びわ湖・勝手気ままな日々!

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孔子からの学び ==予習その2・3==

2021年03月13日 | 日記

==予習その2==

お断り、引用させて頂いて予習とさせて頂きます。

1 圧倒的な師匠の姿

孔子が晩年、人生を振り返った言葉にはこうあります。

子 曰く

吾れ十有五にして学に志ざす
三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳にしたが
七十にして心の欲するところに従えども、わくえず

              「為政いせい」第二篇 第四句より【現代語訳】       

先生は仰った。「私は十五歳のときに専門な知識を求め、学問を志した。三十歳にして精神的に立場を確立し、四十歳で迷うことがなくなった。五十歳で天命を理解し、六十歳になったら人の意見を素直に聞けるようになった。七十歳でやっと、自分の思うように行動をしても、道理を踏み外すことがなくなった。そんな境地に至ったのだ。」と。孔子は15歳にして自分の求める知識を見定めた後、順調に成長を続けます。一方でどんなに強い決心があったとしても、私たちは不意に「このままで本当にいいのだろうか?」と不安になる瞬間もあるのではないでしょうか。

孔子は40歳にしてその迷いから解放されたことを明かしています。また、70歳で悟りの境地に至った孔子だからこそ、3,000人もの弟子に尊敬されていたのでしょう。

 

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2 感謝を忘れない

孔子曰く、

君子は敬せざること無し、身を敬するを大と為す。身は親の枝なり、敢て敬せざらんや。其の身を敬することあたははざるは、是れ其の親をそこなふなり。其の親を傷ふは、是れ其の本を傷ふなり。其の本を傷へば、枝従って亡ぶ、と。聖模せいぼを仰ぎ、賢範をしたひて、此の篇を述べ、以て蒙士もうしおしふ。

                                        「敬身」第三篇 第百三十九句より

【現代語訳】
先生は仰った。立派な人はどんなことにも感謝の念を忘れないが、それは自分自身も例外ではない。自分自身は、いわば親という大幹から生えた小枝である。小枝である自分自身を大切にしないのは、その幹にあたる親を傷つけることでもある。親を傷つけることは、小枝である自分をないがしろにすることでもあり、やがては枯れてしまう。自分自身を大切にしなければならないのは、こういった理由である。」と。

「子は親の背中を見て育つ」という言葉もあるように、私たちの人となりには、親が大きく関わっています。孔子も巫女であった母の日常生活を観察するうち、幼くして葬祭の知識を身につけたほど賢い子どもだったと言われています。 

孔子は自身を“小枝”に、自分の人格を形成する親を“幹”にたとえました。「自分を慈しむことは、結果として親を大切にすることも同じ」、「自分に敬意を払うと、親にも感謝の気持ちが伝わる」と説いた孔子。

 

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「君子」(立派な人)とは、一体どんな人なのか。孔子は「君子」について、

あらゆる条件を弟子たちに伝えます。

3 有言実行

君子は言に訥にして行ないに敏ならんと欲す”

             『里仁』第四篇 第二十四句より

【現代語訳】

立派な人は、発言が控えめであっても、行動を機敏にしたいと思うものだ。

また、こうも言っています。

子貢しこう君子を問う。子のたまわく、先ず行う、其のことばは、しかのちに之に従う。

              「為政」第二篇 第二十九句より

【現代語訳】

子貢が「立派な人とは、どんな人なのでしょう」と先生に尋ねた。先生は「まずは発言する前に行動し、その後で初めて発言することだ」と答えた。

孔子は常々、「不言実行こそが正しい」と弟子たちに述べていました。特に弟子のひとり、子貢しこうは口が上手い人物でもあったため、「雄弁にあれこれ語るよりも先に、まずは行動に移すことが君子だぞ」と釘を刺す意味もあったのでしょう。

子貢のように、口の上手い人はどこにでもいます。ただ、そんな人たちは、実際に行動に起こさないことをそれらしい理屈で納得させようとする共通点があります。「まだ準備ができていないから」、「明日から頑張るから」と言い訳ばかり達者になるのではなく、とにかく行動に移すことこそが君子的であると孔子は説いているのです。

 

おわりに

今もなお、多くの人にとって人生の指標となっている『論語』。その解釈は広く、「このように読まなければいけない」ということもありません。そのため、自分なりの解釈で読める、古くからの知恵が学べる良いものでもあるのです。「難しそう」と苦手意識を持っていた方も、これを機に『論語』を読んでみてはいかがでしょうか。

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     井上 靖氏のCD裏面のコメントです。

      

 

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==予習その3==

孔子 を象徴する、その偉大な思想家

乱れた世に「仁」の定着をめざす

 インドの釈迦、ユダヤのキリスト、ギリシャのソクラテスと並んで、世界の「四聖」に数えられる孔子(紀元前552年頃~紀元前479年)。

 彼の教えを伝える『論語』も有名で、
「三十にして立つ。四十にして惑わず」
「故きを温めて新しきを知る」(温故知新)
「朋あり、遠方より来る、また楽しからずや」
などの言葉が有名だ。

 孔子の「子」というのは先生というような尊称で、孔丘が彼の本当の名前だ。「孔夫子」と呼ばれることも多く、「夫子」自体が孔子のことをあらわす言葉になっている。南京市には「夫子廟」という名前の孔子廟があって、まわりは当地を代表する繁華街である。

 彼の出身地は現在の山東省南部の曲阜で、その昔は「魯」と呼ばれた国。周の武王の弟、周公(姫旦)を開祖とし、周代に栄え、その後の春秋時代・戦国時代まで存続した。孔子が生まれたときは、戦国時代の襄公から哀公までの魯末期に近い時代だった。

 孔子は、乱れた政治や国の儀礼に失望し、魯の祖ともいえる周公の政治を理想とし、その政治手法を再現しようと試みた。だが反対派との政争に敗れ、国外に逃れ、諸国を13年ほど遊説する。結局どの国も孔子を用いようとせず、やむなく故郷に戻って儒教の成立に努めた。これが後世に思想家として形成される孔子像のもととなっている。

 政治の基本は法ではなく道(徳)であり、自己の修養に努めた後にこそ、人を治めることができる。道徳を一貫するものこそが「仁」であり、個々が仁を守れば家は安泰、すなわち国家も治まり(治国)、天下も安定するというものである。とくに孔子が重んじたのは「仁」であった。

 孔子の言行は『論語』に記されているが、これは弟子たちが孔子と交わした問答を書き記した口伝という。儒教は、その多くの弟子が各地に伝え、漢代には国教となった。

 それ以来、歴代王朝で重んじられ、故郷の曲阜をはじめ、中国・台湾・日本の各地に孔子廟が建てられている。そこでは孔子ら儒教の先哲を祀る儀式である「釈奠」が、毎年盛大に行われている。

日本の思想、政治にも大きく影響

 儒教は中国からアジア各国、もちろん日本にも伝わって、日本人の思想にも大きく影響した。政治の指針にもなった。とくに南宋の時代に朱熹がまとめあげた儒学の一派「朱子学」は、徳川幕府が封建制度を固めるために奨励し、武士や学者がこぞって学んだ。「尊皇攘夷」思想に傾注した水戸藩の水戸学などは、とくに朱子学の影響を強く受けた。日本人の思想形成や歴史に間接的ながら、これほど影響を与えた人はいないかもしれない。

 東京千代田区にある「湯島聖堂」は、その朱子学を重んじた、江戸幕府の5代将軍・徳川綱吉によって建てられた孔子廟だ。儒学者の林羅山が建てた「大成殿」を前身とする。寛政9年(1797)には幕府直轄の昌平坂学問所になったことから、「日本の学校教育発祥の地」といわれている。

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東京千代田区の「湯島聖堂」。江戸時代、幕府直轄の学問所の跡である。敷地内に大きな孔子像が建ち、学問発祥地として受験生などに人気が高い。

 個人的な関心では、中国において孔子は「文」の神(至聖先師)として祀られている。「武」の神である関羽(関聖帝君)や、岳飛(鄂王)とともに「文武」を司る存在になっている。台湾には「文武廟」があって、孔子と関帝が並んで祀られており、すごい力を感じた。右写真の河南省許昌市の「春秋楼」は、関羽を祭る施設だが、西側の大成殿に孔子が祀られ、文武揃いぶみで、なんともいえぬ有難さがあった。

 その存在があまりに偉大で、彼の本当の姿や意思が、どの程度正確に伝わっているのかと、考えることもある。『論語』などを読むと、色々と迷いながら生きていた、ひとりの人間だったと感じる部分も多い。思想云々より、そこに関心を覚えてならない。

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沖縄県那覇市の久米(閩人が住んでいた集落が前身)にある孔子像。江戸時代にあった「至聖廟」(孔子廟)の跡地に建てられた。

 

歴史著述家・紀行作家。神奈川県生まれ。日本や中国各地の史跡取材を精力的に行ない、各誌やウェブに寄稿。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『偉人たちの温泉通信簿』(秀和システム)など。上永哲矢

中国・河南省許昌市の「春秋楼」敷地内にある大成殿の孔子像。春秋楼は「三国志」の関羽(関帝)を祭る施設だが、そのなかに孔子が独立したかたちで祀られている。

歴史著述家・紀行作家。神奈川県生まれ。日本や中国各地の史跡取材を精力的に行ない、各誌やウェブに寄稿。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『偉人たちの温泉通信簿』(秀和システム)など。

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中国・河南省許昌市の「春秋楼」敷地内にある大成殿の孔子像。春秋楼は「三国志」の関羽(関帝)を祭る施設だが、そのなかに孔子が独立したかたちで祀られている。

 ※本稿は『中國紀行CKRM』Vol.21(2020年11月)より転載したものである。

 

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井上 靖氏のCD47分とインタビュー24分をそれぞれ2回を視聴します。

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