Haruの庭の花日記 Haru's Garden Diary

日々咲く花達に庭で出会い、その優しさに心癒される日々です
花を眺めながらおしゃべりしています

台風が過ぎて今日は猛暑日です! お盆も終戦記念日も過ぎました

2024-08-17 | その他

早いもので8月も半ばを過ぎてしまいました

昨日の台風は千葉でも房総の方は大変だったのでしょうが

ここは内陸で雨のみ、風は大したことなく

無事に通過しました

 

昨日でお盆も終わり京都では大文字の送り火が行われて

また日常が戻りました

ウチは浄土真宗で魂は常に自分たちの周りにいると言われています

特別なことはなしで

仏壇の前に飾った私の父母と息子の写真を見ながら

私達を見守ってくださいねと語りかけました

 

ホスタ ロイヤルスタンダードが咲いてきました

いつも8月のこの頃に咲きます

 

今年はパリオリンピックにメディアも集中していて

6日の広島、9日の長崎の原爆記念日の報道も

少なかったように思えました

というか、私自身もオリンピックに集中していて

あ〜、今日だったんだなという感じで反省です

 

毎年この時期には新聞で検証の記事を読んだり

テレビで戦争を伝える録画などを見ながら

戦争の虚しさやなぜこうなったんだろうと考えてしまいます

でも、戦争を経験してない世代が増えて

語り部も高齢になって若い世代が知らないことばかりになりそうです

 

 

私自身も戦後生まれで何も知らないのですが

母が大阪大空襲の話をよくしていました

父は中国ハルビンで終戦を迎え

病気などがあり実際の戦場には行ってなかったのですが

そこで秘密部隊でのロシア語の特訓を受ける中の一員になり

ロシアが参戦していたら命はなかっただろうと

よく言っていました

皆で当時の話は封印だったらしく

戦友会とした活動が始まったのも昭和50年ぐらいだったか

ずいぶん後でのことでした

父は思い出としてハルビンのことを書き残していますが

実戦のないままだったこともあり

甘美な思い出として書いていますが

そこにもたまたま軍隊に入ってからの3ヶ月の入院を伴う病気が

自分の人生を変えたと書いていて

逆の人生を歩んだ方も多いなか父は思わぬ病気の結果だったんですね

そうでなかったら今の私もいないわけです

 

 

義母の兄は終戦間際の8月9日にフィリピンで戦死

父親の顔も知らない小さな子は今は主人よりも年上の従兄弟

再婚された母親と御本人にも何度か従兄弟会でお会いしましたが

身近なところでも戦争の跡が残っています

 

ダリア  ビショップ・オブ・ヨーク

 

小学校の6年生の担任の先生が

原爆の悲惨さを話して下さったことが今も心に残っています

中学3年生の春休みに祖父母に連れられて

広島などに旅行に行った折に訪れた

今の名で言うと広島平和記念館で見た衝撃は今も脳裏に焼き付いています

 

今も現実に起きている戦争を思うと決して過去のことではなく

平和がいかに大事でいかに得難いものかを

示しています

早く各地で終戦を迎え平和が戻るように

テレビで悲惨な攻撃で傷つく子供達の映像を見ながら

思わずにはいられません

お盆、終戦記念日に色々な思いで仏壇にお線香をあげながら

平和のために祈りました

 

猛暑の中でダリアがいっぱい咲いています

お仏壇にも供えました

 

ツルバキア ビオラセラ

たまにですが可愛い花を咲かせています

 

なんだか書き始めたら取り留めもない長い記事になりましたが

最後までありがとうございます♪

コメント (6)
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