スウェーデンにいた時に、日本からの福祉の見学者を迎えた。
「ファシリティはスウェーデンの方が格段に優れているけどソフト面は日本の方が優れている気がする」
との感想。
例えば、私が訪問した老人ホームでは、入居者の倍の数の職員がいた。
交代や、専門性を考えるとそのくらいになってしまうのだそうだ。
日本では、職員の犠牲的な労働によってそれが支えられている。
時間になったからといって交代したり見捨てたりしないソフト面は好意によって支えられているといってもいい。
私は、福祉に対する考え方が基本的に異なるように感じた。
例えば、日本では、目の不自由な人がいるとすると、少しでも視力を回復させるトレーニングをする。
つまり、健常者になるべく近づけるようハビリテーショントレーニングをする。
その思想の根底にあるのは、健常な方がいいという考え方。
スウェーデンやイギリスでは、障害を個性と考える。
だから無理に健常者レベルに近づけるのではなく、そのままで生活しやすい道具や環境を整えようとする。
車椅子のままで使える高さのキッチン。(高さが稼働式だった)
動きやすい指だけで使えるマウス。
口で操作できる車のハンドル。
ハビリテーションすることによって、回復する機能もあるだろうから、一概にどちらがいいとは言えない。
ただ、障害を個性と捉えると、人生の楽しみ方の幅がひろがってくる。
今回イギリスに来て感慨深かったことの一つに障害者が、やりたいのだったらやれる環境がどんどん整えられているということだ。
ロンドンマラソンでも障害者の参加者がいた。
ロンドンのサイクリング大会でも三輪の障害者用自転車で参加している人がいた。
テムズ川では、障害者用のカヌーがあり、多くの障害者が楽しんでいた。
そして、イギリス海峡では、障害者用のヨットにであった。
膝が悪くなったから外出は諦めたなどということがないような環境。
障害はハンディではなく、個性。
いずれ歳をとったら健常と思っていた人もどこかしら悪くなったり不自由になったりする。
その時に、自分の意思と反して諦めることがないような世の中は素敵だ。