アピチャート氏は、こうした学校案内や農家の知人への聞き取りをせっとしてくれた以外に町のはずれにあるバンチェンという遺跡も案内してくれた。ノンハンの町から10キロくらい東に行ったところにあり遠来の客は必ずそこへ案内すると彼は言う。「文明の発祥地は東南アジアにあり?」とリーダーダイジェストに書かれているのを読んだことはある。そのバンチェンの博物館にはアピチャート氏の友人が勤めているのでいろいろ説明してくれる、とのことである。しかし、あいにく閉館であった。
このバンチェンは小高い丘にあって面積にしておよそ2・5平米とのことであるが、その丘全体が一つの墓になっていて人骨や鉄器、青銅器、土器が無数に発見されたところである。私は考古学のことは分からないが、古代メソポタミアが一応、人類の文明の発生地とされる、そこで村落を形成し、農耕ををし、紀元前6000年頃には銅を用いた道具を作っていたとされる世界史の中で、ここバンチェンでは地層の紀元前1万年前のところで栽培植物の炭化が発見され、紀元前6800年前の地層から土器が発見されたということは一体何を物語るのであろうか?
博物館が閉まっていたので、現在、発掘展示場になっている寺院の敷地へ行った。人骨や土器の小片が1~2メートルの地層にこびりついている。新築中のお寺の壁に貼り付ける彫刻を彫っている若い僧侶がノミを手に汗をかきながら作業をしていた。タテ2メートル、ヨコ50センチくらいの硬木に竜巻雲のような台座の上にお釈迦様が二人座っているような図柄の彫刻を彫り刻んでいる。一枚の板を仕上げるのに45日はかかる、と僧侶は言う。数十枚は彫っていく予定とのことである。こうした彫刻技術はラオスのルワンプラ版で少年僧の頃学んだそうである。そういえば別の村で若い農夫が胸にクメール語の刺青を刻んでいるのを見たことがあるが、東北タイではまさしく文化圏、文明圏はクメールやラオスなどと深くかかわっていることが分かる。
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