知らないタイを歩いてみたい!

タイの地方を紹介する。関心のある方の集まり。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

「地球・みらい・創造の旅ー世代を超えて!親子体験プログラム」(5)

2021-08-09 15:27:32 | チェンマイ
 「ウラユットはやり手だ!」ピアムスック先生から半年ほど聞かされてきた。昨年までのサライ理事長に代わってウラユット理事長、教頭4人制などとなり学校施設の大改革、機構改革を断行されており、日本の学校現場の教育改革以上の勢いを感じた。

「やり手」だ。施設のリニューアルは自費をはたく場合も多いとの説明に「えっ!」でした。多くの日本人がチェンマイ文化体験学習をしている時間に私は理事長に連れられてすべての改良した施設、棟を汗をかきながら見学させてもらったのである。特に、トイレについては隈無く案内され、北側の体育館の奥のトイレまで連れて行かされた。「すべて自分の家のようにきれいで快適でなければいけない。学校に来たくなるような施設、居たくなるような施設にすることが大切だ。」とおっしゃる。廊下も憩いの部分を設けたということでやや腰を下ろすスペースが作られている。コンピュータールームも改造、改築されていた。英語科の職員室の机椅子は新品。図書館はすべての書籍がひっくり返され、書架が搬入しされていた。エアコンも随時設置されている。赴任して半年、予算も限られているなかでこの大型改造はユパラートにとっては大きな事件に違いない。前理事長のことも「あの人は何もしなかった。」とズバリ。すごい理事長である。実は後で話して分かったことであるが私はこのウラユット理事長にはランパンでお会いしたことがあった。もちろん私は覚えたないが、理事長がランパン、カラヤニー校におられた話から、私は十年ほど前に一人で訪問したことがあった話をしたら「覚えている。古典楽器を見に来たな」という話。びっくりした。でも私は、カービングやタイ料理、折り紙などの文化教室は結局体験できませんでした。そのことは残念でした。


 昼前には、一階のオープンスペースで生徒の部活動による歓迎の古典楽器演奏と舞踊を堪能しました。タイ料理もおいしくいただきました。だれかれなくお茶やお食事を準備して、サーブしていただく配慮には本当に頭が下がります。全くそつがありません。全員こうした体験は初めてのようでした。こうした学校の組織をあげた歓迎ぶりに本当に感激いたした次第。特に踊りはしっかりビデオに収めて帰りました。こんな歓迎がいとも簡単にできるのはやはり六百年に渡って培われたランナータイ王朝文化の伝統であろう。人を歓迎し魅了させる国チェンマイである。踊り、聴き、しゃべり、食べる、これが基本的な友好スタンスである。ユパラートへ感謝をいたし後にしました。(日本ではできないな)
 午後の訪問地チェンマイ・ナータシン・ボーラン(舞踊学校)へ行ったのですが実技指導は午後3時頃がいいということで急遽、民芸品の村バーン・タワイへ。ここではバンコクの半額以上の木製彫刻品等が購入できる飽きない村だ。でも時間が1時間もない中で皆さんはやや欲求不満のよう。
 ナータシンへ帰って、学校の歴史やカリキュラムなど校長先生から説明を受ける。校内をじっくり見て回る。舞踊にしろ武術にしろ、楽器にしろアチャーンから教授され、伝統の音楽を修得していこうとするタイの国の在り方に羨望を感じた。日本のアイデンティティーはどうなっているのか?と思わず深刻に。この学校は71年6月1日創立。当初は「チェンマイ舞踊学校」78年には「チェンマイ舞踊カレッジ」と変更に。教育省、芸術文化学術課の下に運営されている。120人の先生、9人の講師、4人の専門家。事務職員は3人、24人のJanitors そして生徒数は900人である。一般の科目を履修しながら古典舞踊、古典音楽、西洋楽器部門を専攻して学ぶ。中学校相当、高校相当、短大相当の教育レベルを備えている。設立の意義であるが、舞踊を教えるための国の機関の先生の養成や伝統文化を保持し広めていくため、タイにおける音楽家や俳優の地位を高めるため、専門家の育成などである。校長先生は我々がどういう立場の団体だと聞かされておられるのかは定かではなかったが、まさか、校長先生からの全般的な説明が公式に用意されているとは想像しなかった。過去2度の訪問と比べると、非常に丁重な対応であり、「もう少しゆっくりお越し下さい。」とか「いつでも訪問してください。」と外へ開かれた学校であるという印象は強く残った。追考:いま、日本もずっと昔に通り過ぎた感があるが、音楽はポップスやフォークなどに集中している。タイも同じ現象で、テクノロギー万歳の風潮の中で、伝統への回帰は自然のままにしておけば当然廃れていく。その流れの対局に舞踊学校の存続は国家の庇護の政策の本に護られているのではないか。







「地球・みらい・創造の旅ー世代を超えて!親子体験プログラム」(4)

2021-08-09 15:13:37 | チェンマイ
 午前七時半にユパラート高校へ。
 早朝ツアーは自由参加だったが、これからの現地学校視察、王立ユパラート中等学校、ナータシン舞踊学校は全員で臨むことなっている。総勢二十数名であるが。ユパラートでは、生徒の朝礼風景、そこでの国歌が流れる中、国旗掲揚と仏教に基づく説法、そして集団訓練の大切さをひそかに学ぶのがねらい。

高校生ばかりでなく、参加した日本の大人達もぜひこの光景をじっくりと見学して欲しいもの。その流れの中に日本の高校生達の紹介をいただくというストーリーである。
 その時のタイ側生徒の歓迎挨拶である。「キムラ先生、高校生の皆さん、すべての大切な日本からのゲストのみなさん、ユパラート校を代表してここで歓迎のことばを述べたいと思います。われわれユパラートのもの達はここに皆さんを迎えてとてもうれしいです。東宇治高校のキムラ校長先生、久御山高校の先生や生徒さん、東宇治、兔道、鳥羽高校の生徒さん達、これから2週間日本の友達と共にタイ様式の生活やお互いの知識、考えを相互に交換できることはとても誇りとするところです。


この国と日本はよき友人です。われわれはいつも文化や経済において変化を受けています。そして、長年に渡って両国はよき友情関係を保ってきました。この友情が今後も続きますよう希望しています。われわれは国家の中のわずかな一部、ほんの一学生にすぎませんが、両国の相互理解への機会の一部を担ったことはとても幸せであります。どうかこれから2週間チェンマイでの生活を楽しんでください。ゆっくりおくつろぎください。ありがとうございました。」(以上、生徒代表の挨拶の台本から)


 その後、確か5年ほど前に植えたガサリンという黄色い花を付けるネムの木に似た記念樹を参拝し、記念撮影。しかし、植えた場所が少々移動しているのを見ると本当に私が植えた記念樹は何らかでなくなったのだろう。どうでもいいが。この後、クーラーの聞いたセレモニー会場へ移動。歓迎式典と続く。そこではホストの生徒をあらためて紹介し、ともに席につく。続いてユパラートの紹介であるがタイ語だ。

日本人はまず映像を追っかけ想像する時間である。いつも思うが相手の理事長さんは原稿なしの立派なスピーチだ。私も日本側の代表だが原稿でカタカナタイ語だ。意味が自分でも分からない。元原稿をなくしてしまったからだ。おかげに目から涙が出だしてカタカナが読めない。もっと大きな文字を書いておけば良かった。

 歓迎式典が終わり、校舎本部へ向かう、そこでは生徒や先生の我々のために行われる特別番組に参加する。カービングやタイ料理教室(パッタイ、トムヤムクン、ヤムウンセン)、ランナー・パーパー・アートなどの体験学習である。一気にチェンマイ文化の深部へ導かれました。こうしたプログラムは事前に理事長とピアムスック先生達が相談をしてアレンジしてくれただけありこちらの要望がすべて入れてある。有り難いものである。というのも日本人にはいくらか行ってみたいところもある。短い日程の滞在である。ユパラート半日過ごすことは趣旨がどうか?という気がする。強制になる。だから当初は、朝礼と若干の交流会で少なくとも10時には次なる目的地へ移動しよう、という計画だった。ピアムスック先生に「余り長居はできない。ユパラート以外にも舞踊学校へも行かねば。チェンマイ文化の講習受けたい。だからタイ料理、カービングの学校へも行きたい。そういう方がいる」とかあれやこれやの理由をつけた。せっかくのチェンマイだ。インターネットで調べて置いた愉快そうな先生のいるタイ料理学校の2,3時間コースも何かの出会いが有りそうで行きたかった。

だが、「それなら学校ですべてやってあげましょう。」とピアムスック先生側の配慮と相成った。そのための会議を開きその費用は理事長が持つ、メニューはこちらが希望するもの。デモンストレーションは生徒達である。日本では生徒まで使って、しかも授業中である。こんな柔軟なというか、でたとこまかせなプログラムはそうはできないなと感じた。こうした親切な行為に対して「だれがペイするのか?」は我々はいつも気を張りつめておかねばならないことだ。



「地球・みらい・創造の旅ー世代を超えて!親子体験プログラム」(3)

2021-08-09 07:56:18 | チェンマイ
高校生達が姿を消したあと、大人組、家族組、子ども組三十名は到着日は一通りの寺院巡り、ショッピング、ランチ、夜カントークデナーなど、チェンマイ観光の洗礼を浴びる。
 残った大人や児童の一行は、ドイステープの山へ。門前でさっそく押し売りの嵐に出会う。そのあと、市内の寺院めぐり。ホテルで昼食を取り、サンカンペのショッピングへとチェンマイ定番観光コースと相成りました。


夕方、プラザホテルへチェックインし、夜のカントークに備えました。さて、ホテルからパヤップのクン・カントークのレストランまでは車で二十分以上はかかるのですが、そこまで出向くバスがありません。契約は夕方まででチャーターバスを探していたところ、とある高校生のホストファミリーのご主人が「私が送りましょう」と名乗り出てくれました。一台バスをチャーターしてくれたのです。かなりの富裕なお宅と思われますが、やはり青少年の教育や交流との関わりの中ではボランティア精神をお持ちの方がおられるのだと感心。タイ社会も健全ですね。お礼は受け取られませんでした。


 8月5日
 次の日は、早朝五時より、ムアンマイ市場へ。こんな朝早く起きて庶民の暮らしのど真ん中に駒を進めるのもこの研修の趣旨です。タイには限りませんが、旅の醍醐味は早朝の五時から六時に限りますね。卸市場なので朝は早い。1時か2時には活動するという。辺りは真っ暗である。モノが豊富、モノが安い。ここで買うと卸値なので有名な市場で買うよりさらに安い。どれも十バーツ代の話だ。肉を裁く人、野菜を運ぶ人、荷物を運ぶ小型トラック。朝早く空気は穏やかだが静かな活気が漲っている。


大きな野菜に5バーツとか10バーツとか名札が張ってあります。1,2キロのネギや菜っぱが15円とは。タイは早朝を見れば改めてタイらしさを発見し、またなぜか気が休まる。大分市場の奥まったところの乾物屋にて、胡椒や、味の素、バミーなどを購入する。またこれが安い。すべてが百円単位の話だ。
 ぞろぞろ小一時間歩いて、今度は托鉢の僧を見るべし小さなお寺へ行こうということになっている。この頃にはすっかり明るくなりムアンマイ市場の沿道を流れるメーピン川の全容もはっきりとし今日も暑くなりそうだという気配を漂わせていた。托鉢風景を見よう、という趣旨だったがぽつりぽつりとお坊さんは歩いていたが、集団で列を作って、という光景はなかった。やはり「カオ・パンサー」のせいか。訪れたところはワット・ウパクットという何でもない小さなお寺。謂われを聞いたが忘れた。イスラム寺院が隣に聳えていた。托鉢風景は見られなかったが手を合わせることはできた。
 その後、ホテルへ帰り朝食とする。ところで今日の交通手段はバン二台である。一台二千バーツで貸し切っている。早朝から夜までだからこんなもんか。ドラーバーや通訳の学生にはホテルで朝食を取らす。


「地球・みらい・創造の旅ー世代を超えて!親子体験プログラム」(2)

2021-08-09 07:36:30 | チェンマイ



「レポートとは!なんと恐ろしい旅行なんだ」と反応した方もありました。
当協会からもメンバーが数名加わり、年齢は上が80歳代のご夫婦、その孫3人、そして下は6歳から、小学生、高校生(14名)、大学生、他大人(16名)の総勢45名の大デレゲーションとなりました。これで各世代、親・子・孫といったまさしく世代を超えた旅行団が結成され、その団体自体にも異文化を内蔵したものといっても過言ではありませんでした。


異年齢、異業種の方々がたまたま参加した仲間ではあるが、それぞれの視点からタイを見る、チェンマイにおいて現地の人々と交流する、そしてお互い立場は違うが、共感する場面、一体感を味わう場面が生まれ出ればという企みである。この点からも今回の<地球・みらい・創造>のコンセプトは十分生かされた旅行団が組めたと確信しました。
内容は8月上旬のチェンマイ二泊三日の旅である。
8月4日夜半の午前1時25分、関空から一路チェンマイへと旅だったのであります。
 午前中に到着したチェンマイ空港では、日曜日でしたがユパラート校の先生方やホストファミリーの方々などが何十人も出迎えに来てくれていました。


ユパ校の担当の先生から日本の高校生のホームステイ先を知らせもらい、はじめての出会いとなるマッチングが空港で行われました。緊張している日本の高校生達、歓迎のジャスミンのレイを手に持ってニコニコ笑顔で出迎えるユパ高校生、それを見守る日本人達。空港内での騒ぎはちょっとした事件でした。いつもピアムスック先生達の歓迎の演出はシンプルではあるけれど率直なすばらしいものでした。その熱烈歓迎ぶりに圧倒されがちで、その場でお互いに手を引かれて高校生達は各家庭へ消えていきました。「いいなあ、若いということは」と感じました。



 この旅行のこだわりをもう少し述べさせてください。今回のツアーを募集するに当たってコンセプトは、以下のとおりであります。(大げさな呼びかけですが、真意です)「我々の時代は自分だけを大切に考えて生きていくことはできなくなってきた。社会に目を向けると、人と人との関係の危うさ、人と自然との関係の不均衡、若者と年輩者とのギャップ、一人前になれなず自己虫に振る舞う者の増加、それにおろおろする大人。少子高齢化。生産労働者がいなくなる。外国から移民を受け入れざるを得ない状況にある日本。これまでのように物質的な豊かさのみを追求して生きて生けなくなってきた。どうするのか?今後の生き方のモデルと知恵を求めてタイへ旅に出る。そして100%ではないにしてもタイ人の笑顔とガッツと<マイペンライ>の精神に触れることで今後のあり方を示唆に、かつ元気になって冷静に日本を考えてみよう!そのための旅である。」と。








「地球・みらい・創造の旅ー世代を超えて!親子体験プログラム」 (1)

2021-08-06 07:21:24 | チェンマイ
 私事、私が代表を務める日本タイ教育交流協会は今夏、初めての大型企画として、企画は協会、主催は近畿日本ツーリストというかたちでタイ王国、チェンマイ、バンコク体験ツアーを2002年(平成14年)8月4日から8月9日(基本日)で実施しました。当協会は「交流」、「教育」をキーワードとし、特に今回は「体験」、「学習」というキーワードが加えられました。また、今春から日本は学校週五日制になり土曜日活用とか、開かれた学校作り、特色のある取り組み等、私たち教育機関に勤めている者には何かとアイデアを捻出する元年でありそういう色合いの濃い企画を日本タイ教育交流協会として画策したのです。


名付けて「地球・みらい・創造の旅ー世代を超えて!親子体験プログラム」であります。そんな経緯から春以来土曜日を何回か活用し、タイへの知識理解、情報収集参加意識の高揚を図るべく事前学習会を進めたものでした。
 参加者呼びかけにこんなことを書いています。
「何かの縁で一緒にチェンマイへ行くことになりました。単なる旅行ではありません。自分の日常への変革にしたいのです。何を学ぶか?個人で「シンプル」な生き方とは何であるか、考えてもらいたい。タイが好きになる人は多い。でも、何が好きになったかは十人十色である。でも、やっぱりタイの<何か共通するもの>に魅せられるのも確かである。ものの豊かさという座標でなく、なにか、を求めて。観光のパッケージ・ツアーではない魅力を満喫し、タイを知るには少しでもタイ語を覚えて行きましょう。現地の人との交流なしにその国がどんなところだか理解できるわけがありません。カタコトのタイ語、あとはボデイランゲージで、そしてニホンゴも交えてもいい。現地の人ととにかく話してみよう!本来のこころの豊かさを実感するために。」とあり、趣旨が書かれている終わりには
<各人で見聞考察したことのレポート提出あり>
1. 日本とどうもちがうなあ、と思うこと。2.タイの人の笑顔はどこから来るのだろう?3.路地裏に「ふと見かけたもの」は?4.今回、研修で学んだこと。 の提出を迫る記述がありました。
記念植樹「ガサロンの木」