今年の夏もタイに行くことができた。大阪でもドムアンでも空港発着時にはたくさんいた日本人乗客も実際の私の10日間のタイ視察旅行には一人も出あわなかった。
つまり、この10年来の私のタイ行きもそのパターンが段階的ではあったが変化してきたことによる。タイ人ガイドとの観光的システムにいやがおうでもつき合わされた初期のパターンからタイの農民や教師らと知り合っていくなかで最近は彼らの普段の生活空間の”流れ”にまかせたり、一人でのんびり地方探索にひたったり、いわば肩に力の入らない旅ができるようになった。必然的に日本人を見かけることもなくなったのである。
日本ではまず紹介されることはないであろう生きとし生けるタイの庶民達との出会いをたとえ10日余りの滞在であっても毎年繰り返せば彼らの時間の流れの中で彼らの実態象がみごとに写し出されのも事実なのである。私のその意味でタイに何年いたとかという時間論よりも短期間であっても、誰とどんな風に関わってきたかという様態こそがその国の心底を真に捉えうると言いたい。
本稿では、はじめに今回の単独探訪記を書き記し、その後、先ほど述べた視点をもってこちらの意識を相手の意識構造の流れの中に近づけた場合何が見えたのか、その一端を具体的に述べてタイの現在の姿を理解する一助としたい。
とはいえ10日余りの日程では行ってみたい地域、毎度言っている地域いずれもこころゆくまで回ってみることはできない。東北タイのメコン川バス北上の旅、北部の国境の町メーサイ再訪、南部鉄道の旅、どれも魅力的である。あるいは今回はバンコクの大学のキャンパスに身を置いて思索してみるのも魅力的だ。中等学校の教師カニヤさんにも、中部農村の女学生ソンブーンにも会ってみたい。
いろいろ具体的に計画を練ってみるがどれも削るのはつらい。裏返していえば衝動はあっても策がない、というものだ。バンコク到着してからもどこへ行くべきか適地の選択に迷っている。だが、いつまでもそうは言っておられない。
到着翌日、決断原則をたてて気持ちの整理をする。①時間のかかるコースをまず進む。もし少し後で行きたくなっても時間的に取り返しがつかない。②現地に来て、そうすることが億劫になっている、エネルギーがかなりかかる、が、日本にいるときには一番行きたいと思ったところ、そこははずせない。③タイの友人、知人には必ず会っておくこと、等々である。
タイへ来てこんな理屈を考えるのも楽しいものだ。とにかく私はタイの流れに身を置いたのだ。原則に沿ってまずは当歩期待、メコン川北上のバス紀行、残りはタイの友人たちの訪問ということに落ち着いたのである。
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