ムラがどのようにつくられたのか?私は大いに関心があった。
バンコクの英語の先生のチャナロン氏とこの村へやって来たときムラの形成過程やムラの名前の由来などを調べたのだが、そのペーパーがどこへいったか行くへ不明である。誠に残念である。
ただ、ほとんどが「ノーン」の名前であることから、それは「池」、「沼」の意味であるから、水資源のあるところに村を作ったようだ。
あるときノンタカ村(ムー4)の形成過程について聞き取りを行ったことがある。*ムー4とは行政単位の呼び名である。
ノンタカ小学校の西隣のトッおじさん(55才)に聞いてみた。
「このムラはな、今から50年程前、即ち1920年代に出来たんじゃ。」「最初にやって来た草分け家族はシィーター氏で、後に続いて5家族がやって来たんだ。ポーチャター、ポーサー、ポーコヌ、ポーチャリー、ポープイ、だったよ。」*ポーは年長男性の称号。
「大部分がノーンハーン郡内からやってきたんじゃ。
みな、土地の開墾をするためにやって来たんじゃ。それまでに自分たちの土地があったから耕しに来てたんだ。」
「わしがこの村に来たのは43年前、12才の子どもの時だった。その頃はもう50家族は確かおったな。」
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