学校が無いからこそ、できること。
その一つが、聴音(ソルフェージュ)。
普段は、そこに割く時間が
なかなか作れないので、
今がチャンス!とばかりに、
独習本を使って
毎日2,3題ずつやっています。
(それ以上やると、心が折れる)
これが大変で。
今は、二声に苦戦中。
「はあー?なにこれ、むっっずっ!!
全然わからーーーん!!!」
早々に叫び声が聞こえてきます。
絶望感を余すところなく表現しようと
泣きが入ったり、怒ってみたり、
ああもう、うるさいったら。
苦しいのは分かったから、
黙って悩んでくれない?
騒いでたら聞こえるものも聞こえんよ。
がんばれ~。
と他人事を決め込む私(笑)
——
とはいえ、
私にも息子の絶望感は良く分かります。
「聴こうと思えば誰でも聴けます。
しっかり聴いてください。」
と、ヴァイオリンレッスンで言われ、
途方に暮れたのは、私(大人)。
先生。
先生は、集中が足りないだけ
みたいに仰いますけどね、
集中しようが何しようが
私にはどうしようもないんですよ!
分からんもんは分からん。
何度聴いても分からん。
聴けば聴くほど分からん。
頑張り方も分からん。
どうせえと・・・?
(ヴァイオリンの場合、
微妙な音のズレがね。
「ん?」と思うには思うんだけど、
何度も弾き直しているうちに、
耳が迷子になる。)
例えば、
論理で構築されている学問的なことならば、
どんなに難しくても、
たとえ最後までカケラも理解できなくても、
理解のための長い道筋をうっすら想像する
ことくらいはできます。
でもね、耳はね・・・
それすら不可能。
ほんと雲をつかむ思い。
どうしたら聴こえるようになるのか、
聴こえない者には
さっぱり分からない。
他方、聴こえる者には、
これほど明確なものが
なぜ聴き取れないのか、
信じがたいのだろうと思う。たぶん。
思うに、聴音の訓練って、
念力や魔法の訓練と
似ているんじゃないかしら。(イメージ)
出来る者には出来る。
出来ない者には出来ない。
可能性がゼロではない子が集まる魔法学校でも
一部、天賦の才がある子は
サッとできるけれど、
ほとんどの子は
無駄とも思える練習をスカスカと繰り返し、
その末に、
ある時、「お?出来た?」「あ!出来る!」
という瞬間が訪れる、みたいな。(イメージ)
聴音も、そんな感じで
兎にも角にも
「聴き取ろうと努力し続ける」しか
ないんだろうな。
実際、息子も、
この一ヶ月で随分進歩して、
旋律だけならあまり苦労しなくなりました。
今、苦しんでいる二声も、
いつか、そのうち、
聴けるようになるかもしれない。
(二声が出来たら、つぎは三声、
調性もリズムもどんどん難しくなって…
とキリがないんでしょうけど、
そこは考えないようにする。)
13歳。
一応まだ若い部類だし、きっと成長するよね。
魔法よりはずっと可能性がある(笑)
頑張れー。
~余談~
二声を掴むコツみたいなものって
あるのかな?と思い、
「聴音 二声」で検索したら、
「和声聴音 できない」
という検索ワードの候補が表示されました。
みんな、苦労してるんだ(笑)
途方に暮れている人達が、
全国にいるに違いない。