「アルジェリアのプリンセスはマルチリンガル」の続きです。
プリンセスは、国旗の説明の中で
「ほぼ150年、フランスに支配されていたけれど
4つの民族が団結してフランスを追い払った」
と話してくれました。
その穏やかな口調からは想像できないけれど、
ひどく搾取的差別的な支配と、
独立のための壮絶な長い戦いがあったんですよね。
息子は
「150年!日本はまだ江戸時代じゃない?!」
と驚いていました。
息子に説明するために、
ちょっとアルジェリアの歴史を紐解いてみる。
1830年。
その辺りの日本の年表を見ると、
シーボルト事件とか、天保の飢饉とか書いてある。
フランスではこの人が王様になっていた。
シャルル10世。
王政復古で登場してきた、
古い時代の残りカスみたいな人です(←私の勝手なイメージ)。
シャルル10世はルイ16世の弟で、
兄と違って、
「享楽的・快活・ハンサム・スポーツマン」と
モテ要素満載の人物だったらしい。
豪華絢爛な貴族文化が大好き。
平民なんて、自分たちの生活を支えるための
搾取の対象としか見ていなかった。
だから国全体のことなど考えず、
貴族達に大盤振る舞いする。
そんな無茶苦茶な国内政治をして、
いよいよ反感が高まると、
外に戦争をしかけて国民の意識を逸らそうとした。
支配者の常套手段な訳だけど、
その時、不幸にも戦争をしかけられたのがアルジェリア。
シャルル10世は、7月革命で
あっという間に失脚するのだけれど、
そのわずか3週間前に
アルジェリアはフランスに降伏したという。
なんともやるせない・・・
そして、アルジェリアが独立したのは1961年。
シャルル・ド・ゴールの時代。(最近じゃん!)
その間、先住民は一貫して差別的扱いを受けていたのだとか。
あまりにも長い(T_T)
そこから息子には更なる疑問が沸いてきたようです。
「フランスが嫌いで追い出したのに、
なんで今もフランス語を話すの?」
「日本は「敵性語」とかいって
英語を目の敵にして排除して、
野球ではストライクを「よし!」
ファウルは「だめ!」と言っていたのにね。」
と。
ふむ。
だね。
でも、日本は英語が公用語になったことはないし、
150年間アメリカの植民地になってた訳でもない。
だいぶ事情が違うよ。
アルジェリアの場合、
フランスの支配がとにかく長かったし、
民族・地方によって話す言語が違うから
長年の支配者であるフランスの言葉だと
みんなに通じて便利、
ということなんだろうと想像できるけど。
その辺、その国の人の
話を聞きたかったね。
***
プリンセスは、
興味深いアルジェリアの文化の話を
いろいろしてくれました。
プリンセスのおじいさまの家は
まさに宮殿。
今は博物館になっているようです。
オスマン帝国時代の建築様式で建てられているそうです。
中庭が広く、内向きにオープンな造りです。
そして町にはフランス領時代の様式の建物もある。
それら様々な時代の建築が混在して、
独特の町の景観を形成しているのだとか。
プリンセスの説明では、
アルジェリアはアフリカの周辺諸国と違い、
イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、
その他、地元の信仰など、多様な宗教が共存し、
人種的にも文化的にも多様性を受入れる文化ということでした。
アルジェリアについて何の予備知識もなかった私は、
ほー、そうなのね、それは素敵♪
と思ったんだけど・・・
後日、アルジェリアについて調べると
そんな平和な風景など思い浮かぶ余地も無いような
過酷なフランスとのアルジェリア戦争、
それに続く内戦「暗黒の10年」(終結は2002年!)
そして現在はイスラム原理主義の台頭・・・
といったことが書かれていました。
あまりの落差に
どう捉えたら良いのか分からなくなる。
むーー。
親切なプリンセスに質問してみようかしら・・・
プリンセスは、国旗の説明の中で
「ほぼ150年、フランスに支配されていたけれど
4つの民族が団結してフランスを追い払った」
と話してくれました。
その穏やかな口調からは想像できないけれど、
ひどく搾取的差別的な支配と、
独立のための壮絶な長い戦いがあったんですよね。
息子は
「150年!日本はまだ江戸時代じゃない?!」
と驚いていました。
息子に説明するために、
ちょっとアルジェリアの歴史を紐解いてみる。
1830年。
その辺りの日本の年表を見ると、
シーボルト事件とか、天保の飢饉とか書いてある。
フランスではこの人が王様になっていた。
シャルル10世。
王政復古で登場してきた、
古い時代の残りカスみたいな人です(←私の勝手なイメージ)。
シャルル10世はルイ16世の弟で、
兄と違って、
「享楽的・快活・ハンサム・スポーツマン」と
モテ要素満載の人物だったらしい。
豪華絢爛な貴族文化が大好き。
平民なんて、自分たちの生活を支えるための
搾取の対象としか見ていなかった。
だから国全体のことなど考えず、
貴族達に大盤振る舞いする。
そんな無茶苦茶な国内政治をして、
いよいよ反感が高まると、
外に戦争をしかけて国民の意識を逸らそうとした。
支配者の常套手段な訳だけど、
その時、不幸にも戦争をしかけられたのがアルジェリア。
シャルル10世は、7月革命で
あっという間に失脚するのだけれど、
そのわずか3週間前に
アルジェリアはフランスに降伏したという。
なんともやるせない・・・
そして、アルジェリアが独立したのは1961年。
シャルル・ド・ゴールの時代。(最近じゃん!)
その間、先住民は一貫して差別的扱いを受けていたのだとか。
あまりにも長い(T_T)
そこから息子には更なる疑問が沸いてきたようです。
「フランスが嫌いで追い出したのに、
なんで今もフランス語を話すの?」
「日本は「敵性語」とかいって
英語を目の敵にして排除して、
野球ではストライクを「よし!」
ファウルは「だめ!」と言っていたのにね。」
と。
ふむ。
だね。
でも、日本は英語が公用語になったことはないし、
150年間アメリカの植民地になってた訳でもない。
だいぶ事情が違うよ。
アルジェリアの場合、
フランスの支配がとにかく長かったし、
民族・地方によって話す言語が違うから
長年の支配者であるフランスの言葉だと
みんなに通じて便利、
ということなんだろうと想像できるけど。
その辺、その国の人の
話を聞きたかったね。
***
プリンセスは、
興味深いアルジェリアの文化の話を
いろいろしてくれました。
プリンセスのおじいさまの家は
まさに宮殿。
今は博物館になっているようです。
オスマン帝国時代の建築様式で建てられているそうです。
中庭が広く、内向きにオープンな造りです。
そして町にはフランス領時代の様式の建物もある。
それら様々な時代の建築が混在して、
独特の町の景観を形成しているのだとか。
プリンセスの説明では、
アルジェリアはアフリカの周辺諸国と違い、
イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、
その他、地元の信仰など、多様な宗教が共存し、
人種的にも文化的にも多様性を受入れる文化ということでした。
アルジェリアについて何の予備知識もなかった私は、
ほー、そうなのね、それは素敵♪
と思ったんだけど・・・
後日、アルジェリアについて調べると
そんな平和な風景など思い浮かぶ余地も無いような
過酷なフランスとのアルジェリア戦争、
それに続く内戦「暗黒の10年」(終結は2002年!)
そして現在はイスラム原理主義の台頭・・・
といったことが書かれていました。
あまりの落差に
どう捉えたら良いのか分からなくなる。
むーー。
親切なプリンセスに質問してみようかしら・・・