びわ湖・勝手気ままな日々!

温故知新!大切ですね、次代に生きる方々の知恵と活力となります。令和時代を健康で楽しみましょう。

日本の命運を左右する台湾・・その3

2020年11月08日 | 日記

私の旅行はある高校の教頭職時に当時の学校長から、こんな風に話されました。

それは、先生と言う限られた世界だけで無く、視野広く今のうちに国内・海外へ

旅する事を進められました。(校長先生)私の許可の下で大いに研修しなさい。

中国・韓国・タイ・カンボジア・マレーシア・スイス・グアム・オーストラリア・台湾

計20数回の海外の旅と国内は47都道府県全てへ訪問させて頂きました。学ぶ事大

今の私があります。台湾は特別多く10回を超して訪問しています。パスポートで

確認しますと36回の海外の旅をさせて頂きました。この事も52歳時のアドバイス

が切っ掛けですね・・

さて、タイトルは今後の世界情勢下における問題で、他国の選挙も大変重要ですが

アメリカ・台湾・日本の民主国家が連携してアジア太平洋の安全確保には欠かせず

あることを強く思います。

次の動画をどうぞ・・6分と少しです。

【クイズ】なぜ、韓国は反日なのに台湾は親日なのか?

<累計3万部突破!>藤井厳喜×林建良『台湾を知ると世界が見える』 https://in.fujii-worldforecast.jp/fut...

youtube#video

 

 

【新プロジェクト】台湾ボイス 公式トレーラー|藤井厳喜×林建良

【新プロジェクト】『台湾ボイス』の詳細はこちら↓ https://in.taiwanvoice.jp/futavo_m_norm?cap=y...

youtube#video

 

 

 

 

日本の台湾統治50年間で台湾の民主国家に力を注いだ日本人達

何度もの重複を失礼!また、追記文も順次upさせて頂きます。ご了承願う。

~~~   ~~~   ~~~

児玉源太郎(第4代総督)⇔後藤新平(当時42歳)⇔新渡戸稲造(さとうきび栽培)

西郷菊次郎(治水)台湾東北部、宜蘭の庁長として活躍し、毎年氾濫を工事成功で

※『西郷隆盛の子』水害根絶し民衆から感謝された。3m大の石碑を立て彼を讃えた。

伊沢修二(教育)初代台湾総督へ教育を最優先すべきと具申し、自ら責任者となり

        7人の教師と共に芝山巌学堂を開いた。「命をかけて教育に当たる」

        と言う芝山巌精神は長く台湾教育の指針とされた。

森川清治郎(台湾の神様になった森川巡査)

        明治30年に台湾へ、今の嘉儀県の派出所勤務、村内の治安維持と

        合わせて寺子屋を設け子供だけでなく大人たちに日本語の読み書

        きを教えた。誠心誠意村人と接した。新たに村民に課税制定に貧

        困な上更に、実情を支庁長に税の軽減を訴えたところ、森川が村

        民を扇動していると曲解され、懲戒処分された。この懲戒は無念

        やる方無かった。そして自決した。村民たちは制服制帽の姿を木

        像で作り義愛公様と呼んで祀った。

末永 仁、磯 永吉(蓬莱米、膨大な挑戦の成果)

        明治43年(1910)「コメを改良して、台湾農民に生きる道を」と

        二人は10年の歳月をかけて、千余種の改良品種の実験し、ついに

        「台中65号」開発に成功!気候に合い・収量性・耐病性、そして

        美味の画期的な品種、大正15年当時の伊沢総督は「蓬莱米」と命名

        磯氏博士号を得、台北帝大農学部教授となる。作付指導に力発揮

八田興一(大9~10年大規模ダム【八田ダム】)

        東洋一の大水利事業を完成した八田興一・・私も現地へ訪問致しま

        してブログupもさせて頂いております。2018/5/12八田ダムブログ

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明石元二郎(第7代総督、『台湾教育令』李登輝等現地リーダー多数育成)

        先ず各地の巡視を丹念に実施民情の把握4に勤める。殊に台北刑

        務所の巡視では、24、25歳の受刑者が多いと知り「それはまこと

        に相済まぬことである」と言った。日本統治が始まってから生ま

        れた子たちだ。日本統治に至らないところがあるため青年の犯罪を

        生んでいると考え、更なる善政への決意を新たにす。1年4ケ月の

        短い在任期間で台湾新教育令(台湾人の帝国大学へ道を開き)又

        道路や鉄道の交通機関整備、森林保護の促進等精力的に進めた。

        台湾統治力を注いだ明石総督は赴任後1年間余りで病死され。遺言

        で台湾に埋めてくれと希望。人々の多額寄付て壮大な墓が出来た。

浅野総一郎   国際的港湾・高雄の発展に寄与した日本人がいた。「浅野セメント」

        で知られる浅野財閥の創業者、浅野総一郎だ。難工事を成し遂げ、

        高雄港の礎を築いた浅野総一郎の功績は、その巨大さの割に今日

        の日本や台湾において十分に知られていない。

賀田金三郎   日本統治時代の台湾東部には、日本の地方から多くの農漁業者が

        移民した。その第一陣となった花蓮・賀田村への移民の道を開いた

        のは、山口県出身の賀田金三郎だった。民政長官・後藤新平の信頼

        を勝ち取る。実は、官営移民に先だって、私営移民が行われていた。

        その中心になったのが賀田金三郎という人物だ。台湾で賀田組を立

        ち上げ民間で移民を募り賀田村を造った男である。

~~~   ~~~   ~~~

【歩きメモ】

8120歩・6.8km・17g・1810kcal

日記風川柳

「破滅へと 呑気に浮かれ 我が国土」

「マスコミは 私人の利権 守るのみ」

「おのれさえ 予想もしない 苦難待つ」

「強く生き 願い話して 強く撚り」

 紙縒り(こより)=藁を撚る(ワラをよる)

 

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