スペイン戦争はニザンを殺し、ピカソのGuernikaを産んだ。
1986年10月、群馬県立近代美術館でパブロ・ルイス・ピカソ展が開催された。
あの時は10月4日~11月3日までの開催期間に3回ぐらい見に行ったはず。
当館発行の「ピカソ展」の画集を見るたびにため息をつく、
この人のデッサン力といったらハンパじゃない、とくに裸婦像はくらくら。
1898年ピカソ20歳のころ。
長い植民地戦争でスペインを疲労困憊させていた米西戦争が終決した。
時代はもっと遡るが、怒れる作家ポールニザン、パステルナーク、ガルシア・
ロルカの詩に深く傾倒した自分にとって、スペイン戦争とカタロニア地方の
"裸山にオリーヴの木々が点在する風景"はピカソとともに厳粛なmyアートの
カタルシスと云える。
「村」 フェデリーコ・ガルシア・ロルカ
裸山の上に
キリストはりつけの像
澄んだ水と
百歳のオリーヴの木々
せまい路地をゆく
マントにくるまった男たち
塔の上で
風見がまわる
くるくるまわる
おお ほろびかけた村よ
嘆きのアンダルシアの!
ピカソの「青の時代」(1901~1904)と云われたこの頃のエッチング(版画)は、
グレコを彷彿させる黒を基調とし、やせこけた人物像を多く描いている。
この後「ばら色の時代」(1905~1906)を経て、パリでセザンヌやブラックと出会い
ピカソはロートレック的技法や原色の世界へと変革してゆく。
ピカソの長い生涯の一連の作品はその「時代」の変遷と文化を映し込み
今に続く不朽の芸術として鑑賞されているところが月並みだけどすごいの一言。
鎌倉の近代美術館で見た「エドワルド・ムンク展」は1970年の秋だった。
あまりにも有名な「叫び」を見に行ったのだが、のほほんとした私にはムンクの
叫びが届かず、そのせいか買い求めた図録も帰りの電車に置き忘れた。
今思うとほんとに惜しいことをした。
後日ほかの機会で「生命のフリーズ」や「労働者のフリーズ」を観たとき、
矢のような勢いでムンクの叫びが私の胸に突き刺さった。
「家路につく労働者たち」と「疾走する馬」は双璧。
エドワルド・ムンクの「疾走する馬」(1910-1912)
39年前の氏名表記は「エドワルド・ムンク」、
現行は「エドヴァルト・ムンク」に改変されている。
ここにも確かな時の流れを感じた。
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