の続きです。
ということで、
これを発達障害について学ぶ良い機会と捉え、
簡単に読めそうなADHD関係の本を図書館で借りてきました。
息子は、机の上の本を見て、
案の定「なにこれ?」と読み始めました。
そして、
「へえー!見て。これって、僕みたい(^▽^)」
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【ADHDの特性】
①不注意
細かいところまで注意力が働かない。
うっかりミスや物忘れ、忘れ物が多い。
集中力が続かないが、好きな事には熱中できる。
持続した注意を必要とする課題を避ける。
②多動性
静かにしていなければいけないときに
落ち着きが無く、身体を動かし、
じっとしていられずに喋り出す。
着席していられない。高い所によじ登ろうとする。
③衝動性
思いついた行動を唐突に行う。
考える前に行動する。遊びやゲームの順番が待てない。
質問が終わらないうちに出し抜けに答える。
会話に割り込む。友人にちょっかいをだす。
『ADHDのある子どもの学校生活』p.156
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これはその通り!、
ここはちょっと違う、ここは全然違うな
と楽しみながら読んでいました。
(「性格占い」的な遊び感覚でしょうね)
私も隣で相づち打ちながら聞き、でもちょっと注意も入れます。
「本当は、単純な○×チェックだけで
判断できることではないんだけどね。
○か×か、ゼロか百か、じゃなくて、
こういうのは程度と質の問題が大きいからねー。」
息子が「当てはまる!」と言うことでも、
本気のハイパーアクティブを知っている私からしたら、
息子なんざ甘い甘い、その程度でYesと言うな(笑)
と思うこともある。
「例えば、 “じっとしていられない” に
丸してる人が何人かいるとするでしょ?
紙の上では同じ「○」。
でも、実際の様子は人によって全然違うんだよ。」
息子は、以前、
「動きたくてウズウズしてきたら、
わざと消しゴム落として、
拾うために立ち上がったりするんだよ。
あと、プリント配る係に手を挙げたりさ!
感謝されるし、動けるし、いいんじゃん?」
と言っていました。
大人の手助けや配慮がなくても、
勝手に自分で工夫して、対処していたんですね。
自分は多動だ、と自覚している知人は、
伝統芸能の師範でもあります。
舞台上で長時間、身じろぎ一つせずに座ることもある。
一体、どうやって耐えているの?!
と訊くと、
「身体の一部が動いていれば大丈夫だから、
(客席からは見えない)足の親指だけ動かしとく」
と。
そういう自分なりの工夫で何とかなる人は、
それで良いと思うのです。
それは「障害」ではない。「特性」です。
そうではなく、
どうしたって衝動を抑えられず
突発的な激しい動きをしてしまうので
危険だし、
本人も周囲もホトホト困っている
という人もいます。
その場合はサポートが必要かも。
「だからね、困っているかどうかがキーだと思うよ。
困っているなら手立てを考えないといけないでしょ。
支援って、そういうこと。
障害の認定をしたら支援を受けやすいんだよ。」
さて、この3冊をざっと読んだ息子は、
最後にこう言いました。
「僕、半分ADHDみたいな気がするけどさ、
でもさ、それが分かったところで
じゃあ、何が変わるわけ?
ぼくは変わらないし。
病院行ったり、指導してもらったりするの?
ぼく、何も困ってないのに?
そんなん、いらんし。
だったらこんな本、読んでも無駄じゃん?
面白いけどさ。」
おー、良いところに気付いたね。
そうそう、ポイントは「で、どうするの?」なんだよね。
「読む意味ねえ・・・
まあ、知っておいて損はないかな。
それに、もしかしたら良い情報が書いてあって、
お母さんが怒らなくなるかもよ?」
「!!!
いいねー(^▽^) じゃあもっと読んで~!
ぼくADHDでもASD(アスペルガー症候群)でも
何でも良いよ!優しくしてもらえるなら♡」
・・・ひとつ突っ込ませて頂くと、
きみがASDである可能性は、ゼロだよ。
その素質のカケラもない。
見てごらん。
●ASDの得意なこと
規則正しい作業。単純な反復作業。細かな部品の管理や整理。
●ASDの不得意なこと
スムーズな会話。スムーズな人間関係。
急な予定変更に対応する。話の裏や嘘を見抜く。お世辞やジョークを言う。
『発達障害の基礎知識』p.83より抜粋
「・・・うわー、ほんとだ。全部、僕の真逆だ。
えーー、こんな人もいるんだーー!」
いろいろだよ。それぞれに得意不得意があるの。
誰だってそうでしょ?
それがちょっと極端で特徴的な人もいるの。
でも、極端だからこそ才能になるってこともあるんだよ。
「ふーん。そりゃそうだね。
皆が同じじゃあ、つまらないよね。」
中学生くらいになると、話が早くて楽だわ。
知らないと「なんだか怖い」と感じることが、
知ってしまえば怖くなくなることもある。
どんどん教えよう。
とりあえず、この先、
無神経な人に「障害じゃない?」とか
言われることがあっても、
「知らんけど、だとしたら、なに?」
くらいに思えればいいかな。
あるいは、どうにも解決しにくい問題を自覚した時には
「もしこれがADHDのせいだとしたら、
解決のヒントもそこにあるかな?」
と考え、アクセスすることができたらいいかな。
加えて、自分とは違う特性を持つ人のことも
「そういう人なんだね」と理解して、
接することができる人間になってほしいな。
・・・ま、その辺は、この子は多分大丈夫だろうけど。