宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(9)

2021-03-16 05:42:03 | 祈り
      (前日からの続き)
そこのところを皆んな間違えてしまって、
あの人よりも私の方が何だかんだと判断
してしまう。
その立場に持って行かれるのは神様。
その場所で一生懸命やりなさいと
させるのは守護の神霊なんですね。
だからその時いかに私を無くして素直に
なるか、素直になって祈るかということ
によって、すべてが決定してゆく。
すべてが開いてゆく。
祈って開いてゆかないことなんて全く
ないんです。
ただ人間というのは、祈ればすぐにも
何か素晴らしいことが起こるように思う。
我々天界の方から見てますと、何千年
何万年の計画の中の一コマとして
動かしているわけですから、例えば
一年二年の次元でこれがどうなるか
というのは、地上の見方なんですけども、
我々の方から見てますと、そんなもんじゃ
なくて、百年先にこれをどうしようかなって
いうような会議があるわけですね。
百年というのは、こちら側の時間で言うと
百日位のもんですね。
そうするとそんなに長い時間じゃない。
単に時間が短縮されているということだけ
ではなくて、それほど生命の流れというのは
速いし深いし、質的なものなんですね。
時間というものも本質的なもので、生命という
ものも本当に深いものです。
               (つづく)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(8)

2021-03-15 23:28:47 | 祈り
       (前日からの続き)
我々一人一人がそれぞれの立場で、そういう
生命というものを我々はいただいているんだ
ということを、この身に刻んでゆくのが
世界平和の祈りなんです。
だから、分かろうとか、分からないとか、
このあたりだとかいうのは、これは
人間の判断なんです。
この人間の判断というのは、時に応じて
とても大事なんですが。
仕事が出来ない人にうんと高い仕事を
与えても無理で、能力のない人が企業の
トップになったらつぶれちゃいますから、
そういう地上のなかでの、そういう枠組の
中での秩序というのはやはり、
ひっくり返っちゃ困りますけれど、元々の
人間の出来、不出来ということからすれば、
不出来な人間なんてものは本当は一人も
いない。
人間の本体というものが輝いていない
ということも一つもない。
そういう所は公平平等なんですね。
とっても公平平等です。
              (つづく)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(7)

2021-03-14 07:28:06 | 祈り
    (前日からの続き)
仕組みというのはそうなってる。
だから秩序というのは上から下へ流れて行く。
もうこれは変えられないと思うかも
知れませんけれども、確かに法則という
ものは変えられないんだけれども、しかし、
法則と癒(いや)しというものがあって、その
癒しというのはヨコの働きなんです。
法則というのはタテの働きなんです。
このタテとヨコが両方混じり合って、
そうして法則がゆるがないように、その法則を
本当の意味で法則たらしめるものが
愛、調和、あるいは真善美なんだということ。
これを人類に知らしめてゆく。
            (つづく)
  

水のようにさらさらと流れてゆく生命(6)

2021-03-13 08:15:38 | 祈り
      (前日からの続き)
ところが、元々混じり合うもなにも人間
というのは光一元だから、その光一元の
ところへ還していこう、元へ元へというのが
我々のやっていることなんです。
それにはさっき申し上げたように、人類愛
というものと、自己完成というものが
離れたものじゃないんだということ。
自然があって空気があって緑があって、
この地上に生きてるということの喜びを
感じるのは、私という人間一人じゃない。
いろんな国に分かれているいろんな民族の
人が、朝目覚めて太陽を見れば、やっぱり
素晴らしいと思うし、青空見ればそこに
神様の心があると思う。
それが原稿にも書きましたけど、大空という
ものが、自然というものが、神様のみ心を
映しているものだからそう思う。
我々がそこから分かれて来たものだから
そう思うんです。
或いは我々が、金星からこの地上に
降り立って来た魂だから、そういう宇宙の
援助を今してもらっている。
星々の兄弟の非常に高い霊性というものを
宇宙から受ける。
そうして、宇宙神のみ心の奥の奥の
大奥の所へ直結させてもらえるように─。
          (つづく)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(5)

2021-03-12 05:35:05 | 祈り
       (前日からの続き)
なんにしろ、神様によらないものというのは
全く無いんですね。
すべてが神様の愛によって造られて来ている。
ところが、そんなものあるか、そういうことは
無いんだ、というこれも人間の想いですね。
これは地上にずっと生活して来て、それなりの
いろんなしんどい事や辛いことがあると、
絶対プラスに行かないんだというように固く
信じ込んでしまう。
そして何百年も何千年も、そういう想いで
人間というものは暮らして来てますから、
そうするとその想いの波、念というのは
非常に強いんですね。
光の方へ行かせまいとする闇の思想
というのがあって、光の思想というのがあって…
それはむずかしく考えなくても、例えば、朝
目覚めた時には非常にすっきりして
いるんですね。
朝の思想というような言葉があるようで…
夜になったらロクなこと考えないとか
いいますけども、普通我々の中にも、
その夜と昼がある。
光と闇があって、これがこう混じり合っている。
           (つづく)