スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

ストックホルム市庁舎(スウェーデンの旅)

2018-08-20 06:36:47 | 旅 ~海外

 

ナショナル・ロマンティシズム建築の傑作として知られているストックホルム市庁舎。

建築家ラグナル・エストペリの設計により、

1909~1923年にかけて建設された。

メーラレン湖に面した立地でヴェネチアのドゥカーレ宮殿を意識し

さらにヨーロッパ各地の名建築からインスピレーションを受けた折衷的なデザインだ。

機能主義的なモダニズム建築とは一線を画した

20世紀建築の傑作として評価が高い。

日本では早稲田大学の今井兼次がいち早く紹介し

大隈講堂(1927年)のデザインに影響を与えたと言われている。

メーラレン湖の湖畔に佇む市庁舎。

この日は空気が乾燥していてとても気持ちの良い日だった。

これは中庭から見た市庁舎。水辺に位置する106Mのタワーは

見晴らしの良い展望台となっている。

受付の所に居た赤毛の女性。北欧では赤毛の女性を多く見たが、

聞いた所によると女性の髪の毛の色は一生のうちで

幾色も変わる人がいるそうだ。そんな話初めて聞いた。

ここがTVでよく放映されるノーベル賞の記念晩餐会が行なわれる「青の間」。

広間の床には青灰色の石畳が敷きつけられている。

これは女性がイブニングドレスで

降りるときに美しく見えるように設計されたものらしい。

向かいの赤レンガの壁面には視線をやるべきガイドとして星のレリーフがある。

中央階段の中段舞場の横にはスピーチ用のレクチャーテーブルが

しっかりカバーを掛けられ鎮座している。

ノーベル賞受賞者がここでスピーチする台だそうだ。

広い広い壁の1ヶ所にアルフレッド・ノーベルの金の壁像を誰かが発見した。

ここはバイキング様式の市議会場。天井のデザインが本当に素晴らしく

しばし上に顔が向きっぱなしになってしまった。

議場には左右で与野党が分けて座るとともに、議員数も男女同数。

議会開会中もたとえ観光客であっても傍聴が可能ということだ。

非常にオープンな議会ということをアピールしている。

我々グループがガイドさんから議場の説明を聞いていると

後から来た中国人グループのガイドさんが「進むのが遅い。早くしろ」と

わめいていた。日本人ガイドは「中国人はいつもそうだ」と

半分呆れた顔で無視していた。

ここでも中国人の独りよがりの態度に呆れてしまった。

議会場の窓から見たメーラレン湖とストックホルムの街並。

授賞式会場でもあるコンサートホール。

ここはローマのビザンチン建築から来ていると言われている。

ユージン王子が石の柱側の壁にストックホルムの街並みの

フラスコ画を画いたことから命名された「プリンスのギャラリー」。

ここはノーベル賞受賞パーティの舞踏会広間として使われる「黄金の間」。

金箔を貼ったモザイクタイルで壁面が覆われた大広間。

正面にメーラレン湖の女王と呼ばれる女神像が

新大陸とアジア大陸の間に立っている壁画がある。

完成当初は女王の性格がわからないと不評であったと言う。

 


ストックホルム市内観光(スウェーデンの旅)

2018-08-18 06:41:48 | 旅 ~海外

北欧の旅も2ヶ国目スウェーデンの首都、水の都と言われている

ストックホルムへ入りました。スウェーデンの国土は日本の約1.2倍、

人口は約1000万人。カール16世グスタフ国王の下

立憲君主制の国だ。主な宗教は福音ルーテル派が多数を占めている。

ストックホルムはメーラレン湖に浮かぶ14の島、郊外を

入れると2万4千の島からなる森と湖の都だ。

これが有名な街のシンボル市庁舎。ナショナル・ロマン様式の建物で

800万個の赤レンガが使われている。ここの「青の間」で

ノーベル賞受賞の晩餐会、「黄金の間」で舞踏会が開かれる。

詳しくは後日アップします。

13世紀に築かれた街、ガムラ・スタン(旧市街)にある

リッダーホルム教会の尖塔が見える。当協会は鋭く天を突く

尖塔が象徴的なゴジック建築の教会で王室の菩薩寺となっている。

真ん中の丸い建物が国会議事堂。このヘランズホルメン島には

ストックホルム中世博物館もある。国会議事堂は現在、一部修繕中であった。

オペラハウスは19世紀後半に建てられたバロック様式の建物で

バレエとオペラを中心に上演されている。

この建物は宿泊したホテルの隣りにデンと構えていた

スウェーデンの中央銀行(日本の日銀)。

今スウェーデンは景気が良く、ストックホルムの中心部セルゲン広場周辺では

建築ラッシュだそうだ。その為交通渋滞がひどいと言う。

躯体工事を見るとこの国も柱が細く、梁も無い。

やはりストックホルムも地震がないのか。現場事務所(?)の

プレハブは立派に見えた。

地下鉄の内部はとてもアートだとうことで

早朝散歩で歩いたがちょっと不気味な外国人労働者風の人が多くいて、

嫌な空気を感じて早々に去った。

エスカレーターの回転歯車みたいのは初めて見た。

ストックホルム市内にはスウェーデンのアパレルメーカーH&Mの店が

多くあった。ここは低価格かつファッション性のある衣料店を

扱っている。他には日本で根強い人気の車ボルボ。

最近日本でも急拡大している家具メーカーのイケアもスウェーデン企業だ。

早朝の朝日が広場に射して鳩の群れが芸術的な一枚に成ったのでアップしてみました。

ノルウェーに続いてストックホルムでも首の回りがグレーの

カラスに似た鳥がゴミをあさりに来たのでパチリ。

どうもこの鳥は今回の旅で気になってしょうがなかった。

宿泊ホテルの近くにクララ教会があるというので早朝行ってみたが

入口の門は閉まっていて中には入れなかった。

この辺りも人気がなく、労働者風の人が来ると避けながら歩いた。

ストックホルムの治安はどうなのだろう?

市庁舎の近くで珍しく斬新なデザインのビルを見たのでパチリ。

建物に金網が巻きついたフォルム、結構施工が大変だったのでは。

海の入江の所、王宮の向かい側に並ぶ超高級マンション街。

この通りは気品のある通りで雰囲気があった。

スウェーデンでは自転車の使用が奨励されていて

競技用のチャリを乗っている若者が多く走っていた。

これからはストックホルム観光の中心地、ガムラ・スタン(旧市街)を

中心にアップしていきます。ノーベル賞100周年を記念して

開設されたノーベル博物館。ダイナマイトを発明した

アルフレッド・ノーベルの遺志により1895年ノーベル賞が

創設され、毎年12月10日(ノーベルの命日)の授賞式は世界中から注目される。

博物館館内には歴代受賞者の記録を展示している。

そして歴代受賞者の写真も売られていた。

パッと見るだけでも何人もの知っている人がいる。

さすがノーベル賞受賞者だ。その中に1994年文学賞を

受賞した大江健三郎氏のコーナーもあった。

椅子の裏にはサインしたノーベル生理学・医学賞受賞山中伸弥教授。

このサインをするようになったのは、2001年クリントン大統領が

博物館を訪れた際に大統領が座っていたイスに

博物館職員が「ビル・クリントン」と書いたのがきっかけだとか。

当館のお土産人気No.1のノーベル賞のメダルで作った

チョコレート。ここだけのオリジナル商品だ。下に日本語表示があった。

訪れた日本人がきっと沢山買って帰るからだろう。

美しい尖塔がそびえ立つドイツ教会。16世紀にドイツ商人が

商業協会の建物として建てた。中はステンドクラスや金の

彫刻で美しく装飾され、荘厳な雰囲気だ。

昼食を終えガムラスタンの古い街並みがよく残っている

メインストリートを歩いてホテルへ向かう。

この通りにはアンティークショップやカフェなど多様な店がひしめいている。

ガムラ・スタンを見下ろす大聖堂の塔。1279年創建の

ストックホルム最古の教会で、1976年現国王の結婚式が行なわれた。

ここは国会議事堂の内を通り抜けられるヴェステルロング通り。

まるで中世の街を歩いている錯覚に陥る。

国会議事堂はヘランズホルメン島という島の中にある。

この存在感のあるピンクぽい建物はたぶん外務省か

財務省の建物(?)この周辺は日本の霞ヶ関で

中央官庁の建物が並んでいる。

古色蒼然としたメインストリートをさらに進むとやや今風の

ショップが並んだ所に出た。ここはショッピングストリートで

多勢の人が居て賑わいがあった。

4人の親子連れが、お土産物店のバイキングセットを

身に付けて記念写真を撮っていた。微笑ましい光景だ。

レコードショップのショーウィンドにはレコードジャケットを

モチーフにしたTシャツが飾られていた。その中の一つ

ビートルズのサージャントペッパーロンリーハートクラブバンドの

Tシャツ。この店に入ってみたかったが、団体行動の

制約もあり、外から見るだけで終わったのが残念だった。

ストックホルム

王宮と大聖堂がある広場で突然路地から軍楽隊が現れた。

これはラッキー。旅で予定外の事が起きると

すごく幸せな気分になる。急いでビデオを動かした。

スウェーデンの名物料理の一つミートボール(ショットブラール)。

他にジャガイモ、クラッカーのようなパン。クネッケや

ライ麦パンなどが日常的に食べられる。

日本ではバイキングと呼んでいるビュッフェ式の料理は

「スモーガスボード」というスウェーデンの伝統料理が原点となっている。

海外に行くと必ず見られる大道芸。ガムラスタンであまり見ない

女性2人組の大道芸人が居た。服装もモダンで

とてもコミカル。チップを入れるととてもユニークな

パフォーマンスをしていた。2枚の写真はビフォー、アフター。


ベルゲンの街散策―2(ノルウェーの旅)

2018-08-09 06:41:28 | 旅 ~海外

ベルゲンの宿泊ホテルスカンディックベルゲンシティから

市街地へ早朝散歩に出た。このホテルは今回の旅で

一番ひどいホテルでベットも病院の患者が寝る様な狭いベット。

部屋も暗くて狭く、外の景色は汚いビルの

裏庭が見える殺風景なものだった。しかし町の中心部にあり

散歩するには便利であったのが救いだった。

ノルウェーではこの様なサッカーゲームに興じる風景を幾度か見た。

折しもロシアW杯開催中の旅で心無しか、

皆ゲームに力が入って入るようにも見えた。

一度やってみたかったクラシカルなゲーム機である。

通りを歩いてちょっと横を見ると立派な教会があった。

高台にある赤レンガ造りの聖ヨハネ教会らしい。

ノルウェー国教会はベルゲンで最大の割合を占めている。

この辺りは日中、夜は飲食店などのある繁華街らしいが

早朝の為、人通りがほとんどなかった。

早朝の市街地風景。この辺りは広い道で良く整備されている。

ビルは結構カラフルな建物が並んでいる。

大きな通りの真ん中に池とミニ滝のポケットパークがあり

一番上にブロンズ像があったが、誰かは分からない。

綺麗に整備された庭園。センターのパーゴラ的塔が美しい。

その向こうにちょっとした湖があり、この一帯はベルゲン市民の

憩いの場に成っているのでは。

このエリアに4つにあるベルゲン美術館群のKODE1 重厚な建物だ。

向かい合うように建っているビルはなんのビルだろう?。

そのビルの前にあるブロンズ像はノルウェーが生んだ

世界的に著名な作曲家エドヴァルド・グリーク(1843~1907)の像。

グリークは北欧のショパンと呼ばれている。

早朝から噴水があがっていたスモールンゲル湖。

午前5時頃、ボチボチ街が動き出した。ベルゲンにもトラムが走っていた。

ベルゲンは7つの山に囲まれた坂の多い湾岸都市。

ノルウェー語で「山の牧場」という意味のベルゲンは

周囲の山の中腹まで住宅が建っている。

これが街の景観を更に美しくさせているように見える。

この近くのフロイエン山にはケーブルが運行している。

標高320Mの頂上からはベルゲンの美しい市街が一望できるらしいが、

行く機会が無かったのが残念であった。

湖に面してあるベルゲン美術館群(KODE3)には

ムンクコレクションがある。下の写真はグリークアカデミー。

1978年に完成したグリークホール。1500席を備える

ベルゲンのメインとなる文化施設だ。グリークは国民楽派の

作曲家であり、ピアニスト、指揮者でもある。

代表曲は「ペールギュント」第1組曲の第1曲「朝」の

冒頭は誰でも聞いたことがある有名な曲だ。

ノルウェーの民族楽器であるハリングフェーレの

共鳴弦が使われている。グリーグは生誕地であるベルゲンの

自然と海をこよなく愛し、民族音楽から深い影響を受けている。

1946年に設立されたベルゲン大学の所に展示されていた

古いベルゲン人の写真。当大学はノルウェーの学術の中心となっている。

通りに面した広告板にもロシアW杯、準決勝戦のポスターがあった。

真ん中にはKARAOKEの看板も。今やカラオケも世界に通じる日本語となった。

さらに街の散策を続けていたら、スシ屋さんを発見。鶴が2羽

飛んでいるマークがどことなくわざとらしく見えてしまう。

メニューを見ると握りより巻物が多いのは外国のスシの特徴だ。

ヨーロッパの特色、道が石畳になっているのをアップで撮ってみた。

2通りのデザインが帯状になっている。

この石畳はまだそんなにたっていない様な気がする。

オスロ郊外でも紹介したカラスもどきの鳥をここでも発見。

早朝からゴミをあさっている所などカラスそっくりだ。

ここのは羽の濃淡がよりはっきりしていた。

 

 

この日の早朝散歩は街を散策したというよりは朝から

観光地を巡ったという印象でそれだけ観光資源が

豊富なのがベルゲンの街ということなのだろう。

次の国スウェーデン、ストックホルムへ移動の為ベルゲン国際空港へ

巨大なベルゲンのアルファベットの最後に?マークは

どういう意味だ?たまたまその下に走っているトラックに

COOPと書かれてある。ノルウェーにも生協があるのか?

空港は近代的な建物でエスカレータの下には電車のホームが来ている。


ベルゲンの街散策-1(ノルウェーの旅)

2018-08-08 06:27:42 | 旅 ~海外

ベルゲン市はノルウェー西岸ヴェストラン地方の都市で

1217年から1299までノルウェーの首都であった。

人口は26万5400人(2012年)、ベルゲン都市圏では約39万人。

首都オスロに次ぐ規模の都市だ。

二枚目の写真で三角屋根が連なっている所がハンザ同盟のあったブリッケン地区だ。

ベルゲンはノルウェーのフィヨルドの玄関口としてヨーロッパでも

随一で、又ノルウェーでは最大のクルーズ船の寄港地でもある。

それ以外にも種々な中心都市だが、その中でも漁業、

養殖も含めた水産業は大事な産業だ。

波止場の近くには海鮮魚の市場もある。まるで築地の場外市場の様だ。

ノルウェーは世界第2位のシーフード輸出国。日本には1980年代から

本格的に輸出が始まった。その中でもサーモンはノルウェーの代名詞。

生サーモンの拘りがポイントで、日本の店頭には36時間で並ぶ。

私の好きなサバも最近ノルウェー産が目立つようになった。

市場の隣りには大きなテントの屋外レストランがある。

夕食は平凡なホテルレストランでなく、こんな所で食べたかったなー。

市場からブリッゲン地区(旧市街の倉庫群がある埠頭)へ。

波止場と山と古い街並み、風情があっていい!

テント張りの露店は大変な賑わい。種々な海鮮料理が売られていて

見ているだけで楽しくなる。ムール貝の料理はじめ

色々な料理のにおいが立ち込めて、食欲がそそられる。

そういえば、ベルゲンの繁栄のもとになったのは干しダラとの事。

そこにバイクのツーリンググループが到着。回りの人々が

カッコイイといった眼差しを注いでいた。

波止場には若者がギターを弾き語り、その先には賑やかな

打楽器を叩くグループがいた。そばの女性数人が

リズムに合わせてステップを踏んでいたのが印象的だった。

ブリッゲンの側には山並みが迫り、中腹までメルヘンチックな

住宅が並んでいる。市街地にはハンザ同盟時代を

感じさせるレトロなビルも並んでいた。

ベルゲンの交易は1020年代初期に始まる。

その後13世紀からハンザ同盟都市になった。そして1789年まで

ベルゲンはノルウェー北部と国外の仲介交易の独占権を謳歌していた。

ハンザ同盟時代の建物の2棟が改修工事を行っていたが、

さすが観光都市でもあるベルゲン。架設シートにその建物の絵を画き、

工事中の違和感を少しでも和らげようと工夫していた。

白夜の北欧は夜が長い。もう夜間時間というのに空は昼間のよう。

市民はのんびりと波止場の側のオープンカフェで寛いでいた。

広場の敷石も丸味を帯びその歴史を感じさせる。

 

波止場やブリッゲンが残されたこのエリアは

1979年に世界遺産になっている。

この地域はヴァイキング時代終焉から4年後、1070年に創建された。

1236年にはドイツのハンザ商人によって商館が建てられ

13C末にはハンザ同盟の在外4大拠点の一つに

数えられている。ドイツハンザ商人に独自の住居区を作り

カラフルで奥行きの深い木造倉庫になっている。

これがうなぎの寝床の様な倉庫群の平面図。

ベルゲンはいくたびの火災にみまわれ、ドック脇の倉庫や

管理の為の建物も焼け落ちた歴史がある。

このビルはとても美しく目立ったのでパチリ。壁には1480、

1712、1912と西歴年数が書かれてある。

これが何を意味するものなのか分からないが、1480年とは歴史的に重い。

ブリッゲンから見た対岸の街並み。この周辺は歴史を感じさせ

とても美しく印象的な街だ。

引き売りのお店もおしゃれだったのでパチリ。

どうやらノルウェーの伝統的フードの露店らしい。

ようやく陽が落ちかけて港に黄昏の時が来た。

北欧のロマンチックな雰囲気が漂っている。

海岸に行くと必ず見かける超肥満の人(デブ)。ここにも居た。

昔人気があったプロレスラー、ヘイスタックカルホーンみたい。これはセクハラ?


フロムとべルゲン鉄道(ノルウェーの旅)

2018-08-07 07:13:10 | 旅 ~海外

フロム駅(標高2m)からミュールダール駅(標高約865m)まで

約60分間ゆっくりと急勾配を走るフロム鉄道。

開業は1940年で路線距離は20.2㎞の単線鉄道だ。

このフロム鉄道は鉄道の最高傑作と称されている。

世界でも指折りの人気路線のフロム鉄道は年間乗客数が

50万人を超え、ノルウェーでも3番目に多く観光客の訪れる場所だ。

座席は全て自由席。各国の団体客が乗客し、満員状態であった。

車内は木を使ったクラシックな内装で天井はアールに成っている。

照明器具もシンプルだがお洒落だ。この鉄道は私鉄なだけに

お客を意識したデザインのリゾート列車といった感じだ。

一車輌に2台のディスプレーが付いており、我々の車輌は

日本人と中国人のグループだった。ご覧の様に日本語と

中国語で交互に歓迎の表示がされ、その後

当鉄道の説明文がその都度タイミングを合わせて表示してくれた。

他の車輌をのぞいてみたら、ディスプレーにはユニオンジャックの旗が出ていた。

スタートして間もなくの写真。まだ平地で透き通った川と教会、

民家が一体となって絵葉書のようだ。

列車はドイツ製のNSB/17型機関車を使用。それぞれの車輌は

濃緑色に塗装されたものが使われていて

最高時速は40㎞/hと遅い。山間部を走るため

路線は曲りくねっていて、最大勾配は55度もある。

しばらく進むと人家は消え、随所に滝や河が現れ

大自然そのもの。風光明媚な景観を思う存分満喫することができる。

ここでもヤナギラインの群生が。淡いピンクの花が旅人の目を楽しませてくれる。

残雪が残る山から流れる滝。この鉄道の旅で一体いくつの滝を

見た事だろう。その横をつづら折りの坂道があり

遠くから見ると幾何学的模様を描いている。

当鉄道は眺めのよいところでは徐行運転というサービスをしてくれる。

フロム鉄道には途中に11の駅がある。その中の一つ、

標高669mのショースフォッセン駅に来ると

列車は停車し、乗客に降りる様アナウンスがあった。

こんなこと初めてで一体何事かと思った。

夏季にはこの駅で5分程の時間停車し観光客が

ショース滝を見る為の時間を取るという計らいであった。

それにしても迫力のある滝だ。一斉に観光客はカメラを向けていた。

そして滝の下に写っている赤い物にご注目下さい。

雄大な滝を見ていると突然赤いロングドレスを身にまとった

女性が現れ、バックミュージックが流れる中、舞い始めた。

その女性が舞い終わり、岩陰に消えると全く同じ服装をした

もう一人の女性がそこから離れた所に現れ又、舞い始める。

まさに幻想の中に居る様で皆感嘆の声を上げていた。

意表を突く、心憎い程のおもてなしの演出だ。

ミュールダール駅に到着。次のヴォス駅に向かう為ベルゲン鉄道に乗換える。

ベルゲン鉄道は1883年開業で

ベルゲンとヘネフォスを結ぶ496㎞の鉄道路線、途中17駅ある。

ハルダンゲル高原を横切る地点、標高1237mに達し、

北ヨーロッパの主要な鉄道の中では最も高い地点を走っている。

車内にはミュールダールからベルゲンまで駅、所要時間の表示がされていた。

ベルゲン鉄道の車内風景。この車輌ではイギリス人のグループと一緒になった。

ヴォス駅で下車。ここはヴァングス湖の湖畔の街で

ソグネフィヨルド観光の拠点。ロープウェイでハングレム山に

登ればダイナミックな景観が眺望できる。

駅前の近代的なビルとヨーロッパ風古城の様な建物を撮ってみた。


フィヨルド遊覧観光(ノルウェーの旅)

2018-08-04 06:25:49 | 旅 ~海外

ホテルスタルハイムからバスで山を下ること約15分

フィヨルド遊覧観光の出発地点グドヴァンゲンに到着。

小さな港には主だった建物はチケット売場を兼ねた

お土産屋さんの建物だけがあり、あとはそれを取り囲むように

個人住宅が数える程しかない。正に自然そのもののフィヨルドが創った天然港だ。

港といっても箱根の芦ノ湖よりも小さい程の所に結構大きな船が発着している。

この船はフェリーと観光船を兼用した様な船だが

前日見た船は大型客船だった。

日本では到底見られない風景だが

ここは水深の深いフィヨルドの為この様なことが可能だ。

発着地のグドヴァンゲンのすぐそばに高低差が1200mある

シェル滝があった。山頂には残雪がある山もあり、

雪解け水が滝になるのだろう。

こんな滝が航海中何ヶ所も見ることが出来た。

ここゾグネフィヨルドはノルウェーに数多くあるフィヨルドの中でも

王様格で204㎞と世界最長、最深は約1308mと信じられない程深い。

この狭いフィヨルドを結構多くの船がすれ違う。

その度に静かな海面に波紋が広がり美しい模様を作っていく。

港を出て、暫くの間カモメが船を追ってくる。うっかりすると

ここを湖と勘違いしてしまうが、カモメを見て海だったことに気が付く。

船内には鳥にエサをやらない様に禁止標識が貼ってあったが

たまにケガをする人がいるらしい。

船のデッキには大勢の観光客が素晴らしい景色を見ながらウットリしている。

右手前のアジア系夫婦は出港前に話し込んだが

親子3人で香港グループできていると言っていた。

どうも中華系の顔の人は中国大陸なのか台湾、香港、マカオ

シンガポールなのか話してみないと最近分からなくなって来た。

ただ、コリアだけはなんとなく分かる。

 

ソグネフィヨルドの支流には世界遺産ネーロイフィヨルドと

アウルランフィヨルドがある。ソグネフィヨルドは数あるフィヨルドの中で

No1だそうだ。因みにフィヨルドとは氷河が浸食したことにより

形成れた複雑な地形の湾入江のことである。

滝の下ではカヌーを楽しんでいる人々がいた。

たまにこんな人達に会うと遊覧のアクセントになる。

数万年の時間をかけ、数千Mに積もった雪が固まり、

氷へと変化したものが氷河となる。この氷河が自分自身の重みにより

ゆっくりと山の斜面を削りながら進み、深い深いU字谷を形成する

氷河時代の終わり頃に氷が融けて海面が上がり

この深い谷の一部が海に沈むことで形成されていったものがフィヨルドになる。

ソグネフィヨルドは途中二又に分かれ、Uターンをする様に

アウランフィヨルドの方へ向かう。ここは奥深い部分が

幅250M前後と狭く、鏡のような静かな海面に

切り立った急峻な峡谷が映り、絶景かな絶景かな。

遊覧時間約2時間20分の間には途中々この様な集落に立ち寄っていく。

確かにこの船はフェリーで住民の足にもなっているのだ。

周囲の山は標高1700mを超える山々が連なっていて

しかも時たまそそり立った岩山が現れて、迫力がある。

いよいよ到着間近。小さな街が見えてきた。洒落た帆船もあり、

人間の世界に近づいてきた。因みに、ノルウェーの入り組んだ

フィヨルドの総距離はなんと地球の2周半にも及ぶそうだ。

 

終点の街フロム。人口は約500人。フロムには多くの観光客が

有名な鉄道フロム線に乗ろうと訪れる。その数年間約45万人。

とても小さいがチャーミングな街だ。

いよいよ下船だ。夢見心地の2時間20分の船の旅だった。


ノルウェー(オスロ)の街(ノルウェーの旅)

2018-07-31 06:20:52 | 旅 ~海外

ノルウェー王国は立憲君主制をとっており現在の国王は

ハラルド5世国王。この建物がノルウェー王室の居城で

カール・ハンス通りを挟んで中央駅を見下ろしている。

国王陛下在宮時には、ロイヤルガードの演奏も行われ、

平日の13:30には、衛兵交代式も行われる。

ノーベル平和賞の授賞式が行われる市庁舎に近い古い鉄道駅を

利用して造られたノーベル平和センター。

歴代平和賞受賞者の資料などを展示している。

車中から撮ったので何の建物だか分からないが、あまりに立派だったのでパチリ。

北欧の都市は皆、複雑な海岸の所で発達したようで

オスロもバスで走っていると、突然この様な大型客船と出会う。

港にはColor Lineと書いてあり、海外航路の船だろう。

ヨットハーバーのある湾の小高い丘にはこの様なメルヘンチックな

住宅が並んでいる。雪国のせいか、全体的に

屋根勾配がきつい切妻の家が圧倒的に多い。

ガソリンスタンドの価格表示を見るとガソリンが16.39ノルウェークローネ(208円/ℓ)

ディーゼルが15.28ノルウェークローネ(194円/ℓ)と高い。

ノルウェーは北海油田がある為

欧州で第2位の産油国なのになぜこんなに高いのか?

もっともノルウェーは全ての物価が高く、ペットボトルの

水が500円とは本当にビックリした。

次の宿泊地に向かう途中に大きなショッピングモールでトイレ休憩。

ここのモールのシンボルなのか巨大な熊が立っていた。

どうやらこの辺りは熊が出没するらしい。

スーパーの中に入ってみると野菜、果物は豊富なこと

それに比べて魚介系は本当に少なかった。

欧州連合における自動車ナンバープレートは一定の形式を

共有している(ユーロプレートと呼ばれる)。

プレートの左端には青色の帯が入っており、この共有形式は

1998年に定められたものである。このナンバープレートは

国旗があるので分かり易くノルウェーのものだ。

以下、駐車場で見かけた各国のプレートを紹介します。

これはドイツで、一番多く見かけた。国の上に

ユーロのマークが付いている(ユーロ加盟国)。

DK・・・デンマーク この国もユーロ加盟国。

PL・・・ポーランド 昔の共産国も今やユーロ加盟国。

我々の乗ったバスもポーランドの会社、ドライバーもポーランド人だった。

LT・・・リトアニア バルト3国で以前ソ連だった所が今ユーロ加盟国だ。

EST・・・エストニア ここもバルト3国

LV・・・ラトビア ここもバルト3国

H・・・ハンガリー ユーロ加盟国

CZ・・・チェコ ユーロ加盟国

B・・・ベルギー EUの本部がある

NL・・・オランダ

I・・・イタリア

S・・・そしてこれから訪問するスウェーデン

この地域はキャンプのメッカなのか、ご覧の様に無数の

キャンピングカーが駐車していた。丁度バカンスのシーズンに入った為か

この様な所がここ以外にも数ヶ所あった。


ノルウェー国立美術館(ノルウェーの旅)

2018-07-29 06:11:43 | 旅 ~海外

1836年創設、182年の歴史を誇るノルウェー最大の美術館。

1800~1900年代のノルウェーの絵画の作品、

特にエドヴァルド・ムンクのコレクションが有名な美術館だ。

オスロ観光の目玉の1つで開館前から既に列が出来ていた。

開館前なので係員がしっかり入館をガード。アール天井の

エントランスが重厚で歴史を感じさせる。

エントランスから階段を登った中壇の踊り場に最初の作品、

ルノワールのブロンズ像があった。ルノワールの彫刻は

見た記憶があまり無く貴重なものだと思う。

さらに階段を登った所の壁に、クリスチャン・クローグ作(1893年)、

バイキングがアメリカ大陸を発見した絵が飾られている。

これがエドヴァルド・ムンク(1863-1944)のコレクションがある部屋だ。

ムンクは自分の健康問題、父親の死による耐え難い孤独感、

そして母親や姉の死が少年時代のムンクに

死を身近に感じさせムンクの鋭い感受性に大きな影響を

与えたと言われている。81才で亡くなるまで2万5000点に

及ぶ作品を残しその作品すべてをオスロ市に寄贈された。

これがあまりにも有名な作品「叫び」。実は「叫び」は4枚あり、

当美術館が所蔵しているのは背景がオレンジ色のもの。

この作品だけはガラスでガードされていた。

この美術館のすごいのはフラッシュを焚かなければ全館、

写真が撮れることだ。これはブロガーにとってなによりの開放感だ。

「思春期」ムンクの作品は死、孤独、不安、恐怖、をテーマにしたものが多い。

「マドンナ」。ムンクはヨーロッパ表現主義の生みの親といわれ、

外部の情勢や形態にとらわれず、自分の心の中にある

感情をストレートにキャンバス上に表現している。

この絵はハラルド・ソールベリ(1914年)作で当館の一番人気の

作品だそうだ。見てなるほどと感じると思うが、

日本画から影響を受けている作品だ。

この絵はハンスとアドルフの二人の合作作品(1848年)で、

ノルウェーのすべてが描かれていて、ノルウェー人の宝と言われている。

フィヨルドで船に乗り、結婚式を行なっている牧歌的風景画。

クロード・モネの作品(1886年)。他に3点あった。

ポール・セザンヌの人物画と静物画。他にもセザンヌ作の作品が数点あった。

ビンセント・ヴォン・ゴッホの自画像(1889年―1890年)

ルノアールの作品

パブロ・ピカソの青の時代の作品。この時代のものは

あまり見ていないので貴重だ。個人的には青の時代の作品は好きだ。

他にもモディリアーニ、ドガ、オーギュスト・ロダンなど

近世ヨーロッパの作品も所蔵している。

この美術館は、とてもこじんまりして、見やすく素晴らしと感じた。

スーベニアーショップも重厚な雰囲気でとてもお洒落なショップだった。

どことなく宮殿風のカフェ。ここでお茶すると瞬間貴族に成った気分に浸れるのでは。

 


オスロ フログネル公園(ノルウェーの旅)

2018-07-28 07:56:29 | 旅 ~海外

フログネル公園は首都オスロの都心部から3㎞北西にある

都市公園で面積32万㎡もある。公園の一部はヴィーゲラン彫刻公園に

なっており、ノルウェーの彫刻家グスタフ・ヴィーゲラン(1869~1943)の

作品のみ212点が展示されている。メインゲートの正門は

1926年に完成し、やはりヴィーゲランの作品だ。

オスロの市街地にはトラム(現地名トリック)が走っており、

とても便利だ。乗り方は先頭の乗車口から乗って

ドライバーからチケットを購入する。北欧は路面電車が

どこの国も活躍している。

この公園には多くの外国人のグループが来ていて正門に入ると

ガイドさんからこの様に説明を受けていた。

ロシア語を話しているグループが多かった様な気がした。

正面を入った所には、彫刻家グスタフ・ヴィーゲランのブロンズ像があった。

ヴィーゲランは1900年代に公共彫刻を手懸け、

ノルウェーを代表する彫刻家となった。1910年代後半、オスロ市の

図書館建設でアトリエを立ち退きになり、フログネル公園のそばにある

邸宅を新しいアトリエとして提供され、その代り、以後の彫刻・

ドローイングなど全ての作品をオスロ市に寄贈するという契約を交わした。

以後の生涯を彫刻公園の設計のための作品製作に捧げ

公園の完成を見ないまま1943に没した。

これが公園の案内図。

縦の軸線に沿って6つのセクション(正門、橋、子供の遊び場、噴水、

モノリスの台地、生命の環)に分かれて彫刻が展示されている。

正門から橋に向かってのマロニエの並木道。

マロニエはセイヨウトチノキとも言われ、成長すると

30m以上の高さになる。花は通常白色で赤い斑点があり春に咲く。

果実は緑色で柔らかいとげがあるカプセル状で

トチの実と呼ばれるナッツのような種子を持つ。

どうやらノルウェーはメロニエの北限の様だ。

橋の両サイドの欄干には公園の彫刻のうち、58点が展示されている。

その彫刻はブロンズによる人物の群像だ。

その向こうには噴水、そしてその上には巨大な石柱(モノリッテン)が

そそり立っている。とても華やかで素敵な光景に感動した。

多くのブロンズ像により一際大きな石像。ヴィーゲランの

彫刻は人生の様々な状態というのが全体のテーマだ。

 

 

多くのブロンズ像の中で目に付いた像を紹介します。

先程も書きましたが「人生の諸相」がすべてテーマに成っている。

そんな視点で見てもらえれば・・・。

読者の皆さん、ご覧になって如何ですか?

橋の左右にはとても手入れの行き届いた庭園が広がっている。

ベンチの横にも小さな彫刻が飾られている。

多くの彫刻がある中で来訪者に一番人気があるのが

この「怒った少年」像。顔をしかめて泣き、地団太を踏む幼児の姿が

多くの人に伝わるみたいだ。両手が金色に変色しているのは

皆手に触れるからだとか。あまりの人気に一時壊されたこともあって

遠くにこの像だけ監視カメラが設置されている。

池をまたぐように長さ100m幅15mの石でできた橋が架かり、

欄干の向こうにある「怒った少年」像を多くの来訪者が取り囲んでいた。

橋を渡って子供の遊び場にはこの様な彫刻が。

バラの花が植えられた子供の遊び場広場から、次の噴水エリアへ。

近づけば近づくほど巨大な噴水だ。この噴水は1947年に完成。

やはり噴水には人を魅了する何かがある。暫し見入ってしまった。

逆に噴水から正門ゲートに向かって撮った一枚。

公園前には瀟洒な大邸宅が並んでいる。

一体どこの国の女性だろう。サングラスがよく似合う

モデルみたいな女性をパチリ。

噴水の周りグルリと人の一生の苦悩と喜びを表しているような

ちょっと異様な彫刻が並んでいる。

一段と高くなったモノリスの丘の中腹から正門ゲートに向かって。

巨大な石柱(モノリッテン)に入る前にあるレリース状のゲート。

そしてこれが無数の人が彫られている巨大な石柱(モノリッテン)だ。

遠くで見るとちょっと変わった塔に見えたが近づくにつけ

「一体これは何だ?」と無言になっていく。

又かわいい石像を発見。小さな女の子が男の子をみらみつけている。

その表情が何とも言えない程、訴える力がある。

以上これらの彫刻を構成する老若男女の人物合計600以上にもなる。

ヴィーゲランはその1つ1つの作品の原型を粘土で

原寸大で作成し、それらを職人たちがブロンズ像や

石像に仕上げ庭園内に配置していった。

1930年製作の日時計と1933~1934年製作の生命の環。

1950年までにほとんどの作品が設置され、庭園には

ヴィーゲラン以外の作品を置かれておらず、

24時間無休で開放されている。


オスロ近郊の田園風景(ノルウェーの旅)

2018-07-27 06:22:15 | 旅 ~海外

 

一泊目の宿泊ホテルはオスロ・ガーデモーエン空港の

隣のSCANDIC OSLO AIRPORT。

この近くには空港を意識した似た様なホテルが幾つもあった。

道路標識には英語とノルウェー語が書かれている。

ノルウェーは立憲君主制の国で国土は日本とほぼ同じ。

人口は約520万人。主な宗教は福音ルーテル派が大多数を占めている。

ホテルをチェックインしてから近くを散策。

すぐ近くは麦畑で牧歌的な風景が続く。

辺りを見回してみると、一番目に付いたのが薄紅紫色をした花、

ヤナギランだ。分布はヨーロッパ、アジア、北アメリカで、群落して咲いている。

実はこのヤナギランが今後の旅でとても話題になった。

次にこの旅で目に付いたのが、この鳥だ。

遠くから見るとカラスに似ていて、同じ様にゴミ箱でエサをあさっていた。

大きさはややカラスより小振りで姿は真黒ではなく

首の回りがグレー色だ。鳥に詳しい方是非コメント下さい。

日本ではまだあまり見かけないロータリー交差点(円形交差点)の道路標識。

北欧では随分見かけた。自分で運転したことが無いので

分からないが、バスから見てもちょっと頭が混乱してしまう。

きっと良さがあるのだろう。

海抜が高いわけではないが、高山系の白樺の木が沢山茂っていた。

きっと北緯が高い為だろう。

地震が無いということは建築に関しては基本的に変わってくる。

この家を見ても柱の下に俗にいうピンコロ石(束石)が

置いてあるだけの様に見える。これでは日本では物置か犬小屋レベルだ。

早朝散歩で田園地帯を歩いていくと、お洒落なモーテルみたいなホテルに遭遇。

眩しい程の朝日が建物にあたり、とってもロマンチックな気分になった。

広々として麦畑にも朝日があたり、麦畑が黄金色に変わる。

とても高貴な風景で心が洗われる。やはり早起きは三文以上の得だ。

起伏がある麦畑と雑木林に朝日が注がれてた所と

まだな所に分かれこれが刻一刻と変化していく。

ポエムな時が流れる。

夕陽の影はよく見るが、こうしたはっきりした朝日の影、しかも

こんもりした植木がスクリーンになって、もうアートだ。

思わず気持ちがよくなって片手でバンザイ。

田舎のバス停といった感じ。ちょっと前まで美しいキャビンアテンダントさんが

制服で立っていた時は、一幅の絵を見ているようだった。

AM4:45頃の道路。ようやく眠りからさめて、

町が動き出すといった感じの道の状況だった。

全体的なホテルの雰囲気からして、朝食はあまり期待していなかったが

良い意味で裏切られてとても美味しいものであった。

ホテルの食事は当ホテルからスタートだが、

どこでも出てきたのが、特産のじゃがいも丸ごと(小さ目なもの)

サーモン(やはり本場旨い)そして北欧すべてが

そうだったがサラダにドレッシングがない。ゆで卵がボイル器の

中に入っているのは初めて見た。

朝食レストランで思わず目を釘付けにさせられた女の子のアカチャン。

なんともいえない首振りが続き、一生懸命おしゃべりしていた。

愛くるしさそのもの。