=話は新米先生時に遡って=
23才、お前はどんな奴なのか?あからさまに試された事が忘れられない。私の初めて出勤し出して、何日も経たない保健体育教員室での事、私のデスクの隣デスク上に千円札が無造作に置かれていたのです。違和感!テストされていた!後ひとつ、新人に全校集会時(始業式)に突然マイクを渡され集合指揮をやるように指名される。これもテスト!当時高校16クラス×55人と中学各2クラス×3×50人!計・約1200人弱、冷や汗でした。覚悟と肝(度胸)が据わるのに十分な体育主任からのありがたいテストを頂いた。こうした予想もしない局面に試される事は大きな刺激でありました。千円のなんだか意地悪な要素は別として、集会指導については実力を付けていったと言う学びでした。これらの鞭はありがたい試練でした。
=追記分・以下本題へ=
10 教育委員会 小橋秀生氏の施策実現から学ぶ
わずか3年間の勤務であったが得るものは大きかった。学校体育の指導主事として1年目は中学校担当として、教科保健体育の思い出よりも、京都府中学校体育連盟の担当として、近畿中学校体育大会が京都で開催されるに当たり、その準備に大方のエネルギーを使ったのが印象として残っている。2、3年目は高校教科保健体育と高校体育連盟、加えて、Ⅲ類体育コース担当と大忙しの2年間を大過なく過ごした事に、今、感謝の気持ちである。中でも一番の学びは、新規に事業を起こし、予算措置を実現させる過程のやりとりの大変さに勉強させられたのが大きな収穫であった。私のアイデアを保健体育課の窓口(小橋氏)が、口頭での理想を聞き取り、わずかな時間でペーパーとして作り上げ、それを引っさげて予算折衝をして、他にも争点が多くある中をかいくぐって、数日の諦めない食い下がりと、粘りを発揮しながら最後にOKを獲得する気力・意欲、しつこさの結晶で予算措置決定を成し遂げる場面に直接触れることが出来たのは大きな幸運であった。長野オリンピックの開催が決定して、長野県立高校にPC制御による筋力測定器の設置が日本において第一号、京都府立西城陽高校Ⅲ類設置校に第二号機を導入実現させたのである。予算一千五百万円、この機器は、スポーツ傷害を予防できることと、各選手の弱点強化につながるデータが得られ、当時、先進機器と言われ、画期的な導入となったのである。この実現は、まさに予算措置決定までの長い折衝の成果であって、担当の私の予想をはるかに超える数日間の午前2時や3時までの粘りが効を奏したのだ。
小橋氏のガッツポーズと、この根競べに勝利することの喜びが ”仕事人としての誇りと満足感 ”なのです。と述懐する表情には、自分を省み、襟を正す強い衝撃と思いを感じたのです。
運動競技部活動の監督や顧問が、闘いの勝利に執着し、長期計画の末、勝利を勝ち取る様は、他に類は無いものと思いこんでいた小生は、今回の件、小橋氏の壮絶な闘いぶりに接して、私どもの思い上がりであったと、目を覚ます事になったのも貴重な体験でありました。小橋氏の勝利者の笑顔にもう一度再会してみたい衝動に駆られるのです。
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