スミダマンのほのぼの奮戦記

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茶道三千家

2021-05-01 06:40:15 | コラム

この通りの先に表千家と裏千家の宗家が並んである。

まさに表と裏だ。

茶道の流派のうち、表千家・裏千家・武者小路千家を総して三千家と呼んでいる。

千利休の後妻の連れ子で、娘婿である千少庵系統の家であり、

本家の堺千家対して傍系に当たる。表千家3代・元伯宗旦の三男

江琴宗左が家督を継承し「不審庵」表千家となり、宗旦の

隠居所を四男仙雙宗室が継ぎ「今日庵」裏千家となった。

さらに一度養子に出ていた次男、一翁宗守が千家に戻り「官休庵」

武者小路千家を称し、三千家が成立した。

ここ裏千家は千利休から家督を継いだ本家の表千家(不審庵)に対して

分家裏千家の今日庵が通りからみて裏にあることに由来する。

今日庵の茶室は裏千家の代名詞でその由来は宗旦が亭主をつとめた

茶席に遅れた清厳和尚に所用があるとして留守にした宗旦が

明日の来席を請うた際に残した清厳和尚の「懈怠比丘不朝明日」の

書付から付けられたという。裏千家は茶道諸流派中最大の流派の一つで

家元は千代である千雙の諱「宗室」を受け継いでいる。

今日庵の向かい側には茶道資料館があり

「裏千家の茶室建築」の特別展を開催していたが

その前で警備していたガードマンがなぜだか「ここには関係者以外は入れません」

「やたら写真は撮らないでください」と強い口調で注意してきたので

馬鹿馬鹿しくなってこの場をすぐ移動し隣の表千家に向かった。

こちら表千家は千利休を祖とする千家の家督を継いだ千家流茶道の本家であり

「不審庵」は表千家を象徴する茶室だ。この号は「不審花開今日春」の話に由来する。

現在の家元は千利休から数えて15代目楢有斎(ゆうゆうさい)千宗在家元。

代々の家元は紀州藩主である紀州徳川家(御三家)の茶頭としての

格式を誇り、三井家とも縁があった。

表千家の家元は4代である江琴の諱「宗在」を受け継ぎ家元後嗣(若宗匠)は

「宗員」隠居としてからは元伯の諱「宗旦」を名乗る伝統である。

表千家「不審庵」の裏側、妙顕寺参道の前にある茶道会館。

とても立派でしかも真新しい。

この武者小路千家は表・裏千家とは別に、早朝散歩で来た。

宗家は上京区武者小路通り小川東入にある。

この所在地が武者小路千家の名の由来になった。

武者小路千家の茶室は「官休庵」と言う。

武者小路の7代直斎は武家出身の養子。

表千家7代裏千家8代らとともに家元制度を整備し多くの門人を受け入れ

中興の祖と称されている。武者小路の家元は一翁の諱「宗守」を受け継ぎ

家元後嗣は「宗屋」隠居してからは元伯の諱「宗安」を名乗る伝統である。

表・裏千家宗家の前面道路とその前を緑豊かな

流水が流れ、すごく良い「気」を強く感じた。

ここで三千家の点前作法で比較的目立った違いに触れてみましょう。

・裏千家は薄茶をよく泡立てる。表千家、武者小路千家では泡をあまり立てない。

・裏千家の茶筅は白竹のものであるが、表千家では爆竹を

武者小路家では胡麻竹(染み竹)を用いる。

・菓子器は裏千家が蓋なしのいわゆる鉢。表千家と武者小路千家は蓋付きの

すなわち喰籠(ジキロ)を使う。

・近年の話だが道具の箱の紺色が裏は深い緑、表が黄、武者が茶と紺である。

・女性の袱紗(ふくさ)は表千家は朱無地だが裏千家は赤または朱無地のどちらか。

男性は紫無地が主流である。

尚、各三家とも家元は利休を初代として数える。

裏千家今日庵の前にある日蓮宗の本山本法寺。

創建は永亨8年(1436年)開山は日親だ。

仁王門から入り多宝塔方面を眺めると春爛漫そのものだ。

このエリアは寺院が沢山ある。

こちらは宝鏡寺という臨済宗の寺院。

後水尾天皇の皇女理昌尼王が入寺してから尼門跡寺院として栄え

今日も百々御所の名で知られる。