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梅も椿も

2012-03-18 21:55:43 | 愛知、三重 梅の花旅

 佐布里池の梅園で目と心に感動を覚えて、更に梅を訪ねる旅を続けます。

 

 次に向かったのは東海市の大池公園でした。

 

 既に午後3時を過ぎましたので、太陽が傾いてきています。

 ラクウショウの影が長く伸びて、木々が豊かな表情を見せていました。

 

 

 クロガネモチの赤い実が午後の光で赤みを増したように見えます。

 

  

 斑入りアオキの赤い実が目を誘います。

 

 

 お目当ての梅林は木々の中の散策路を歩いた先にありました。

 市民の憩いの場所になっているようです。

 梅林の周囲に、森の梢の上にビルの姿が見えました。

 

 

 

 この公園の梅の花は五分咲きでしょうか、海辺より内陸では花が遅いのかもしれません。

 

 梅園から戻る途中で、泰山木が葉を翻し、鉄錆色の葉裏を見せていました。

 風が少し出てきたようです。

 

 

 駐車場に戻ると、公園の案内図が目に止まりました。

 どうやら道路を挟んだ向こう側の大窪公園には椿園があるようです。

 

 陽が傾いてきたことですし、次の梅園も気になりますが、ここの椿を今日見落とすと次にチャンスは巡ってこないかもしれません。

 

 「出会ったチャンスは逃さない」が花の旅のモットーです。

 モダンな歩道橋を越えて椿園へと足を運びました。

 

 

 

 椿園はまだ若い木々が多く、風格は今ひとつですが、次のような掲示物を目にしました。

 

 「ツバキの小径づくり事業 寄贈 ツバキ280本 三洋化成工業㈱創立50周年記念 平成11年11月1日」

 最後の1の数字の並びがとってもお洒落です。

 

 

 そして、そうか! そうだったんですか!

 「皆が精一杯働いて、生きて、花を育て、世の人々の暮しにも彩りをもたらす。」

 

 この地方では個人も企業も、皆さんやってらっしゃることが首尾一貫しているようです。

  

 旅の途中で、私が感動し易くなっていることを割り引いても、日本人はまだまだ、捨てたもんじゃないんだ、と嬉しくなってきました。

 

 東北大震災の時に海外メディアが賞賛した、日本人の「自分のためだけでなく、世のため人のため」といった意識は、多分、全国津々浦々に共通しているのだと確信しました。

 

 更に思い致せば、梅も椿も含めて、我が国では古から人々が花を大切に育て、愛しんできました。

 

 この公園では、懸命に汗を流して人生を過ごした人々が、花を愛しむ気持ちを忘れない気風が、この国には綿々と流れ続けていることを、改めて認識させられた気がしました。

 

 

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佐布里池の梅

2012-03-18 20:25:19 | 愛知、三重 梅の花旅

 知多半島で菜の花を眺め、春の気分を満喫してから名古屋方面へと向かいました。

 

 1時間半ほど車をはしらせて「佐布里池緑と花のふれあい公園」に到着しました。

 

 公園の周囲に梅の花が満ち溢れています。

 

 

 公園の入口にはソウリウメ<佐布里梅>が展示されていました。

 

 私は初めて見ましたが、ソウリウメとはモモにウメを接木してつくった実梅の園芸品種で、花はうす紅色の中輪なのだそうです。

 写真の梅は接木が1960年と表示されていました。

 オリンピックが東京で開催された4年前の頃のことになります。

 青い空と白い雲にピンクの花弁が良く似合っていました。

 

 

 公園は佐布里池の北側に広がり、梅園も相当の広さです。

 下の写真の案内図でピンクに塗られている場所が梅園になります。

 

 

 佐布里池も想像以上の大きさでした。

 

 

 公園の梅花を楽しみながら散策しますと、愛知用水沿革と記された石碑を見付けました。

 

 その石碑によると、愛知用水は昭和23年に地元有志により計画実現運動が開始され、昭和36年に用水が開始されたのだそうです。

 どうやらこの佐布里池は愛知用水の調整用に作られたもののようです。

 

 

 隣には「不老会の沿革」と題した石碑がありました。

 

 そして、私はそこに記された内容に甚く感動しました。

 

『知多半島は水利が悪く、人々は水不足に永年苦労してきました。知多八幡の篤農家の久野庄太郎さんが用水建築を提唱し、昭和36年、木曽御嶽山麓牧尾ダムを水源とする120キロに及ぶ愛知用水が完成。知多半島は現在の繁栄を見るに至りました。』

 

 これだけでも凄い話です。

 国やお役所ではなくて一農家の民間人が120キロにも及ぶ用水の建設を提唱して、実現させてしまったようです。

 

 しかし、お話は更に続きます。

 

 『この建設事業のため、不幸にも56名の犠牲者がでてしまいました。提唱者の久野氏はこのことに苦慮され、懺悔の日々でした。そんなある日、名古屋大学の勝沼総長に会い、総長の助言により犠牲者の霊を慰めるため、自らの遺体を医学解剖に提供することを決意し、わが国初の組織的な献体運動を始められ「不老会」を創設されました。』

 

 

 本当に、参りました。

 世の中には、日本には、本当に凄い人がいるもんです。

 私が認識しない世界の広さを、改めて見せつけられた思いが致しました。

 

 溜め息一つ漏らし、佐布里池に目をやりますと、湖畔には暖かな色彩のソウリウメが春の陽射しを受けて穏やかに咲き並んでおりました。

 

 

 

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知多半島の花

2012-03-18 12:39:27 | 愛知、三重 梅の花旅

 三河で梅と椿を楽しんでから、車を知多半島へはしらせました。

 途中で、昨年秋に彼岸花を堪能した半田市を通りました。

 真紅の景色が懐かしく思い出されます。

 

 愛知県は自動車王国のためか高速道路がとても充実していますが、私は懐に響かない一般道をのんびりとはしります。

 

 知多半島の国道247号線を南下する途中で、路肩に「椿の名所 安養寺」の看板を見かけました。

 

 急ぐ旅ではありませんので、当然、寄り道です。

 「八王山 安養寺」と記した石柱に赤い椿が寄り添います。

 穏やかな表情の石仏が南天の赤い実と水仙の花に包まれていました。

 

 

 

 安養寺の入口にはヤブツバキの古木が花を咲かせていました。

 胸高周囲119センチ、樹高8メートルだそうです。

 

 ヤブツバキも大きなものは10~15mになるそうですが、これだけの木にはめったにお目にかかれません。

 

 

 

 ツバキの横に、寺の後へ、丘に登る道がありましたので、歩を進めました。

 桃色の花を付けた優しいツバキが出迎えてくれます。

 

 

 

 丘の斜面全体にツバキが幾品種も植えられていました。

 

 丘の上から安養寺の小さな庭とヤブツバキの古木、そして、すぐ目の前の渥美湾の静かな海を望むことができました。

 

 

 

 長閑で平和な光景が広がっています。

 これ以上は何もいらないと思える穏やかな風景でした。

 

 胸の奥の隅々へ、潮の香りと安堵感が広がっていくのを楽しみました。

 

 お寺を出るときに、本堂前にたまたまご住職がおられたので、遠くから有難う御座いましたと頭を下げますと、ご住職からも丁寧なご挨拶を頂くことができました。

 安養寺さんのヤブツバキ、更にきっと10m、15mを越えて花を咲かせることだろうと思います。

 

 

 知多半島へやって来たのは半島の先端にある「観光農園はなひろば」を訪ねることも目的としていました。

 

 10年ほど前から、何処に行ったら花に会えるかを調べて、全国の植物園と花公園をホームページリストしています。

 愛知県では唯一「観光農園はなひろば」が未訪問先として残っていましたので、今回はそれを自分の眼で確認したかったのです。

 

 半島や離島にある花施設はなかなか行き難いので、こんな機会を利用して訪問しておこうというわけです。

 

 半田市内のコンビニでやっと見つけた公衆電話から電話して、(実は、私は今でも、携帯電話を所有していません)「観光農園はなひろば」へ「今は何か花が咲いていますか?」と問い合わせると「菜の花が咲いていますよ」との答えを頂きました。

 

 そしてこれが「観光農園はなひろば」の菜の花畑の光景です。

 

 

 旅の途中でフェイスブックにこの写真をアップしたところ、北海道の友人から「夏の雲だ!」とのコメントをもらいました。 

 北海道ではまだ「北の町では今も悲しみを暖炉で♪」と誰かが歌っていた通りなのでしょうね。 

 日本の季節の多様さに改めて思いを致すこととなりました。

 

 

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