スミダマンのほのぼの奮戦記

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東京カテドラル 聖マリア大聖堂

2022-06-27 06:22:10 | 建物

目白通りに面し、ホテル椿山荘の前、獨協中・高校の隣りに

凛々しい雄姿を誇っている教会が有名な「東京カテドラル聖マリア大聖堂」だ。

この大聖堂の歴史は明治32年(1899年)に聖母仏語学校(致瑰塾)の付属聖堂として建てられ、

明治33年(1900年)に関口小教区の聖堂となり、大正9年(1920年)に東京大司教座聖堂となった。

当時は木造ゴシック式の聖堂で、信者席には畳が敷かれており、

履き物を脱いでから聖堂に入ることになっていました。

その後、昭和になって中央信者席に椅子が設けられるようになりました。

昭和20年(1945年)の第二次世界大戦の東京大空襲によって焼失しますが、

ドイツのケルン教区の支援によって再建設が決定し、

故・丹下健三氏の設計により昭和38年(1963年)4月に竣工、

昭和39年(1964年)12月8日に落成、献堂式が行われました。

当教会の構造は鉄筋コンクリート造HPシェル(双曲放物面)、

高さ大聖堂最高部39.41m、付属建物の鐘塔61.68m、床面積3649.9m、

地階、1階、中2階、中3階、仕上外装、ステンレススチール及びアルミサッシ。

8面の双曲放物面を垂直に近く立てた構造は、一大十字架形を形づくっています。

外装のステンレス張りの輝きは、

社会や人の心の暗闇を照らすキリストの光を思わせるものです。

プレキャスト石張りの周壁は「主はわが岩、わが城、わたしを救うもの」(詩篇18-3)と

聖書にあるように、神がすべての人のほんとうの心のよりどころであることを示すもの。

大きく手を広げたようなそのさまは「ずべて苦労して、重荷を負っている人たちよ、

わたしのもとに来なさい」(マタイ11-28)と招いているかのようです。

カトリック教会には、教会の行政や指導のための地域的区分があり、

これを「教区」と呼びます。

日本には16の教区がありますが、それぞれの責任者である司教(大司教)が

儀式の際に着座する椅子をギリシャ語で「カテドラル」といいます。

伝統的に司教の紋章が付いた赤い椅子で、

この司教座のある教会を「カテドラル(司教座聖堂)」といいます。

関口教会は東京教区の司教座聖堂であり、聖マリアに捧げられたため

「東京カテドラル聖マリア大聖堂」といいます。

カテドラルは、いわば教区の中心的な教会です。

教区全体の行事、集会もここで行われています。

東京カテドラルの構内案内。

大聖堂を中心にカトリックセンター、東京カリタスの家、東京大司教館、

ペトロの家、関口会館、聖園幼稚園で構成されている。

61.68mの鐘塔はドイツから輸入されたものですが、

製作者は日本各地の鐘の音色を研究し、苦心して日本的な音色を出すよう努めた。

鐘の音は神に向かって祈るよう語りかけ、人々をここに招き寄せます。

祭壇はキリストによる最後の晩餐の食卓をかたどっている。

キリスト者はこの食卓を囲み、キリストの救いの恵みにあずかるために、ミサ聖祭を行う。

背面から大理石を通して、柔らかな光が差し込む十字架は

キリストによる救いを象徴するもの。

また、大聖堂は空から見ると大きな十字架の形をしている。

聖堂内から天井を見上げると、その形を知ることができる。

ここは洗礼を受ける洗礼室。

洗礼はキリストの教えを受け入れ、

キリストに従って生きることを希望する人々に授けられる神の恵みです。

ピエタ像。

ピエタはイタリア語で「非哀」を意味する。

キリストが人類救済のために、十字架上で死去された後、

聖母マリアがその亡骸を膝に受けて、ご苦難のあとをしのび、

そのかぎりない愛を瞑想する姿を現したものです。

(サン・ピエトロ大聖堂蔵、ミケランジェロ作の原寸大レプリカ)。

正門横にある関口会館1階内にあるショップ「スペースセントポール」。

種類豊富なみやげ物などのグッズが販売されていた。

この大聖堂前の目白通りを渡ったところにあった「OTOWA FARM」という

お洒落なカフェレストランを発見し立ち寄ってみた。

ここでは新鮮な野菜も販売されていた。

このエリアには椿山荘もあり、とても素敵なエリアだ。

 


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1 コメント

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Unknown (ピエリナ)
2022-06-27 18:31:11
こんばんは🤗

興味深く読ませて頂きました。
いつかぜひ訪れてみたいところです。
ありがとうございました💕
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