誠に恥かしゅうございます。
日本の台湾統治は1895年(明28)4/17~1945年(昭20)10/25の50年間
であった。
![](https://i.ytimg.com/vi/36Ct1qPaK3Q/mqdefault.jpg)
【後編】「サムライ精神4カ条」 - 台湾で語り継がれる日本人の強さの秘密3/3
【新プロジェクト】『台湾ボイス』の詳細はこちら↓ https://in.taiwanvoice.jp/futavo_m_norm?cap=y...
youtube#video
関連して、視聴されると上の動画中の"さいこんさん"氏の説明です。
"蔡 焜 燦" 氏
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台湾の近代化に貢献した日本人は数え上げると何人になるのだろう。
私の勉強不足をお許し下さい。明石元二郎氏や八田興一氏は名が直ぐ出るのですが、
少し猶予を下さい。台湾の人から神・仏と崇められた偉人含め、改めて調査したいと
思ってます。第4代総督・児玉源太郎氏が ↡後藤新平氏を起用した。
そして新渡戸稲造氏(児玉と後藤が台湾農業振興の為、新渡戸を招いた)
医師でもある後藤は先ず社会衛生から手をかけ、アヘン撲滅、風土病で多くの死者
台湾医学校の設立、清潔な市街を作った。次に西郷菊次郎氏(西郷隆盛の子)の治水
工事で水害を止めて民衆有志は彼の石碑3m建て感謝を、公衆衛生、治水、産業振興
(新渡戸による製糖産業・1940には世界有数の生産量)、と並んで重視したのは教
育である。日本統治開始から伊沢修二氏(文部省から登用)伊沢は7人の教師と共に
芝山巌学堂開き、日本統治に反対する族と死をも覚悟で教育に打ち込んだ。が伊沢の
一時帰国時に反対派に6人は惨殺されてしまった。「命をかけて教育に当たる」と言う
"六氏先生"の芝山巌精神はその後長く台湾教育の指針とされた。昭和5年に芝山巌神社
が創建された。芝山巌学堂が開かれて満百年にあたる平成7年、多くの関係者による
「開校百周年記念祝賀会」が盛大に開かれた。
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一旦・・台湾事情その2を閉じて・・その3に譲りたいと思います。もう少し当方も
丁寧なブログとさせて頂きたいと思いますのでご理解下さい。
以下の方々を、その3と予定してます。
☆台湾の神様になった森川巡査 森川清治郎 氏
☆蓬莱米を開発した末永仁と磯永吉 各氏
☆台湾の土となった明石元二郎 総督 ※名前先掲載
☆東洋一の大水利事業を完成した八田興一 氏 ※名前先掲載
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【歩きメモ】
9807歩・7.2km・25g・1934kcal
日記風川柳
「敗戦は 決定的な おじ気へと」
「勇気とか 挑戦など 心無く」
「負け犬の おどおど震え 今もなお」
「戦前の 心根に似た 真リーダー」
老いては、子に従え 歴史に学べ新人類
―1年前今日のブログ記事ー
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