結局!・・優勝者はエチオピアの選手でした。
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これ迄、悔しい思いが続いて、このままでは終われない!想像付かない練習を積み上げて、野口みずき選手の持つ日本記録を更新して、2位に入ってオリンピック大会の出場権を得たのが、とても感動的でした。
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日本人第2位は、・・後半の粘り・・松田瑞生選手
日本人第3位は・・前半のハイペースに後半失速・・全体で5位と、
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レース中の写真数枚・・
これら小さな写真は、クリックして貰えば、拡大致します。そして、
画面の左上←をクリックしますと、元に戻ります。
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私が試合前から緊張する由縁・・
マラソンの実況中継が始まる迄は、私は、ソワソワ(ワクワク)午前中にやるべき事も、手に付かず、人生を賭けて精進して来た事を思い返して、我が事の様に緊張をしておりました。
私は、過去に、丹波篠山マラソンに13回出場致しました。私の専門種目では無いマラソンを、吉田さん!楽しい走りをしませんかと、強く誘われまして 早いとか、遅いとか度外視して、一緒に出てみましょう。に乗せられて、苦手な持続走を皮切りに、その準備を始めたのが、確か43才の時・・強く誘ってくれたのは、ご存じの方もあるかと思いますが、「受験生ブルース」を歌った、高石とも也氏でした。彼も、走り始めたのが、実は45才位だったと思いだします。彼が、京都市内コースを走る京都マラソンに出場して完走して・・異常に大喜びで、飛び跳ねる様にしてゴールインする様子を見て、大会の手伝いの私は、無事、完走出来た喜びを、身体いっぱいで表現して喜び(大はしゃぎ)でゴールインしてバスタオルを思わず、掛てあげたのがそもそものキッカケでした。(誰も知るランナーの瀬古選手もその京都マラソンに出場して、体力を消耗しきってぶっ倒れた大会として多くのマラソン愛好者なら知る大会でした。)当時、私は京都府に新設されて間もない京都府立東宇治高校で、全校生徒へのプログラムとして、名物のマラソンコースを設定(2つの山を往復、曽束大橋が折り返しで)して、生徒達から恐怖の大会とのネガティブな思いが大きい大会と目されてきていた。・・いよいよ大会3回目かの事前生徒へのプログラムとして、何と、マラソン完走で大騒ぎてゴールした「フォーシンガーの高石とも也氏を招いて」大会前日の全校生徒へ向けての、「走る楽しさ」を講演と彼のフォークソングを聴いて、翌日全校生徒と一緒に走って貰うというプログラムをとも也氏と打ち合わせて、実施出来たのです。もちろん新設東宇治高校としての名物行事となったのです。そんな関りから、当方始め多くの先生方も、篠山マラソン大会へ出場と言うのが、先生方の中でも多くが挑戦する雰囲気が広がったわけです。後に、教育大学附属高校へ転勤となり、新たな転勤先でもマイクロバスで走りっこ魅力に、私だって触れてみたいと、それまで、運動経験の無い先生までも、加わって、とにかく篠山マラソンをスタートしてほぼ歩きで全参加ランナーが楽しそうに、しかし、自分流に歩き・かけあし・又も歩きで、マラソンへ挑戦するという共通の課題に、何千と言う人達と、こころが一つになる。心地よさを感じて、初めての何とも言えぬ快感を得たという。感想を・・とも也氏の一緒に走りませんかの、お誘いから、こころの一体感を感じての・・感謝の言葉は値千金でした。・・続きあり、近いうちに続編を・・
=お待ちください=
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今日の第一なぎさ公園の様子
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=今日の歩き=
1327歩・1.0km・燃焼脂肪4g ・総消費1579kcal
「続編も ほぼ完成し 画面飛ぶ」細かに保存をクリックしないから
「最近は このような事故 チョコ々と」トラブルがあるのです?
「専門は ハードル走 110mHH」リズミカルで小気味よい走り
副専門は400mMHと器用にいろいろと十種競技(10種目の最後は1500m五分を少し切るタイム)
「ITリテラシー ほぼ無い中で 良くやるよ」自分を自分でほめるしか、自己中そのものです。
=1年前の今日のBlogで思い出す=
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