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1919(大正8年)に別荘として築かれた、大正昭和の浪漫あふれる
名邸起雲閣(熱海市所有)は市の指定有形文化財で、
文化と観光の拠点として公開されている。因みに起雲閣は非公開の
岩崎別邸、今はなき住友別荘と並び、「熱海の三大別荘」と称賛された名邸だ。
当閣が有料入館を始めてから今年2月8日で入館者数が
10万人を達成したらしい。この案内図を見れば分かると思うが
市街地の中心にも係わらず、敷地が3000坪に及ぶ広大な邸宅だ。
これがしっかり整備された緑豊かな庭園。回遊式に成っていて
訪れた人は、そこに歴史の絵筆を見ることが出来る。
この庭園は昭和の時代、鉄道王の異名を持つ実業家
根津嘉一郎氏の手により整えられた。
政・財界で活躍し海運王とも呼ばれた内田信也により
大正8年に建てられた1階が麒麟、2階が大鳳とも呼ばれている
純和風の建物。壁は目に鮮やかな群青色を使っている。
この色を見ると金沢の東茶屋を思い出す。
硝子は昔製造された手作りのもの。よく見ると歪みがあり、
それが味わいとなって伝わってくる。
庭園に面した喫茶室「やすらぎ」。見学や催し物の合間に
落ち着いた雰囲気が楽しめる。
根津嘉一郎氏により昭和7年に建てらえた洋館。日本の神社や寺に
見られる建築的特徴や中国的装飾、アールデコが彩る
「玉姫」と中世英国のチューダー様式を用い床の間的な空間や
サンスクリット語の装飾をあしらった「玉渓」が独特の雰囲気を放っている。
小口タイルも手作り感があり、配色も気に入った。
起雲閣は昭和22年に旅館として生まれ変わり熱海を代表する
宿として数多くの宿泊客を迎え、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎
太宰治、舟橋聖一、武田泰淳など日本を代表する文豪たちにも愛されてきた。
この時期は「金色夜叉」など熱海と縁がある尾崎紅葉の企画展が行なわれていた。
そう言えば、先日青山墓地に尾崎紅葉の墓を訪ねたっけ。
昭和4年に建てらえた洋館では、格調高い迎賓の雰囲気が溢れる
「金剛」が、かつての栄華を今に伝えている。
甘美な趣きをたたえるローマ風浴室では、かつて舟橋聖一が孔雀の間で執筆し
溝口健二が監督した「雪夫人絵図」の撮影も行われた。
先程と逆方向から撮った池と庭園の一枚。
熱海に春の訪れを伝える椿の花をパチリ。
ここ孔雀の間では1992年12月、第5期竜王戦で谷川浩司と
羽生善治が激しく火花を散らした舞台となった。
伊豆、熱海では梅も似合うが、最近は河津桜も絵に成ってきた。
起雲閣は時を止めた美の中で心地良い気持ちに浸れる素晴らしい場であった。