話すときには何にも考えていないんです。空っぽ
なんです。思い浮かべるということもない、流れて
くるままにしゃべります。
どこかの本にも書きましたけれど、うしろに
釈迦がいたり、キリストがいたり阿弥陀さんが
いたり、まあ色々忙しいわけですね。
私はその司会役をやっている。かといって、私の
自分の中の人間性が壊れるということは全く
なくって、五井昌久という人間性でもって
しゃべっている。皆んなそう思っているけれども、
私には私というものは全く無いんですね。
私心とか、あいつが憎いとか、そういう想いが
全くなくって、ただ相手の心が映って来る。
例えば、私に何を聞きたいのか、この人にとって
何を答えてあげれば一番本心を開発してゆけるか、
そういうところだけを見て、私という個人が何かを
判断するのではなくて、そこで私を支えている
守護霊や守護神、神様の方で必要な言葉や知恵を
与えられて私がしゃべっている訳ですね。
そういう風になるまでに三ヶ月間位、想念停止
というものをやらされたんですね。それは本の
中にも書きましたけれど、本当に思っちゃいけない、
何にも考えちゃいけないとね。
(翌日に続く)
なんです。思い浮かべるということもない、流れて
くるままにしゃべります。
どこかの本にも書きましたけれど、うしろに
釈迦がいたり、キリストがいたり阿弥陀さんが
いたり、まあ色々忙しいわけですね。
私はその司会役をやっている。かといって、私の
自分の中の人間性が壊れるということは全く
なくって、五井昌久という人間性でもって
しゃべっている。皆んなそう思っているけれども、
私には私というものは全く無いんですね。
私心とか、あいつが憎いとか、そういう想いが
全くなくって、ただ相手の心が映って来る。
例えば、私に何を聞きたいのか、この人にとって
何を答えてあげれば一番本心を開発してゆけるか、
そういうところだけを見て、私という個人が何かを
判断するのではなくて、そこで私を支えている
守護霊や守護神、神様の方で必要な言葉や知恵を
与えられて私がしゃべっている訳ですね。
そういう風になるまでに三ヶ月間位、想念停止
というものをやらされたんですね。それは本の
中にも書きましたけれど、本当に思っちゃいけない、
何にも考えちゃいけないとね。
(翌日に続く)