この地域には、
死者に手向けるために
お金(のつもりの安紙)を燃やす習慣があります。
(つくづく中国色の濃い文化だなぁ)
(霊的な世界に、現世の物質主義を
持ち込んじゃう文化、という意味で)
そのことについて、息子が喋っていました。
息子「あれって、燃やしたら、
天国用通貨に変身する
ってことになってんでしょ?
天国のお札も福沢諭吉かな?」
私「まさか!」
息子「じゃあ、誰かな?
天国のトップは神様?
ゼウスとか!」
私「え。そっち?
その場合、ヨーロッパ限定通貨?」
息子「だね。日本の天国だったらアマデウスかな。」
私「・・・モーツァルト?」
息子「あ。間違えた。アマテラス。
似てるんじゃん?
どっちも強くて立派そうな響き。」
そういうアホな会話をしていたのですが、
その後、宗教指導者の風刺画に発した
テロ事件のニュースを新聞で読み、
なにやら考えこむ息子。
「ふーん。そうなんだ。
じゃあ、お札に描かれたくない場合もあるんだね…」
そういうことになるね。
そういう場合は、
相手のその感覚を尊重すべきだよね・・・
という話になるはずなんだけど、
フランスではそうはなっていないようで。
どうしよう。
この一連の事件、私には理解できないことだらけ。
もちろん、テロは本当に痛ましく、
どんな理由があろうと
殺人など許されるものではない。
そこは譲れない。
でも、一方で、
マクロン大統領の
「フランスには冒涜の自由がある」(10/18朝日新聞)
というコメントには
猛烈な違和感を覚える。
どうにも腑に落ちないのは、
私が特定の宗教の信者では無く、
イスラム教との接点など全く無く、
フランスの事情にもトンと疎いから
想像力が働かないせいかもしれない
と考えてみる。
だから、宗教の部分を、
人種や国や性別や性的指向や職業など、
自分にも分かりそうな事象に
置き換えてみる。
すると、
「いやいや、やっぱり
そんな風刺画を許すのはおかしくない?
抗議されて当然じゃない?
(だからって殺人は許されないけど)」
と思えてくる。
とにかくモヤモヤが晴れないんです。
分からないなりに
なにか納得できるような情報はないかと
気をつけてニュースを読むのだけれど、
読むたびに
更に納得できないことが増えるばかりで、
非常に気持ちが悪いのです。
そもそもこの件に関して
日本語で発信された記事は
とても少ないし。
翻訳機能のおかげで
多少世界が広がりはするのだけれど、
これ、自力で自在に読めたらなぁ
と思ってしまう。
「同じ事件でも
言語によって報道される内容が全然違うから、
必ず英語、フランス語、アラビア語で書かれた記事を
読むようにしている」
というモロッコ出身の先生の言葉を思い出します。
彼なら、この件に関して、どんな風に語るだろう。
(追記)
ちょっとだけ、態度を変えた?
大統領の言に依れば、
私もまた“mistakenly”に
理解しているということなのかな。
「暴力に屈しない」というのは
当然の主張だと思う。
でも、そもそもの
「ペンによる暴力」に関しては、
「ショックなのは分かるけど、
自由ってそういうものだから」
ってことになってるのかな?
フランス発のニュース。
さすが、詳しい。
でも、だからこそさらに複雑になって、
ああ、難しい!!
(追記2)
こちらのトルドー首相の言葉が、
最もしっくりきた。
基本はこれに尽きるのではないかと。
こちらで英語での表現を確認できます。