宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(4)

2021-03-11 07:24:25 | 祈り
        (前日からの続き)
だから、私どもに援助をして来て下すっている、
いろいろな宇宙の天使たち、それから兄弟たち、
この人たちは皆んな自分が宇宙神とつながって
いて、一つであって、そこの愛念によって、
自分たちの生命が滔々(とうとう)と流れている
ということを、身をもって知っているんです。
そういう光明というか、その光というか、
そういう愛念を、この地球世界に降ろして、
地上に降ろしてその現実の肉体生活そのものの
波動も、だんだんに整えられていく。
かといってその地上生活を破壊しようという
のではなくて、この地上も住みやすいようにする。
この地上だけの三次元だけの世界じゃなくて、
四次元五次元六次元、もっともっと高次の
世界がある。
その高次の世界になればなるほど、愛と調和
でもって、みんな秩序というものが保たれている。
秩序というのは、これはタテヨコ十字に神様の愛
によって保たれている。
これが本当の秩序なんです。
               (つづく)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(3)

2021-03-10 09:34:21 | 祈り
                  (前日からの続き)
その習慣を解き放っていくものは何かというと、
やっぱり祈りであって、いつも言いますように、
祈りというものは、自分の生命を宣り出してゆく、
本当の生命を宣り出してゆく、そういう
ものですね。
だから、痛いとか苦しいとか辛いとか、
痛がっている自分がある、肉体の自分がある。
だけども元々の自分は痛みもしなきゃ辛がりも
しない自分がある。
どうかしてそこへ自分の想いを届かせたい。
だけどそれを焦って苦しんで背伸びをして、
そこへ行かなくちゃ行かなくちゃって思うと、
これまた駄目で、これはやっぱり自己完成にも
何にもならない。

自己完成というのは人類愛から始まる
というのは、つまり私どもの世界平和の祈り、
世界人類が平和でありますようにという、
自分(個人)を思うと同時に人類を思う、人類の
中の一人としての自分、人類とつながっている
自分を思う。
そのことが即ち、宇宙とつながる、宇宙の本源の
生命、宇宙神の生命、宇宙神から分かれて来た
生命、そことつながる。
それが本来の人間の姿ですね。
                (つづく)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(2)

2021-03-09 10:10:42 | 祈り
        (前日からの続き)
ところが、私がいつも言いますように、
人間というものは神様から分かれて来た
生命ですから、そこから考えると、神様が
苦しむ筈がないんで、流れて来た生命が
苦しんでる筈がないんです。
そうすると、この世の中で苦しんでゆくとか、
悩んでゆくとかというのは、じゃあ全く
無意味なことを我々がやってるのかって
いうと、そうでもなくって、この地球世界
というものの、こういう粗い波動を、我々は
お掃除をしてですね、宇宙天使と協力を
して、いろんな霊人と協力をして、皆を
掃き清めてゆく。
本当の本来の姿に還(かえ)してゆくって
いうのが、これが元々の人間の一番の役割
でありまして、そこのところをみんな、
私が私がとか俺が俺がとか、どっちが上とか
どっちが下とか、そういう想いの習慣というか、
この地上の生活の中の一つの秩序というもので
考えてしまいますね。
会社に行けば上役と部下とか、病院に行けば
院長と職員とか、そういう上下関係があるんで、
どうしてもその立場でもって皆んな、ものを
見てしまう。

ところが人間の本当の立場というものは、
神様とつながっている。
私の朗らかな生命、さらさらと流れている生命、
これが本当の人間の立場でして、そこから
結局は全部がつながっていく。
本当につながっていくべきものにつながってゆく
ということが本来なんです。
ところが、そのあたりがどうしても皆さんが
間違ってしまう。
どうしても習慣に把われてしまう。
        (つづく)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(1)

2021-03-08 09:35:17 | 祈り
“水のようにさらさらと流れてゆく生命”
と書きましたけれども、生命というものは
元々さらさらと流れているものでして、
そして、さらさら流れてないなと思える
時っていうのは、地上生活の中で、
やはり、いろいろな柵(しがらみ)に
苦しめられ把われ悩んでいる時
なんですね。
そうするとその自分の生命が苦しむように
見えるけれども、本当は、生命そのものは
苦しみも何にもない。
本当にさらさらしてて、何にも汚れもついて
ないし、本当に真っ白できれいなもの
なんだけれども、ところがそれが悩んで
苦しんでっていうのは、これは自分の想い
というものが苦しむんですね。
自分の本体本心というものはちっとも
苦しまない。
で、そこの所が、人間ってのは
肉体というものをまとって生きてる
もんですから、肉体をどうしても自分
だと思うし、気持ちの中から湧いてくる
いろんな想いというものを、どうしても
自分の想いだと思っちゃう・・・
          (つづく)

続 さやけき生命(9)

2021-03-07 08:28:31 | 祈り
   (前日からの続き)
例えば、守護神なんかが動く時は、
肉体経験のないものが動いちゃうと、
人間側の苦しみ悩み辛さが、どこまで
なのか分かりませんからね。
そこに守護霊という肉体経験のあるものが
いて、守護神の働きを受けとめて流す
という、このコンビが人間の後ろについて
いないと、肉体が即座に消えて無くなって
しまうくらいの迫力ある光を降ろしてしまう。
それだとこの人間世界は壊れていって
しまうんですね。
ですから、この人間世界を壊さないように
しながら、しかも超常識が降りて来て、
そして、その超常識を祈りの中で完成を
して行く。
一人ずつの生活を大事にしながら、
超常識に則(のっと)ってこの世界が
変えられていく、祈りによって変えられて
いく。
そして、いつの間にか平和になる。
そういうところを私たちの魂はすでに
目指しているし、私たちの本心は、そこに
向かってすでに歩み始めている。
そのことを覚えておいて頂けたら、
大変有難いと思います。
実際に、そういう時期にもう突入を
していて、私たちが自覚をするしないに
関わらず、そこに向かって歩を進めて
いる。
天と地が一つになる、天の私と地の私が
一つになる。
一つになって大きな深い働きをする。
その時期に皆さん一人一人がもうすでに
突入をしている。
そうして、その働きの中で生まれて
来るものが、本当の愛と調和と平和に
満たされた、気の流れであり、これを
さらに広げてゆくということなんだ
という意識を持っていただけたらいい
と思います。
          「さやけき生命」後半 了