の海はまだ浚渫工事が行なわれている。

注目は今年10月23日に開通した港珠澳大橋(こうしゅおうおおはし)の

完成だ。中国広東省珠海市と香港新界離区ランタオ島

およびマカオ花地瑪堂区を結ぶ海上橋で、全長55㎞からなる

世界最長の海上橋だ。最後の写真は海ほたると同じ構造だ。2009年12月15日から着工し、

建設費は約1100億人民元(1兆6000億円)の巨費を投じた。

片道3車線(合計6車線)で今まで香港―マカオ間は

フェリー船だったが、この大橋が完成して約30分あまりに短縮、

これで地続きとなった。尚、道路は右側通行ルールが適用され

香港、マカオに到着後、走行調整運転方法の表示に従って

右側と左側通行の切り替えを行なう様だ。

飛行機から見た夕方の島々。実に美しい。又下の2枚はたった10分で

空が群青色から茜色に変わった感動の2枚だ。


ヘルシンキ大聖堂(フィンランドの旅)

2018-09-22 07:12:42 | 旅 ~海外

ヘルシンキのシンボル、ランドマークの白亜の巨大聖堂、

ヘルシンキ大聖堂。1830~1852年にかけて

ネオ・クラシック様式に改装、カール・エンゲルによって

独自にデザインされ、彼の後継者であるエルンスト・ロールマンによって

継承された。その姿は碧のドームと白い外壁のコントラストが美しい。

ヘルシンキ大聖堂はフィンランド福音ルーテル派の本山となる

教会で大聖堂の屋根には12使徒の真ちゅうの彫刻があり、

これは世界最大の真ちゅう彫刻のコレクションになっている。

ここは教会の本山であると同時に最も有名な

ヘルシンキ観光名所でもあり、毎年35万人を超える人々が訪れている。

大聖堂の前はフィンランド最大の市民広場である元老院広場がある。

2000年代に入って御影石が敷き詰められ

大きな集会、デモなどが行なわれることがある。

又大聖堂と元老院広場は広大な階段で

つながって市民の憩いの場としても有名な所だ。

広い元老院広場の真ん中にはアレクサンドル2世の像が

デンと建っている。その頭のテッペンにはカモメが。

そうです、ヘルシンキは港町なのでカモメが飛んで来ても当然なのですが、

東京の都市辺りではこの様な風景はあまり見ない。

元老院広場に面したこの建物はガイドさんの話では

一番古い建物だと言っていた。

やはり元老院広場に面しているこの建物は政府が入っている建物と言っていた。

大聖堂の裏手の一帯は政府機関の建物が固まってあるとの事だが、

この建物は確か中央銀行(日本でいう日本銀行)と言っていたな。

その向かい側に建っていた風格のある立派な建物も

公的な所のビルと言っていたが、具体的には忘れた。

大聖堂の正面を真っ直ぐ路地に入っていくと途中、

素敵なストリートミュージシャンがとっても感動的な演奏をしていた。

ヘルシンキ1

ヘルシンキ2

本当はじっくり聞きながら動画を撮りたかったのだが、

団体行動で時間の制約もあって、良い曲が撮ることが出来なかったのが残念だ。

弦楽4重奏のストリートミュージックはあまりやっていないが、

このグループはとても素晴らしかった。ひょっとしてプロの集団か。

実はこの日は世界的に注目された大政治イベントが

ご当地ヘルシンキで予定されていた。この旅行中、

世界のニュース、動きからは取り残されていた我々は、

このことを直前まで知らなかった。それはこの数時間後にこの地のごく近くで

アメリカトランプ大統領とロシアプーチン大統領の

首脳会談が行われるとの事。ということでこの路地の先は通行ストップ。

ポリスが厳重な警備をしていた。

おかげで、一ヶ所見学する予定の場所へは行けなかった。

ということで元老院広場ではどこの国のどこの局だか分からないが、

赤いドレスの女性ニュースキャスターが緊張した

面持ちでスタンバイしていた。キャスターのそばにはビニール大袋に

化粧道具一式を肩にしょった女性が付いていた。

現地からのニュースリポートが報道される裏側をしっかり見てしまった。

大聖堂を少し降りた階段の所でも他局がリポートに向けて

セットの準備を進めていた。これを見ると現地リポートを

するだけでも大変なんだナーということが分かった。

この米ロ首脳会談を受け入れたフィンランド政府の警備準備は大変なものだ。

上空には軍のヘリコプターが飛び道路には大勢の警察官がスタンバイし始めた。

その中を小さなデモ隊が旗を持って行進していた。

この旗はウクライナ国旗だ。


ヘルシンキの街散策(フィンランドの旅)

2018-09-20 06:24:22 | 旅 ~海外

フィンランドは3分の2が森林で3分の1が北極圏

約18万もの湖がある自然に恵まれた国で、自国民のことを

スオミ suomi(語源は湖)と呼ぶ。サウナやキシリトールガムの

発祥の国で、サンタクロース、ムーミンの国だ。そして首都ヘルシンキは

「バルト海の乙女」と呼ばれる美しい街だ。

赤レンガ造りの北欧最大のロシア正教会、ウスペンスキー寺院。

内壁に描かれたテンペラ画キリストと12使徒は見逃せない。

バスの車中から撮った建物。なんのビルだか分からないが

目につき気に成ったので。

1919年に完成したヘルシンキ中央駅。ヘルシンキの玄関口で

フィンランド国内の各都市に向かう長距離列車の

大部分と全てのヘルシンキ近郊列車は当駅から出発する。

乗降人員は一日20万人だそうだ。因みにヘルシンキ中央駅の開業は1862年だ。

著名かつ歴史の長い3つの国立大学の合併により

生まれたフィンランドを代表する大学のアールト大学。

特に工学部の難易度および教育レベルの高さはヨーロッパでも有名だ。

 

名前は分からないが昼食後ブラブラしていたらビルに囲まれた

広い広場に出た。真ん中には幾何学的なモニュメントがあり、

又、若い女性がアイスクリームを売っていたのでパチリ。

片や古典的なビル、片やモダンなビル、両方とも目に付いた

印象的な建物だったのでアップしてみました。

ヘルシンキでもちょっと古いデザインだがトラムは走っていた。

北欧はLRT、トラムが発達した国々だという印象だ。

広めの歩道のセンターには自転車専用のラインがあった。

日本では見ないので物珍しく思いパチリした。

これはどうやらコインパーキングの精算機のようだ。

字を見てもとっかかりが掴めず、実際はよく分からない。

街角で見かけた生コン車。日本の生コン車に比べてかなり大型だ。

よく見ると生コン圧送のポンプ車と兼用しているようだ。

これは日本に無く合理的な発想だ。

高層ビルの建設現場。仕事柄どうしても関心が行ってしまうが、

フィンランドに限らず、海外ではクレーンはとんぼタワークレーンを

使っている所が多い。日本ではレッカー車。大型工事になるとタワークレーンを使う。

お世話になったこのバス会社すごいでしょ。バスのフロント

一番上の電光掲示板を見ると「バンザイ」と書かれてある。

日本の団体がバスを間違えない為の配慮だとか。

他のユニークな表現も聞いたが忘れた。

今回の旅のホテルで、初めてアメリカンスタイルの

ヒルトンホテルに宿泊した。アメリカブランドのホテルはなぜか

ホットするものがある。丁度この時もロシアW杯準決勝

フランスvsクロアチア戦がTVで放映されていた。

この旅で意外にもロータリーマークを見ることが少なかった中で、

当ヒルトンホテルではロータリークラブの例会場に成っているようだ。

隣りの和風提灯がとても気に成る。

北欧3ヶ国の旅も終わり、一路ヘルシンキ空港へ。


テンペリアウキオ教会(フィンランドの旅)

2018-09-19 06:53:16 | 旅 ~海外

ヘルシンキ市トーロにあるテンペリアウキオ教会は別名

「岩の教会―ロックチャーチ」と呼ばれている。

フィンランド福音ルター派教会に属しているキリスト教会で

1968年2月に、スオマライネン兄弟が設計して完成した。

本教会はフィンランドを代表する大胆な現代建築の傑作となっている。

教会を造る計画は1930年代からあったが、第2次世界大戦が勃発し、

計画は中断した。1961年に改めてデザインコンペが行なわれ、

スオマライネン兄弟による計画案が採用された。

予算の都合上、当初のプランの4分の1の大きさに縮小。

1969年9月に礼拝堂の選別が執り行われた。

教会は天然の小さな岩山を10Mくり抜いた地下に造られ、

上部側面にガラスをはめ込み、自然光が入り込むようになっていて

神秘的な空間を創り出している。ここは世界に1つの

岩の中にある教会として名を馳せている。

教会内壁はくりぬいた岩盤がそのまま使われていて、音響効果が優れている。

その為、しばしばコンサートホールとして利用されている。

この日はタイミングよくパイプオルガンで賛美歌が演奏されていた。

 

できるだけ自然の岩(花崗岩)を残すテーマとした造りで

華美な装飾が一切なく岩肌がむき出しの祭壇となっている。

その光と影がフィンランド建築の素晴らしさだ。

この教会には鐘がないが、作曲家タネリ・クーシストによって

録音された鐘の音が外壁のスピーカーから流れる様になっている。

席は1000席ほどのパープル座席があり、岩には氷河時代に

削られて出来た模様を見ることが出来る。

又ここ岩の教会は観光地としても有名で、

年間約50万人もの人々が教会を訪れている。

ドームでおおわれた天井には直径24M鋼板があり、

そのまわりには180枚の天窓のガラスが張られている。

ご覧の様に教会の周辺は高級アパートなどの住宅街。

その中でここだけが異様な岩山になっている。

とても不思議なエリアだ。


アラビア ファクトリー(フィンランドの旅)

2018-09-17 05:34:46 | 旅 ~海外

アラビア ファクトリーはヘルシンキ郊外にあり、フィンランドを

代表する陶器メーカーだ。2016年初頭まではここで食器の

生産が行なわれていたが、今は人件費の安い国外生産オンリーになった。

エントランスを入ると工場をお洒落にリノベーションした

カフェコーナーがある。アラビアアートデパートメント(アラビアアート部門)

はアラビア本社内に1932年に設けられた。

この日は休日だった為、ファクトリー内部はほとんど人気が無かった。

ここの壁には当社が生産した数えきれない程のデザインのお皿が

ディスプレーされていた。デザインのベースは白磁に濃紺のカラーで

丸をテーマにしたものとなっている。

2Fはアラビアの古い作品が並ぶアラビアミュージアムになっている。

1Fの展示コーナーを含め、人気商品の由来と現在まで至る開発

アラビア社の背景にある歴史について肌で感じられるようになっている。

大変見応えがあったのが、アラビア社製作の歴代作品の展示コーナー。

古くは1874年から今年の新作まで数多くのカップが陳列されていて

そこから時代の変化が読み取れる。

1枚目が最新作 2枚目が2000年頃のもの 3枚目が私が

生まれた頃の作品 そして4枚目が1874年から1876年の頃の歴史的作品。 

さすがデザインを売りにしている会社だけに空調の排気口も

デザイン化され、超お洒落。

展示室からベランダに出る一角のコーナーもモノトーンの

カラーの中で光と影が交錯し、素敵な空間となっている。

商売柄どうしても建物内部の内装、インテリア照明器具には

目が行ってしまう。こちらの照明器具もアールヌーヴォーの

においがちょっとして素晴らしい。

1階は綺麗で明るい内装のアラビア製品のアウトレット店舗になっている。

テーブルウェアのアラビア、イッタラ、テキスタイルのマリメッコ、

インテリア小物のヨハンア・グリクセンなどが人気があるそうだ。

こちらには日本人スタッフも居て、日本で買うより30%位安いらしい。

しかし免税手続きが大変だ。隣りの売場には北欧らしい生地や

ファブリックも扱われていた。

ショップの一番奥にはシンプルなデザインのドリンクコーナーが

用意され、一時の休息の場が提供されている。そういえば、

フィンエアーのビジネスクラスで出てきたガラス食器「イッタラ」は

3つの小さな足が付いていてとても素敵で印象深かったことを思い出した。

1階には、全面トップライトになった図書室がなぜかあった。

この日は休日の為閉館だったが、工場をセンスあるリノベーションを

するということもい洒落に変貌するのかと大変勉強に成った。


美しきボルヴォーの町 (フィンランドの旅)

2018-09-15 06:10:28 | 旅 ~海外

北欧シリーズ,第3弾

  いよいよ最後の訪問国、フィンランドに入った。北欧3ヶ国の内、

物価はノルウェーが一番高く、フィンランドが一番安い。

3ヶ国のノキア、エリクソンが代表する様に

IT関係ではWIFIが世界一普及し、インターネットバンキングは25年前からある。

ヘルシンキからおよそ50㎞東に位置するボルヴォーは

1346年設立されたフィンランドでもトゥルクに次いで

2番目に古い町だ。人口は48,802人(2011、1月31日現在)。

ボルヴォー川に面した赤い倉庫群は輸入された商品や

香辛料などが貯蔵されていた。この河岸の木製倉庫の建築は

ユネスコの世界遺産にすることが提案されている。

ボルヴォー川に浮かぶ古い船を利用したカフェ。

黒づくめの船上のカフェがかえって新鮮に見えてとてもお洒落だ。

この旧市街はフィンランドで一番絵になる場所の1つで

世界中の写真にインスピレーションを与えていると言われている。

このチャーミングな通りを歩きながら、その長い歴史と

美しさを目の当たりにすることができる。

このメインストリートには小さなお店が並んでいて

可愛らし小物グッズが売られている。ウィンドーショッピングするにはピッタリだ。

ここは旧市役所の建物。その前は広場になっている。

中ほどにはテントを張ったマーケットが並び、傍らでは

老人ストリートミュージシャンがアコーディオンを弾いていた。

この音色は周りの空気をロマンチックな雰囲気に変える。

それにしても広場の石畳は相当歴史を重ねてきた年季を感じさせる。

フィンランドのキリスト教は福音ルター派のスウェーデン語教区が主流。

旧市街の中央部には14世紀始めに建てられた

ボルヴォー大聖堂と見目麗しき鐘塔がデンと構えており、

小高い丘の上で威厳を誇っている。この大聖堂は2006年の

放火を含め5回も全焼している。丁度行った時に教会のミサがあり

続々と地元の信者が正装して集まって来た。又地元の高校生の

聖歌隊が白装束で出番を待っていた。このシーンはまるで

映画の一コマを見ている様であった。

この街は何世紀にわたりフィンランドの多くのアーティストたちの

心の故郷であり、インスピレーションの源としての役割を果たしてきたと言う。


シリヤラインのクルーズ

2018-08-27 05:57:56 | 旅 ~海外

いよいよ北欧の旅の最後の訪問国、フィンランドへ向けて

船の旅が始まる。これだけの本格的なクルーズは初めての体験で

ワクワクしてきた。このシリヤ、シンフォニー号は1991年

Masaの造船所(トゥルク・フィンランド)の建造船で

全長203M幅31.5M、深さ7.1M、積載能力23ノット

乗客定員2,852人、客室数986室、ベット数3,001台、

車両数、乗用車約450台、又はバス約60台のフェリー船だ。

ストックホルム16:45発、途中マリエハムン23:45/23:55

目的港ヘルシンキ9:55着予定。約18時間の航海だ。

スウェーデンとフィンランドの間の時差は1時間。

スウェーデン乗船の場合は時差分1時間時計を進めることになる。

いざ乗船。7階デッキでは料理長と女性クルーが出迎えてくれた。

その後船長も登場、何かとてもあたたかいおもてなしを感じた。

7階のプロムナード。メインストリートは4フロアーの吹き抜けに

なっていて、一部は最上階まで吹き抜けトップライトになっていた。

とても面白い空間で、正に非日常の異空間だ。

エレベーターもシースルーになって、随所に工夫が

凝らされている。何分初体験だけに圧倒されてしまった。

尚、船内の全てのショップは免税店。

スウェーデンの付加価値税は25%だから、ここで買うとかなりお得。

プロムナードから見た内側の客室。まるでカプセルホテルのようだ。

これだけの部屋数があると迫力がある。

これがシンフォニー号の平面図。12階建の造りで3~4階が

車のデッキ。主に6階、7階、8階の一部と12階が

乗客の共有デッキになっている。全長203Mということで

端から端まで歩くと結構距離があった。

これがキャビン客室の廊下。人が擦れ違うにはギリギリの

廊下幅だ。左右の客室は海が見える側と船内側と

景観は全く異なる。我々のグループは全員シーサイドで

じっくり船の旅を楽しむことができた。

これが船室内のスナップ。当然ホテルよりはぐっと狭く、

トイレ、洗面所、シャワールームは極めてコンパクト。

ですが全体的に白が基調の部屋で清潔感があり、よく出来た造りだ。

クルーズ1

出港して間もなくデッキ7の通りを歓迎のコスプレパフォーマンス

行進に遭遇。このクルーズでは乗客を楽しませる様々な

イベントプログラムが企画されており、船旅をエンジョイできる

工夫が多くあったのには感心した。

デッキ7にはアトランティスカジノもある。小規模だが

ブラックジャック・ルーレットは夜8時から、

日本円紙幣も使用できるとか。その他にスロットルマシンもあった。

カジノでは撮影禁止ということでゲーム中の写真は撮れなかった。

バーデッキは6、7デッキに2ヶ所あった。ここはプロムナードバー。

カウンターにワイルドな男性が飲んでいた。

Tシャツを見ると「FUCK THE COPS」(警察なんて糞食らえ)

自分の主張なのか、ただのデザインなのか?

こういうのはなかなか着ずらいはずだ。

ここのTVモニターでもW杯の中継で盛り上がっていた。

ここもオールドポートパブ。かなり広いスペースなのに

大勢の人が飲みながら談笑していた。皆心無しかハイテンションだ。

中央のステージではお子様向けのショーか、楽しいパフォーマンスが

行なわれていた。白いぬいぐるみはシリアラインの

キャラクター「アザラシのハリー」。当然「ムーミン」も乗船している

とのことだが、会うことが出来なかった。

ここは外の甲板。皆外の空気、生の風景を見に出てくる。

ここに立つと、船に乗っている実感が味わえる。

あちらこちらに大型客船が停泊していて、やたらシャッターを

押したくなる。我々の船の後を追って他船も出港した。

この船は途中迄、しばらくついて来た。ストックホルム港の

近くは大小沢山の島だらけ。角度によってはこんなシーンも撮れた。

クルーズ2

ストックホルム周辺は2万4千の島がある為、

その島々をぬって航海。そこでまるで川を通っている様な映像になる。

日本で考えられない。陸地のごく近くを

通過していく。迫力があって怖いみたいだ。

夕食はデッキ6のグランド・ビュッフェ・シリアライン。

ビュッフェレストランではビール、ワイン(赤白)、ソフトドリンクは

セルフで飲み放題。食事はお世辞にも旨いとは言えない料理だった。

なんといっても見晴らしの良い場所はデッキ12のサンデッキ。

吹く風も心地良く、何も遮るものが無く、バルト海を見ていると心が解放されていく。

バルト海の地平線に沈みゆく夕陽。どこの海でも夕陽は人の心を

詩人にさせるが、特に今回のクルージングから見た日没は感動的なものがあった。

サンデッキの椅子に座って一杯飲みながら日没の

静かなドラマを満喫している人々。

デッキ7,8にあるアトランティックナイトクラブでは

ダンスミュージックのライブ演奏のもと、世界各国の

大人から子供までダンスに興じていた。

特に外国の子供達が、恥かしげ出たり入ったりしていた仕草が

忘れられない。その後ミッドナイト・ショータイムだ。

朝を迎えたデッキ12。殊の外朝日は眩しい。

デッキ7にあるインフォメーションデスクの横に航海の進路と

現在位置が表示してあった。左下の黄色がストックフォルム。

よーく地図を見ると無数の島々を抜けながらバルト海に出て来たのが分かる。

ようやくヘルシンキ港に到着。他国に入ったのに一切入国審査も無い。

国内の港に降りた様な簡単さ。

ヘルシンキの港から見たシンフォニー号とヘルシンキの街並。

フィンランドの旅は後日ご紹介いたしますのでよろしく。


ヴァーサ号博物館(スウェーデンの旅)

2018-08-25 06:17:22 | 旅 ~海外

当博物館は世界有数の観光名所。スカンジナビアの博物館の

中でも最多の来館者数を誇っている。1988年12月から世界で唯一

現存する17世紀の船舶ヴァーサ号を展示している。

スウェーデン王グスタフ2世アドルフの指揮のもと建造され

完成まで2年もの歳月を要した。ヴァーサ号は17世紀前半、

当時世界最大級の戦艦で3本のマスト、10枚もの帆、マスト頂上から

竜骨まで52M、船首から船尾まで69M、幅12M、重量は1200tもあった。

1628年8月10日ストックホルム港から処女航海として巨大な軍艦が出港した。

港の出口へ方向を向けると突然強風が巻き起こり、

転覆しそうになった。その後砲門から海水が流れ込み、

ヴァーサ号は海底に沈んだ。因みに、ヴァーサ号は強大な

ヴァーサ王朝に因んで命名された。

惨事の原因は造船開始後プラン変更があり、国王から通常を上回る

大砲を積載しろとの命があり、結果極端なトップヘビーな艦、

簡単に言うと、上部が重すぎた船になってしまった為。

ヴァーサ号が沈没後、333年経った1950年初頭、

民間の研究家アンダース、フランツェンが探索。

1956年に引き揚げ作業を開始し、とうとう1961年4月24日

原型の95%以上保持した姿を海面に現した。

バルト海は水温や酸素濃度が低く、フナクイムシが生息しておらず

ヴァーサ号の船体は朽ちることなく復元可能な状態で沈んでいた。

ヴァーサ号は150名の乗組員がおり、その内30から50名の船員が

道連れになって海底へ沈んだ。一番上の写真は船長室。

二番目の写真はその当時の船員の姿。

ヴァーサ号は数百もの曲線的彫刻に彩られ、他に類を見ない

芸術品のスウェーデン海軍64門の戦列艦でもあった。

彫刻のモチーフは、ライオン、聖者の英雄、ローマ皇帝

海獣、ギリシャ神などであった。まるで映画「パイレーツオブカリビアン」を

思わせる大航海時代の船であった。

当博物館は9つの展示場に分かれているが、そのパンフレットには

ご当地スウェーデン語は当然として英語、フランス語、

ドイツ語、スペイン語、イタリア語、ロシア語、ポーランド語、そして

なんと中国語のパンフが4列もあった。日本語はかろうじてその半分の2列。

これが今の海外観光の実状だ。何か寂しいものを感じる。

ヴァーサ号博物館はユールゴーデン島にあるが

その隣りに古色蒼然とした立派な建物があった。

調べてみたら、北方民族博物館だった。


ストックホルム運河クルーズ(スウェーデンの旅)

2018-08-24 05:42:13 | 旅 ~海外

市内観光運河クルーズの一つ、人気定番のロイヤルカナルツアー

(所要時間約1時間)に乗った。このツアーはユールゴーデン島を

一周するコースで水上から歴史ある建物や博物館、

緑豊かなエリアを船上から見ることが出来る。

この島は世界初の国立都市公園だ。

この運河クルーズはストロームカイエン船着場から発着している。

ここの前にはストックホルムを代表する高級ホテルの

グランドホテルがある。この威容を誇るホテルは

ノーベル賞受賞者の定宿としても知られている。

グランドホテルがある通りには金持ちが住む高級マンション街の

エステルマルム地区がある。

本当に素晴らしい街並で思わずじっと見とれるてしまう。

船内では日本語をはじめ13ヶ国語のイヤホンガイドが用意されていて

水上観光が大いに楽しむことができる。

各国の表示をみると日本語だけ日本人と書かれているのはどうしてだろう?

ユールゴーデン島内にあるグローナルンド遊園地。

高い鉄塔の上にあるシンボルマークが

いかにも北欧の香りがするデザインに成っている。

運河の水辺で日光浴する若者達。スウェーデンは7月から

バカンスに入り、最低5週間も取るとか。日本とは休暇に関しては

全然ゆとりが違う。スウェーデンは産油国であり、豊かな国だ。

運河をしばらく進んで行くと、大きな黒い女性像と

運河の中に小さく白い女性像が現れ、ビックリした。

これは芸術的彫刻の展示だろう。

小さな川の川幅程の運河。まるで廊下を抜けて行くようだ。

狭い運河を抜けると広い湖に出る。そこからは

高級住宅がポツリ、ポツリと建っていた。この建物だけを見ると

本当に豊かな国だ。話によるとスウェーデン国民の

7%もの人がボートを所有しているそうだ。

ストックホルムの海岸には多くの大型フェリーが停泊していた。

きっと海運が活発な国なのだろう。

奇妙なデザインのクレーンを発見。日本のTV番組

「ナニコレ珍百景」だったら間違いなくこのタワークレーンを

取り上げただろう。下半分しか撮れなかったが、

まさにキリンそのもののクレーンだ。

水辺に浮かぶ古い建物の風景。一周したユールゴーテン島には

ここで紹介した遊園地の他に、野外博物館、スカンセン、

アバ博物館、ヴァーサ号博物館などもある。

ストックホルムはヨーロッパ美しい街30選に選ばれているのは当然だ。


ドロットニングホルム宮殿(スウェーデンの旅)

2018-08-21 06:22:49 | 旅 ~海外

ドロットニングホルム宮殿はバロック様式の王室の居城で

スウェーデン語で「王妃の小島」を意味している。

北欧のヴェルサイユ宮殿の勇名を馳せ、王家の住居を除いては一般に公開されている。

この宮殿で歴史的に重要な人物3人の説明がガイドさんからあった。

右上のエレオノーラと左下のウルリカそして右下のグスタフ3世の3人だ。

当殿はスウェーデン王カールⅡ世の母后ヘトヴィヒ・エレオノーラの

命によって1662年に建設が始められ、1686年に完成した。

1744年、結婚したホルシュタイン=ゴットルプ家のアドルフ・フレドリックと

プロイセン王女ロヴィーサ・ウルリカに結婚祝いとして

当時のスェーデン王フレドリウ一世からプレゼントされた。

ロヴィーサ・ウルリカの息子で1771年に国王となった

グルタフ3世は華やかな文化活動に熱心で「ロココの時代」とその当時呼ばれた。

宮殿内を守衛している兵が交代の為か整列して行進していた。

それ以外に軍隊の人間も歩いていてちょっと緊張した空気が流れていた。

この宮殿はストックホルム郊外のローベン島にある離宮で、

宮殿前からはストックホルムへの船が発着している。

宮殿入口から庭園に向かってその大きさは差ほどない為

柱、廊下幅を使って、遠近法を利用して大きく見せる工夫をしている。

これが宮殿内部の一部。当宮殿は1991年に世界遺産に登録されている。

現国王カール16世グスタフとシルヴィア王妃。国王夫妻には

ヴィクトリア、カールフィリップ、マデレーンの2人の娘と1人の息子がいる。

シルヴィア王妃は年上のドイツ人の一般市民ということで

スウェーデン国民の間には拒否反応もあったが

率直で明るい人柄で人気を高めた。王妃は1972年ミュンヘンオリンピックで

グスタフ国王担当のコンパニオンを務めたのがなれそめ。

結婚式前夜にアバが記念として「ダンシングクィーン」を歌った。

右にずらーと並んでいる椅子についてガイドさんから説明があったが

その内容は忘れてしまった。この椅子は価値があるものということは覚えている。

この部屋の壁画には戦争をした当時の戦況の絵が

飾られてあった。その当時は写真も無く、絵を書いて後世に残したという。

こじんまりした王妃のサロン寝室。

他の宮殿ではあまり見ない図書館。王女ウルリカは啓蒙思想を

持った優れた才女で彼女の手によってギャラリーや図書館、

劇場が増築され、スウェーデンにおける啓蒙時代を作り上げた。

メーラレン湖の反対側に広がるバロック式の広大な庭園。

1686年に完成した。

ドロットニングホルム宮殿はグスタフ3世の死後、次第に使用されることが

なくなった。しかしそのために、王領地の自然は保たれた。

1982年に現国王カール16世グスタフは、ストックホルム旧市街の

王宮から環境のよいこの地に王家の住居を移した。

王室用キッチンのカフェでティータイム。スウェーデン王家ゆかりの

かわいらしい外観の建物にはスウェーデン王室の紋章が飾られている。

この中には王室御用達のお土産物売場もある。

この日は素晴らしい天気で皆、湖を臨めるテラス席でのんびり寛いでいた。