アトランタの観光名所の1つになったワールドオブコカ・コーラ博物館は
1990年8月3日にオープンした。コカ・コーラ誕生の地はアトランタで
この博物館でコカ・コーラの全てが分かる。
ここの入場料は大人、17$とちょっと高い。それでも大勢の人が来て
コカ・コーラワールドに浸って楽しんでいた。
入場すると最初に4種類のコーラが試飲できる。
黒い缶はzero、緑の缶は初めて見た。
試飲が終わると「ザ ロフト」という部屋に入る。壁には100年以上前の
ポスター、宣伝グッズなど所狭しと展示してあって
アメリカのポップカルチャーの香りがプンプンする。
又、早口でちょっと巻舌の英語を話すこのオジさんがまた良い。
所々で笑いを取っていたが、悲しいかなその意味が分からない。
多分、世界で最も成功したブランドの詳しい歴史やその精神を語っているのだろう。
次のコーナーはミニシアターで世界中でコカ・コーラが親しまれ、
愛されている様なPR映画を見、このザ ロフトのオジさんが
コメントしていた。終わるとこの大きなスクリーンが開いて
次のエリアに導かれる。エンターテイメントの国だけに
この仕掛けは「やる~」といった感じだった。
1886年に販売を開始したコカ・コーラ。コーラは様々な謎を
抱えたまま大衆に迎合された。その謎に関していくつかの都市伝説を生んだ。
コカ・コーラの瓶は女性のボディラインを参考にした。
過去に偽物が出回った為、暗闇で触ってもすぐ分かる様に、
この型に成ったというのが真相みたいだ。
サンタクロースが赤い服を着ているのは、コカ・コーラのCMが元祖。
このCMが流れる前からサンタの赤い服の絵本はあった。
が、世界中に広めたのはコーラのCMの力があった。
他にも、コカ・コーラは民主党派 ペプシ・コーラは共和党派(?)。
コカ・コーラを飲むと骨が溶けるという噂話が1970~1980年前半まで
広く流布した。この写真の真ん中奥に金庫の扉が写っているが、
コカ・コーラのトップシークレット「原液」の秘密レシピが
2011年、創業125周年記念事業の一環としてここに移されたらしい。
コカ・コーラのマスコット白くま君と記念写真を撮る若い女性。
幸せの瞬間だ。
コカ・コーラの発明者ジョンペンバートン博士。コカ・コーラの名称由来は
コカの葉(成分としてコカインを含む)とコーラの実(当時はアフリカ産)を
原材料として作った為。1903年以降はコカインの成分は含まれない。
館内にはコーラの昔の看板コーナー、コカ・コーラ誕生の歴史、
世界中の瓶の変遷。昔使われた自動販売機など、コカ・コーラの
総てが分かり易く回遊しながら知ることが出来る様に成っている。
誰もが見慣れてしまった「coca cola」の書体はこの肖像画の人が書いた。
そして命名者はコーラの発明者ジョンペンドール博士の
友人総理担当のフランク・ロビンソンだ。
この昔の自販機はレバーを押すとコーラが出てくる音がし、
栓を抜いた時のジュワーという音も出る。この女の子は何度も楽しそうに繰り返していた。
戦争中も戦地で兵士はよくコーラを飲んでいたというコーナー。
私達日本人がコーラを目にし出したのはコカ・コーラが
テレビでCMを開始した1960年代初めの頃か。因みに
日本でコカ・コーラを製造開始したのは1957年(昭和32年)から。
歴代のオリンピック聖火のトーチが展示してあって
デザイン大きさなど目の前で見ることができ、大変興味深かった。
そういえばコカ・コーラはオリンピックはじめ
各種のスポーツイベントに協賛していることが多いことを思い出した。
過去のコカ・コーラが関わった絵、写真などのポスターの展示コーナー。
このミュージアムをここまで見てきて、コカ・コーラそのものが
アメリカの一部に成っている様な気がしてきた。
コカ・コーラ社が世界中で製造している商品の入れ物(瓶、缶、ペットボトル等々)。
真ん中の丸くなった所に原点のコカ・コーラの瓶がある。
縮小サイズのボトリング工場。クラシックサイズのコーラが
ボトル詰めされる様子が観察できる。世界のコカ・コーラの
製造システムは、ザコカ・コーラカンパニーで調整されたコーラの原液
(この成分を知っているのは最高幹部のみ)を世界各地の
ボトリング会社に流通。現地各社によってコーンシロップ、
砂糖などで薄められ、炭酸水で割られて造られる。
4Dシネマ「秘密のレシピを探せ」というフィクション映画を上映している。
最後のこのエリアでは、世界各国のコカ・コーラブランド製品を
試飲することができる、その種類の数は60種類以上だ。
アジアエリアで8種類ある。
博物館を出るとそこはかなり広いショッピングエリアだ。
ここコカ・コーラストアーでは限定グッズなど
ここでしか買えないお土産品が売っており、大いにショッピングが楽しめる。
ワールドオブコカ・コーラ博物館を出ると広い広場に成っていて、
道にはロータリークラブのPR広告塔が並んでいた。