年に1度はめぐりくる終戦記念日だけど、
私の胸に父が生きてる限り忘れることはできない。
幼い頃に母と離婚した実父の顔は写真でしか知らない。
16歳のときだった。
仲がいい母子ふたり暮らしから突然母を奪った新しい父。
彼の腕に残る深い傷は私がつけた。
親戚の家に預けられた私はきれいごとばかりじゃない人生の
ひだの中にいて、いつ燃え尽きてもいい刹那に生きる自分に
しこたま酔いしれていた。
荒れた数年間を経て家に戻ったとき、
父の心に戦争がもたらした深い傷があることを、
死ぬまで背に担う重い荷物があることを知った。
同時に、
世の中でいちばん不幸だと思っていた自分の愚かさも知った。
父の魂の痛みに比べれば自分のはカスリ傷みたいなもの。
酔うと縁側で軍歌を唄う父のそばにいつも母が寄り添う。
肩を震わせる父の背中を撫でながら手ぬぐいを渡す母を見て、
負けたよ、あんた。
私より父を選んだ母をまるごと理解できた。
その日が私の終戦記念日。
何年のいつのことだかは定かではないので、
父の命日をその日とす。親父part7(Last)
誰かがを上げてくれた記事ふたつ、
ありがとう。
8/15は終戦記念日
生等(せいら)もとより生還を期せず
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