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南京の駅弁

2010-11-03 00:04:09 | 上海 花の旅
 帰りの列車は南京発17時23分上海行き、列車番号D5443です。
帰りは一等座が取れましたが、どうやら二等座と一等座は待合室が違うようです。
 一等座の待合室は何となく空港のラウンジのような雰囲気で、ファーストフードやスウィーツ系の売店などもあります。





 更に、保温されたガラスケースにはお弁当なども並んでいました。
 そういえば、今日はお昼を食べていない! 
見知らぬ土地で次々と起こるアクシデントに無意識に緊張していたのでしょうか、この時間まで空腹は感じていませんでした。
 早速、24元のハンバーグ弁当を買い、待ち時間を過ごすことにしました。お弁当には暖かいスープも付いています。





 改札を出てホームに入ると、見慣れた感じの列車が止まっています。
指定席の15号車45番の席は窓側でした。
 一等車はやはり日本と同様に、左右2列のゆったりシートです。





 席には「旅伴」と名付けられた車内誌が置いてあります。但し、どうやら表紙に書いてある漢字(中国の漢字は日本と形が違います)は帯出禁止を意味しているようです。

 やがて、列車は走り出しました。
 しばらくすると、時速200kmで走行していることが車内の電光掲示板に表示されました。

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南京の観光地

2010-11-03 00:03:50 | 上海 花の旅
 莫愁湖公園は莫愁の伝説が残る公園です。六朝の南斉(なんせい)の頃、洛陽の莫愁という女性は家が貧しく、父の死後の葬儀費用を身を売って賄ったそうです。たまたま建業から洛陽を訪れた富豪が莫愁の美しさに引かれて莫愁を身請けしましたが、莫愁は故郷を懐かしみ、湖に身を投げたという有名な話があるそうです。


 莫愁像と池の石を伝って莫愁像に近づこうとする新婚さんです。
上手く近づけると、幸せになれるというジンクスでもあるのでしょうか?




 瞻園では民族音楽の演奏を聞くことができました。


 夫子廟は孔子を祭っている場所で、近くに秦淮河といった水郷のような場所があり、多くの観光客で賑わっていました。




 南京周遊コースはこの後、中山陵という辛亥革命の英雄「孫文」の陵墓に行くスケジュールですが、残念ながら時間が来てしまいました。私だけマイクロバスからタクシーへ乗り換えて南京駅へと向かいます。
 タクシーに乗り換える時には、周遊コースのガイドさんが運転手さんに何やら説明してくれていました。
 タクシーが走り出した後、南京中山植物園の前を通って駅に向かってくれるように地図を示して頼んでみたのですが、全く意図は通じませんでした。



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南京の歴史をひもとく

2010-11-03 00:03:29 | 上海 花の旅
 この南京周遊コースにはガイドさんが付いているのですが、何しろ説明は全部中国語だったので、種を明かせば、以下の解説部分は全て帰国してから調べ直したものばかりです。
 橋の次は、朝天宮。明代に文武百官が朝廷での礼儀を学んだので「朝天宮」と呼ばれ、現在は南京市博物館として10万余りの文物を所蔵しているそうです。


 

 南京は222年に呉の孫権が都と定めて以来、300年間に亘り人口100万を越える大都市として繁栄しました。その後も、南唐、明、清末の太平天国、そして中華民国に至るまで、十の王朝や国が、南京を首都と定めています。
 呉の時代から隋が中国を統一するまでの期間を六朝時代と呼び、この時期の文化を六朝文化と称しますが、その頃作られ、使われていた石器の説明が掲示されていいました。この頃日本では卑弥呼が国を治めていた時代ですから、それを考えると、その技術の高さには目を見張るものがあります。



 そして下の写真にご紹介する御三方はコースのガイドさんと、周遊コースをご一緒した、多分女子高校生とおぼしきお二人。女子高生達は何処へ行っても二人でポーズをとっては、キャッキャと写真を撮りまくっておりました。
 マイクロバスに乗った客は、他に、若い両親と小学生の家族連れの一組で、計6人という構成でした。
 ガイドさんは良く勉強している様子で、好感のもてるお嬢さんでした。


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南京長江大橋

2010-11-03 00:03:11 | 上海 花の旅
 それでは、雨の南京へ、見学スタート。



 最初に行った所は南京長江大橋でした。


 南京長江大橋は二層構造で、道路の下に鉄道が走り、長さ1577m、高さ70mの見事な橋です。1960年に建設に着手し、1968年に完成しました。
 地上からエレベータに乗り、橋の上に上がります。


 

 橋の上に上がると、幅広の道路には車の流れが絶えず、見下ろせば長江(揚子江)には大きな船が航行しています。
 それにしても揚子江、一度はこの目で見てみたいと思っていましたので、意外な展開でしたがが、その姿を目の前にして、大満足です。




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南京の饅頭怖い

2010-11-03 00:02:53 | 上海 花の旅
 唐突で恐縮ですが、南京駅の売店で売っていた饅頭です。


 以前、何処かで高菜饅頭というのを食べたことがありましたが、この中華饅頭は具が中国野菜で、高菜饅頭そっくりのホカホカ饅頭です。もしかすると、こっちが元祖かもしれませんが。
 期待して訪れた南京は雨で、懐も寂しく、駅構内の待合室でいっとき「饅頭怖い」と洒落込んでみました。これはこれで、なかなか乙なものです。 (負け惜しみかも・・・)



 饅頭の次は懐を温める作戦です。南京駅の隣に立派なホテルがあったので、入っていって、フロントで円を元に換金出来ないかと聞いてみたら「OKです、お部屋番号を教えて下さい」との返事。それで「宿泊者ではないのですが」と答えると、首を横に振って「申し訳ありませんが・・」との返事。
 現状打開策その二、人民元換金作戦は失敗に終わりました。まあ、私が厚かましいだけで、当然なんですけどね。
 「現状打開策その一はどうしたの?」ですか?。私としては饅頭を食べたのも現状打開策のつもりです。「腹が減っては軍は出来ぬ」と言うじゃありませんか。
 しかたがないので、とりあえずタクシーを捕まえて、せめて植物園の入口まででも行ってみようかと、タクシー乗り場を探してみましたが、降車場はあるのに不思議と乗車場所が見つかりませんでした。



 南京駅をあっちへウロウロ、こっちへチョロチョロ。そうこうする内に、キオスクのような店で目に留まった南京ガイドマップを買い、通路の横の適当な場所に座って眺めていると、おばさんが何やら中国語で一生懸命話かけてきます。その手元のパンフレットにはマイクロバスの写真に南京周遊と書いてあります。ちょっと警戒しながら、英語で「私は日本人で中国語が解らない」と言っても、紙へ15元と書いて食い下がってきます。「え!15元」その値段に驚いて、思わず説明を聞いてみると、別に夫々の施設の入場料が加算されて、合計で175元になることが判明。それでも、この状況下、何とか夕方まで時間が潰せることにはなるので、結局、この話に乗ってみることにしました。それにしても、今になってみると、一体どうやって、これだけのことを中国語しか話せないおばさんとコミュニケートしたのかが不思議でたまりません。
 それにしても、このおばさんのバイタリティーに脱帽です。


 

 そして、これがそのマイクロバスです。

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南京到着

2010-11-03 00:02:35 | 上海 花の旅

 列車から見る上海郊外は建設工事が目立ち、拡張する上海が手にとるように理解できます。


 そして、マンションの建築現場では、ここでも竹の足場が活躍していました。


 8時17分、列車は最初の停車駅「無錫」に到着しました。


 懐かしい雰囲気の気動車が向かいのホームに停車しています。次に来るときにはこんな列車に乗って旅してみたいものです。



 順調に列車は走り、丹陽の街が見えてきました。


 上海と異なり、あまり高い建築物は見当たりません。



 8時52分、定刻に丹陽に到着しましたが、

 「あ~あ!」


 無情にも雨が降り始めました。

 しかし、9時37分、中国新幹線D86列車は南京に定刻到着。


 ホームに掲示された「南京」の文字が素直に嬉しく感じられます。



 南京駅はホームも広く、清潔な佇まいです。


 しかし、一歩駅の外へ出てみると雨脚は強く、雨具の用意もない身では身動きもとれません。


 帰りの列車は夕方17時23分です。それまで一体どうしよう!



 そして、実はもう一つ不自由な問題を抱えていたのです。


それは人民元の手持ちが少ないことです。


 5月1日から中国は三連休に入り、銀行が休みとなってしまったのですが、連休に入る前に円を元に換金していなかったのです。


 今の手持ちの元は400元強、円換算で6000円程度しかありません。日本円は持っているのですが、いくら物価が安い中国とはいえ、少々心細い状況です。


 さあ、さあ、どうする。

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中国新幹線

2010-11-03 00:02:15 | 上海 花の旅
 さて、いよいよホームへの改札が始まりました。


 乗客はみんな、一斉にホームへと向かいます。


 ホームには既に列車が止まっていました。全ての座席が指定されているので、乗客は整然と列車に乗り込んで行きます。


 列車は日本の新幹線「はやて」の技術を使用して製造されたそうです。
 私の乗る12号車の手前にビュッフェ車両があり、既に何人かの乗客が席で新聞などを広げていました



 車内は日本の新幹線と全く同じで、左右に2列、3列の座席になっています。
 但し、座席は通し番号なので、切符に印字された座席番号からは窓側なのか通路側なのかは全く分りません。



 私の席は12号車の54番。3列座席の真ん中で、両脇を若い女性に挟まれての旅となりました。
 やがて、乗客が各々の席に座り、暫くすると、列車は音も無く走り出します。



 車内販売の売り子さんがワゴンを押して、弁当などを売りに来る様子は日本と全く同じ光景です。


 そして、女性の車掌さんが検札にやって来ました。


 検札は、何と、ミネラルウオーターのおまけ付きです。
ペットボトルには「チベットの泉」と英語で記載され、漢字で青蔵高原5100mの天然氷河の水であると記載されています。中国新幹線車内専用で非売品だそうです。


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上海駅

2010-11-03 00:01:56 | 上海 花の旅
 今日は次なる目的地、南京植物園を訪問してくる予定です。上海から南京までの旅程303kmは鉄道を利用します。鄭州行き中国新幹線、上海発7時25分、南京着9時37分の切符は本当に苦労して手に入れました。その経緯は以前のページに記載しましたので、興味のある方も、そうでない方でも、一度お読み頂ければ、この後の展開がより一層興味深くなること請け合いです。 さて、ホテル近くの漕渓路駅から上海駅までは地下鉄で約30分程度。中国の鉄道を利用するのは全く初めてなので、用心のため、新幹線の出発時刻の30分以上前には上海駅に入ることにしました。6時過ぎにホテルを出ましたが、その前に天気を確認するために部屋から窓の外を覗いてパチリと一枚。


 実は、今回の旅行で、当初は南京訪問を予定していませんでした。しかしネットで調べてみると、南京中山植物園は中国四大植物園の一つで、孫文(孫中山)を記念して1929年に建てられた国立植物園であること、更に上海、南京は鉄道で日帰り可能なことも分りました。 そんなことを知ってしまった植物園フリークとしては、もう黙って見逃すことはできません。すぐに帰国の飛行機の予約を変更し、ホテルの宿泊予約も追加したのでした。兎にも角にも、そんなこんなで、いよいよ、朝の上海駅前広場に到着です。


 上海駅は日本の鉄道駅と異なり、駅構内に入る前に検問があります。


 しかも、空港同様に手荷物のX線検査まであります。


 外の駅前広場は人が溢れていますが、駅構内はゆったりです。


 電光掲示板は分り易く、どうやら私の乗るD86列車は一番線から出発するようです。


 通路にも常に情報が電光掲示されています。そして、乗客は候車室と表示された待合室に入り、時間がくるのを待ちます。


 待合室のシートに座るまで、迷うことや不安に感じることは全くありませんでした。

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上海へ戻って

2010-11-03 00:01:38 | 上海 花の旅
 上海で初めてのツアーを終えて、再び上海の街に戻ってきました。オークラガーデンホテル上海の近くでマイクロバスを降り、向かったところは目抜き通りの准海中路にある倉(サンズイが付きます)浪亭。ガイドブックによれば「この店は元祖蘇州麺の店で、蘇州出身の両親をもつ初代が中国北部の麺をアレンジしたのが始まり。一日1000食以上の売り上げを誇る」と記載されています。


 店の中は明るく清潔な雰囲気です。連休初日のためか、街中に人影も少なく、店も空いています。


 そして、注文したのがこれ。
 料理の名前を控えるのを忘れましたが、丼の横の小さな皿に乗っているのは多分、鯰を調理したものだと思われます。これ自体はあっさりしていながら、魚の旨みも出ていて◎。ところが麺に生臭いような、土臭いような独特の匂いがあるのです。何だろうと思いなが、食べ続けましたが、どうやら調理に使う水に問題があるのでは、との推測に至りました。
 上海は400年ほど前までは、14mの高さの築山が一番高かったほど平坦な場所です。生で飲める水は普通には手に入らないのだと誰かが(多分ツアーのガイドさん)言っていたのを思い出しました。




 この店で考えさせられたことは中国と日本の、料理においても異なるその背景と成り立ちです。

 日本では簡単に手に入る清潔な水で素材を洗い、加工ができます。だから、素材本来の味を生かす調理法が発達したのだと考えます。刺身などはその典型だと思うのです。

 一方中国では、全ての素材を生では使うことができないために、強火で鉄鍋を熱して、調理せざるを得なかったのだと考えました。更に、調理に油を使えば、短時間で素材は高い温度に晒されるために、殺菌ができて、素材本来の味を素材の中へ閉じ込めることもできます。
 中華料理と日本料理の特徴の違いは、夫々の環境の違い、最終的には調理に使える水の品質で、かなりのことが説明できるのではないかというアイデアですが如何でしょうか?
 「え!」
 「そんなことは料理が美味ければはどうでもいい」
 「・・・ごもっともです」 

 さて、この夜の食事には少々不満が残りましたので、最後は結局、衝山路の「PAUL」で美味いビールを飲みながら、示唆に富んだ一日を終えることと致しました。


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蘇州のピサの斜塔

2010-11-03 00:01:19 | 上海 花の旅

 私はガイドさんに連れて行かれるまで、中国にも斜塔があることを全く知りませんでした。

 

 昨日、ツアーに参加することを決めてから、ガイドブックも見ずに、完全に「あなた任せ」。


 そしてガイドさんは、私が何かを見つける前、何かを探し出す前に、程よいタイミングで解説してくれます。


 例えば「中国のピサの斜塔の傾きは15度で、塔の上部は塔の倒壊を防ぐ為に、傾斜角度を修正した」こと、その角度を一番良く写真に写すことができるのはこの場所です。などなど。



 また、斜塔が建つ虎丘の周囲の水路にも舟が浮び、「水の蘇州」としての趣を十分に楽しませてくれます。

 

 ガイドさんに「この水は何処から来るの?」と質問しました。


 「全長2500kmの大運河が北京から杭州まで繋がっていて、その運河から水が供給されている」との答でした。


 中国のスケールの大きさを改めて思い知らされました。



 とは言え、効率的で、ポイントを見逃すことも無いツアーですが、昨日までの旅のように胸にビビットくるものが少なく、少々物足りないのは何故なのでしょか。


 今、この日を思い出しても、心象風景として残っているものがそれ程多くないのです。


 やっぱり、私は知らない場所を、「あれって何だろう」と驚いたり、ちょっとドキドキしながら歩くのが向いてるんだろうなと、このブログを書きながら、改めて自覚した次第です。

 

 

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蘇州 寒山寺

2010-11-03 00:01:00 | 上海 花の旅
 蘇州では留園の次に寒山寺を訪れました。
 寒山寺は、南北朝時代に創建され、中唐の詩人、帳継の七言絶句「楓橋夜泊」で広く知られています。



 江村橋は、寒山寺南門付近に架かる石造の太鼓橋で、起源は唐の時代にさかのぼりますが、今の橋は清の時代に修造されたということです。いかにも中国らしい風景だと思いませんか?



 境内には、本堂にあたる大雄宝殿があり、仏事はここで行われます。その前庭に置かれた香炉では線香が炎を上げて燃え盛っていました。
 日本ではここまで盛大に線香を焚くことはないように思いますので、ちょっとびっくりです。



 そしてこれが、寒山寺の境内に建つ「楓橋夜泊」の石碑です。
 高校の頃に教わった漢詩に出会えて、訳も無く嬉しくて、思わずガイドさんにシャッターを押してもらった一枚です。




 その石碑に刻まれている七言絶句は 

 月落烏啼霜満天、 (月は落ちて烏の声が聞こえ、霜の気配は天に満ち)

 江楓漁火対愁眠。 (運河の楓といさり火が、旅の浅い眠りをかすめる。)

 姑蘇城外寒山寺、 (そのとき姑蘇の城外の寒山寺から、)

 夜半鐘聲到客船。 (夜半を告げる鐘の音が、私の船に聞こえてきた。)



 寒山寺の境内の東端に建てられた普明宝塔に登ると境内を見渡すことができます。
 

 そして、眼下の建物の屋根を見ると、沢山の投げ込まれたコインが瓦の中に輝いていました。参拝客がコインを屋根に投げて、落ちずに上手く屋根に止まると、財をなすことができるんだそうです。どこの国でも庶民の願いは変わらないものですね。

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上海 蘇州へ

2010-11-03 00:00:43 | 上海 花の旅
 今回の旅では最初で最後の団体行動でした。とは行っても、妙齢のガイドさんと大阪から来られた中年のご夫婦と私の4人だけですが、朝9時にオークラガーデンホテル上海に集合。10人乗り程度のマイクロバスで、蘇州へ向け出発しました。
 運転手さんは連休初日なので、相当混雑が予想され、蘇州へはいつもの倍以上の時間がかかるかもしれないと話していましたが、高速道路にのると以外にスムーズで、結局12時前には蘇州最初の目的地「留園」に到着することができました。






 バスが出発してから、すぐにガイドさん(多分25歳ぐらい)が熱心に蘇州の歴史などを説明してくれましたが、残念ながら、今では全く覚えていません。朝、バスに乗った後は、ただ黙って付いて行くだけ。昨日までの旅とは雲泥の、楽ちん旅行です。

 留園の中に入ってからも、目の前の岩や池や、その他諸々を説明してくれるので、そのたびに「へー、ほー」と感心して聞いていた記憶はありますが、これまた、殆ど記憶に残っていません。

 何しろ、歩くペースが早いために、ゆっくり写真などを写す暇はありません。昨日の豫園では、人が途切れるのを待ってシャッターを押したり、アングルを変えてシャッターを押したりしたのですが、今日は遅れずに付いて行くのがやっとです。

 それでも、中国三大太湖石の冠雲峰には穴が多く、その数が多い程、太湖石は貴重なのだとの説明や、



 留園の広い池の周囲を回廊が囲み、その一角の藤棚には季節になると見事な藤の花が咲くことなどの説明は僅かに記憶に残っています。


 そうそう、ここでも通路は、纏足の女性が滑らないように、綺麗な文様に小石が敷き詰められていました。

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上海 野鴨鍋で乾杯

2010-11-03 00:00:24 | 上海 花の旅
 さて、南京行き新幹線の切符を手に入れたのは良いのですが、明日、5月1日のスケジュールが空いてしまいました。既に上海市内の主な場所は見てしまったので、先ほどJTBで勧められた、蘇州日帰りツアーを申し込むことにしました。オークラガーデンホテル上海へ戻って、JTBでツアー料金650元を支払った後、地下鉄で人民広場駅へ戻り、上海三日目の夜の食事処を探すことにしました。明日からの連休を控えてなのか、夕方のラッシュアワー時間に重なったのか、駅のホームは人で溢れかえっていました。


 実は、人民広場駅周辺は上海初日の夜に、食事処を探して一回りしているのですが、なかなか一人で店に入る気がしなくて、衝山路方面で洋式のレストランを探して食事を摂ったのです。
 今夜こそ何とか人民広場駅周辺で中国らしい店を探しだそうと、気持ちを固めて、いざ出陣です。



 上海三日目ともなるとすっかり、余裕がでてきて、通りから見える店の中を十分に観察しながら、声を掛けてくるお店の人にも適度にうなづきながらで、明るい通りを、店を探してゆっくりと、歩いて行きました。

 そして、ほど良く客が入っている、一人客も落ち着いて食事をしている店の、入口にいた店員らしき女性に、まず自分を指差し、次に「一人だけど」の意味で人差し指を立てると、笑顔で「そうぞ、どうぞ」の仕草。店の端の窓際の席へ案内してくれました。店内は明るく清潔で、各々のテーブルの上で鍋がグツグツと、なにやら熱い音を立てています。



 そして、テーブルのメニューで見当を付けて、頼んだのが野鴨鍋でした。

 

 ボリュームたっぷりで美味しく、良く冷えた地ものの「雪花」というビールもさっぱりしていて、これまた大満足の夕食となりました。


 上海三日目もこうして終わりを迎え、ホテルへ帰ったのは22時近く、これまた、部屋に入るなりバタン、キュー。
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上海 南京に行けるぞ

2010-11-03 00:00:04 | 上海 花の旅

 豫園で予定時間を少々オーバーしたのと、豫園辺りは地下鉄の便利が悪いので、上海市街としては初めてタクシーを使いましたが、それでも料金は14元程度ですからほんとに安いものです。

 

 運転手に地図を示すために助手席に乗りましたが、上海では地元の人達もよく助手席に乗っていました。


 JTBはオークラガーデンホテル上海の二階にあります。


 案の定、この時間、JTBは空いていました。

 

 カウンターで「南京植物園に行きたいので鉄道の切符を手配してもらえないか」と頼んでみましたが、そのようなサービスはしていないとの返事でした。

 

 上海へ行くツアーも無いとのことです。

 

 逆に、日帰り蘇州ツアーを勧められました。


 結局、自分で切符を手に入れる以外に、方法はなさそうです。


 しかも、何と!「中国では明日の5月1日から3日までが連休だから、列車は相当に混んでいるはずだ」との話でした。


 「まー、やれるだけやってみよう」と決意して、再度上海駅へと向かいました。



 そして、上海駅で再び、自動販売機の前に並びました。


 販売機は路線別に18台が設置されています。


 上海方面への販売機は左側から順に数台が該当します。


 同じグループが一緒に並んでいる為か、以外と早く順番が回ってきました。

 

 前の人のやり方を見ていたのと、販売機の操作方法が壁のビデオに写し出されたのを確認していたため、操作はスムーズでしたが、5月1日の南京行きの列車は14時ごろまで満席だったのです。

 

 仕方ないので再度、販売機を操作して5月2日の列車を調べると、上海発7:25 鄭州行き「和諧号」 南京着9:37に空席があり、また帰りは南京発17:23 上海行き「和諧号」 上海着19:33の一等座に空きがあったので、何とか画面内容を判断して、切符を購入することができました。


 もっとも、南京発の列車の切符を購入する際には、漢字ばかりの5~6行の文章が表示されて、その下に「是」「否」のボタンが示され、意味も分らず思案していると、後ろから大学生らしき若者が  You will com back to Shanghai? (上海に戻ってくるの?)と聞いてくれたので Yes ! と答えると、後ろから手を伸ばして「是」を押してくれたのです。


 


 ちなみに上海、南京間約300Kmの新幹線、 行きの料金は二等座93元 約1400円、帰りは一等座112元 約1700円でした。

 

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上海 豫園

2010-11-02 23:59:46 | 上海 花の旅
 豫園は1557年、明代の役人が父親のために19年かけて造った私庭が始まりだそうです。その後、荒れ果てたり、修復されたりを経て、1961年に現在の形が完成したそうです。
 豫園に入って、一人で見学したり写真を撮っていると、久しぶりの日本語が耳に飛込んできました。どうやらガイドが日本人観光客を案内しているようです。黙って横に引っ付いて、ガイドさんの話を聞かせてもらうことにしました。
ガイドさんの話では上海には山がないので、金持ちが庭をつくる時には岩を高く積み重ねて、贅を尽くすのだと説明していました。


 

 豫園では、庭の到る所に大きな岩が積み重ねられています。
庭の一番高い所は14メートルもあり400年前は上海で一番高い場所だったそうです。
 豫園の中で一番印象深い場所は池に面した二層の楼閣と、錦鯉が泳ぐ池に架けられた橋の周辺です。



 しばらく、黙ってガイドさんの話を横で聞いていたのですが、ガイドさんが「皆さん、バッグの口などはしっかりと閉じて下さい」などと言い始めたので、怪しい人と勘違いされたのだと思い、近くの人に「皆さん日本から来られたのですか?」などと声を掛け、怪しくないことをアピールするとともに、ずうずうしくも「横でガイドを聞かせて頂いて宜しいですか?」と聞いてみました。だれも「いいですよ」とは言いませんが、「お断りします」とも言われなかったので、そのまま厚かましく同行させて頂くことに致しました。

 昔は男尊女卑で、男性が談笑する部屋と女性が談笑する部屋が別だったとか、当時の女性は纏足だったので、雨の日に女性が滑らないように通路には小石を埋め込んであり、その形も鳳や亀などと趣向をこらしてある。というような説明を聞かせて頂くことができました。


 


 豫園では到る所に縁起の良い動物の姿をみることができます。
壁の上に泳ぐ龍を見ることができます。昔、龍は皇帝の象徴で、皇帝以外のものが自宅などに龍を飾ると、その者は首を刎ねられたのだとか。そこで、豫園の所有者はこの龍を「龍ではない」と弁明するために、爪を5本から3本に減らしたそうです。
 また、別の屋根には、財産を象徴する鹿の姿などを認めることもできました。


 

 豫園でガイドさんにお礼を言って別れ、ちいさなお店で、油揚げの入った春雨丼を食べ終わったら、13時半を過ぎていました。

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