「ウラユットはやり手だ!」ピアムスック先生から半年ほど聞かされてきた。昨年までのサライ理事長に代わってウラユット理事長、教頭4人制などとなり学校施設の大改革、機構改革を断行されており、日本の学校現場の教育改革以上の勢いを感じた。
「やり手」だ。施設のリニューアルは自費をはたく場合も多いとの説明に「えっ!」でした。多くの日本人がチェンマイ文化体験学習をしている時間に私は理事長に連れられてすべての改良した施設、棟を汗をかきながら見学させてもらったのである。特に、トイレについては隈無く案内され、北側の体育館の奥のトイレまで連れて行かされた。「すべて自分の家のようにきれいで快適でなければいけない。学校に来たくなるような施設、居たくなるような施設にすることが大切だ。」とおっしゃる。廊下も憩いの部分を設けたということでやや腰を下ろすスペースが作られている。コンピュータールームも改造、改築されていた。英語科の職員室の机椅子は新品。図書館はすべての書籍がひっくり返され、書架が搬入しされていた。エアコンも随時設置されている。赴任して半年、予算も限られているなかでこの大型改造はユパラートにとっては大きな事件に違いない。前理事長のことも「あの人は何もしなかった。」とズバリ。すごい理事長である。実は後で話して分かったことであるが私はこのウラユット理事長にはランパンでお会いしたことがあった。もちろん私は覚えたないが、理事長がランパン、カラヤニー校におられた話から、私は十年ほど前に一人で訪問したことがあった話をしたら「覚えている。古典楽器を見に来たな」という話。びっくりした。でも私は、カービングやタイ料理、折り紙などの文化教室は結局体験できませんでした。そのことは残念でした。
昼前には、一階のオープンスペースで生徒の部活動による歓迎の古典楽器演奏と舞踊を堪能しました。タイ料理もおいしくいただきました。だれかれなくお茶やお食事を準備して、サーブしていただく配慮には本当に頭が下がります。全くそつがありません。全員こうした体験は初めてのようでした。こうした学校の組織をあげた歓迎ぶりに本当に感激いたした次第。特に踊りはしっかりビデオに収めて帰りました。こんな歓迎がいとも簡単にできるのはやはり六百年に渡って培われたランナータイ王朝文化の伝統であろう。人を歓迎し魅了させる国チェンマイである。踊り、聴き、しゃべり、食べる、これが基本的な友好スタンスである。ユパラートへ感謝をいたし後にしました。(日本ではできないな)
午後の訪問地チェンマイ・ナータシン・ボーラン(舞踊学校)へ行ったのですが実技指導は午後3時頃がいいということで急遽、民芸品の村バーン・タワイへ。ここではバンコクの半額以上の木製彫刻品等が購入できる飽きない村だ。でも時間が1時間もない中で皆さんはやや欲求不満のよう。
ナータシンへ帰って、学校の歴史やカリキュラムなど校長先生から説明を受ける。校内をじっくり見て回る。舞踊にしろ武術にしろ、楽器にしろアチャーンから教授され、伝統の音楽を修得していこうとするタイの国の在り方に羨望を感じた。日本のアイデンティティーはどうなっているのか?と思わず深刻に。この学校は71年6月1日創立。当初は「チェンマイ舞踊学校」78年には「チェンマイ舞踊カレッジ」と変更に。教育省、芸術文化学術課の下に運営されている。120人の先生、9人の講師、4人の専門家。事務職員は3人、24人のJanitors そして生徒数は900人である。一般の科目を履修しながら古典舞踊、古典音楽、西洋楽器部門を専攻して学ぶ。中学校相当、高校相当、短大相当の教育レベルを備えている。設立の意義であるが、舞踊を教えるための国の機関の先生の養成や伝統文化を保持し広めていくため、タイにおける音楽家や俳優の地位を高めるため、専門家の育成などである。校長先生は我々がどういう立場の団体だと聞かされておられるのかは定かではなかったが、まさか、校長先生からの全般的な説明が公式に用意されているとは想像しなかった。過去2度の訪問と比べると、非常に丁重な対応であり、「もう少しゆっくりお越し下さい。」とか「いつでも訪問してください。」と外へ開かれた学校であるという印象は強く残った。追考:いま、日本もずっと昔に通り過ぎた感があるが、音楽はポップスやフォークなどに集中している。タイも同じ現象で、テクノロギー万歳の風潮の中で、伝統への回帰は自然のままにしておけば当然廃れていく。その流れの対局に舞踊学校の存続は国家の庇護の政策の本に護られているのではないか。
ナータシンへ帰って、学校の歴史やカリキュラムなど校長先生から説明を受ける。校内をじっくり見て回る。舞踊にしろ武術にしろ、楽器にしろアチャーンから教授され、伝統の音楽を修得していこうとするタイの国の在り方に羨望を感じた。日本のアイデンティティーはどうなっているのか?と思わず深刻に。この学校は71年6月1日創立。当初は「チェンマイ舞踊学校」78年には「チェンマイ舞踊カレッジ」と変更に。教育省、芸術文化学術課の下に運営されている。120人の先生、9人の講師、4人の専門家。事務職員は3人、24人のJanitors そして生徒数は900人である。一般の科目を履修しながら古典舞踊、古典音楽、西洋楽器部門を専攻して学ぶ。中学校相当、高校相当、短大相当の教育レベルを備えている。設立の意義であるが、舞踊を教えるための国の機関の先生の養成や伝統文化を保持し広めていくため、タイにおける音楽家や俳優の地位を高めるため、専門家の育成などである。校長先生は我々がどういう立場の団体だと聞かされておられるのかは定かではなかったが、まさか、校長先生からの全般的な説明が公式に用意されているとは想像しなかった。過去2度の訪問と比べると、非常に丁重な対応であり、「もう少しゆっくりお越し下さい。」とか「いつでも訪問してください。」と外へ開かれた学校であるという印象は強く残った。追考:いま、日本もずっと昔に通り過ぎた感があるが、音楽はポップスやフォークなどに集中している。タイも同じ現象で、テクノロギー万歳の風潮の中で、伝統への回帰は自然のままにしておけば当然廃れていく。その流れの対局に舞踊学校の存続は国家の庇護の政策の本に護られているのではないか。