彼は、私が北嵯峨高校赴任の時に会いました。と?・・
辻 君、彼は以前にもパキスタンへご家族で日本人学校の先生として3年間出掛けられていた。その後アメリカニューヨークへも2年間と、さて今回は、2年間メキシコへは単身で日本人学校の先生として出掛けられていた。私にとっては考えられない生活が展開されて来た事あろうと、私には想像すらできません。・・帰国して・・色々とお話できればとお便り頂きまして、本日、彼が守山市今浜迄来て頂きました。ついつい、私の悪い習慣で喋りすぎる事をよくよく心してはいたのですが・・! 7ー3位でしたかネ!・・彼は、根っからの良い意味での先生なんですね・・相手の主張を聞いてあげて、対応すると言うタイプなんでしょうね・・50数年前辻君18才、その時、私は29才で担任をしたのでした。確かその時代は一クラス55人?マンモス学級、現在は果たして何人のクラスかな?40人?30人!今、中学校の目標クラス人数は35人が当面の目標の様です。
11時の約束でピエリの北隣のジラーファ・カフェ
私の体調管理不足で、辻君にはご迷惑を掛けました。朝がメインで、毎日午後2時から3時に遅い昼食が習慣の私は、先ず飲み物だけ注文になって後程にランチと思ってましたら・・ランチを頼む時には店内満席状態で追加ランチは無理とマスターが・・!それでは私の部屋でと、急ぎ帰宅と辻君を案内いたしました。バタバタと失礼な事でビーフンとライスバーガー?ほうれん草スープと茹で絹さや、コーヒーに、抹茶と和菓子と矢継ぎ早に提供したわけです。勿論、今どき黙食が普通なのに、私のマナーは恥ずかしいばかり、・・3時頃雨模様!急ぎ畑へ案内・・東〇氏と挨拶と紹介、あと山脇君のキュウリハウスへ、
辻 先生 と 山脇君
毎日の収穫の様子 ハウスで説明を・・
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辻君がスマホで情報を提示されました。以下新聞の記事をupいたします。
彼の姪子さんの話、(3月17日の新聞記事で大きく取り上げられました。)
辻 良造さんと農業手掛ける二人のお孫さん!
==祖父の地で==
今日は、先にも言ったように、彼(現役の先生マインド)は聴く側に徹して頂きました。何とも私は、彼の多くの先生がおられる中で、御家族と同行で、先ずパキスタンの日本人学校へ3年、続いてアメリカ・ニューヨークの日本人学校へ2年間、その上、この度は単身でメキシコの日本人学校へ2年間と文科省の派遣のテストを通過して派遣されると言う。全く私の辞書には無い先生道を歩まれたのです。敬意を表します。そして、帰国後、京都在住の外国から京都に来られている子女達へ、日本語担当教員として現場に復帰されております。稀有な経験を有する京都の先生として期待される先生として、イキイキ元気で活躍が嘱望される先生です。私は彼から学ぶこと多くあると確信しております。==教え子に教えられる==
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【歩きメモ】10256歩・7.3km・30g・1612kcal
日記風575
「喋るな! 彼の話が 聴きたくて」
なのに何故喋るか?
「掌で 転がり過ぎよ コロコロと」
沈黙が怖い?
以下辻氏作
「久しぶり 恩師の笑顔(に) ほっとする」
「雄大な 琵琶湖の湖畔 師の住まい」
ー1年前のブログ参照ー
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