「ヤノスが今日魚料理に誘えっていうんだけど。来ない?」
と、スウェーデン人と結婚してマルモに住んでいるクリスティナに誘われた。
ヤノスというのは彼女の夫。クリスティナはニュージーランド人だ。
クリスティナが続けていうには
「ただ、この魚料理は特別で、すごく好きっていう人と、見たくもないという人に完全に別れるのよね。どっちでもないっていう人がいないの」
大いに興味をそそられる料理である。
「で、あなたはどっち」と尋ねると、しばしの沈黙の後で
「うん食べられないことはないけどね。どっちかっていうと嫌いかな。でも、ヤノスは大好物。どうする?食べてみる?」
魚の国、日本で育った私が尻込みするわけには行かない。
「ごちそうになるわ」
すると、クリスティナ
「じゃ、なるべくお腹いっぱいにして来た方がいいよ。特に子供達は」
う〜ん。いったいどんな料理なんだ。募る興味。
「魚を発酵させた料理なの。ともかくすごく臭いの」
会って話を聞くと、大島特産の「くさや」に似ているのではないか。
「くさや」なら大好物。募る期待。
「一年に一回だけこの時期に食べるの。4月に取れたニシンを発酵させて、今が、食べごろなのよね」
時は8月の終わりである。
まだ、帰宅しないヤノスや我が夫を待ちながら準備を手伝う。
「食べるのはベランダ。家の中だと匂いが二週間は抜けないから。食器も紙皿にしておこうかな」
そこまで聞くと、ちょっと怖くなる。
そこへ、もう一組招待されていたヤノスの妹のカップルが到着した。妹ヘレナとボーイフレンド、アメリカ人のマークだ。
マークは話を聞いて、嫌がるのを無理やり連れてこられたらしい。料理には全く期待していない。食べる前から
「俺は、その絶対に嫌いの仲間だね」と否定的。
わたしはわたしで
「本当にトライしてみるの」とヘレナに念を押されて、ますます怖くなる。
さて、全員が揃うと、庭からヤノスの呼ぶ声がする。
「缶を開ける時には、全員が揃うのが決まりなんだ」
その発酵した魚は、缶詰になっている。
全員が庭に出て、缶切りが缶に食い込む瞬間を待つ。
そして、その瞬間。
なぜ、庭で缶を開けるのか。なぜ、みんな、臭いと言っていたか。なぜ、みんなしつこく大丈夫と聞いたか。全ての謎が解けたのだった。
よく振ったコーラの缶を開ける時のような、凄まじいシューという音とともに、辺りに異臭が立ち込めた。
息子いわく、10頭の象が同時におならしたみたい。
開けた缶の中を見ると、頭のないニシンが並んでいる・・・・が、それより気になるのは、ぶくぶくと湧き上がる泡。本当にこれを食べて対丈夫なの。
さて、これを食べるにもしきたりがある。
まずは、デュンプレーという薄いビスケットのようなパン(クネッケを連想して)にバターを塗る。茹でたジャガイモをスライスしながら載せる。その上にスライス玉ねぎ、そして、問題の魚を内臓をとって開いて載せる。最後にもう一枚のデュンプレーを乗せて、サンドイッチのようにする。
その一連の行為を臭いと格闘しながらやるのである。
ヤノスとヘレナは
「う〜ん。この匂いがたまらない」と嬉しそう。
日本人とアメリカ人は
「う〜ん。この匂いがたまらない」と辛そう。
早速、デジカメを取り出して撮影しようとすると、アメリカ人マーク
「いいよな。インターネットは匂いが伝わらないから」
「えーと、この料理なんていう名前だったっけ」と聞くと
ヤノスが答えるより前に、マーク
「shoe strings(くつひも)」と吐き捨てるように。
本当は「SURSTROMMING(スールストロミング)」という。
スウェーデンはもともとあまり裕福な国ではない。特に、北部は貧しかった。
春に取れた魚を塩漬けにして一年中食べていた。ところが、ある年、更に厳しい状況で、塩漬けにする塩をケチらざるを得なくなった。
すると、塩が足りなかったために、魚が発酵してしまった。捨てるのももったいない。食べてみた。すると、思いがけず美味しかった。
というのが、ヤノスの語る「SURSTROMMING」の歴史である。
ディナーの話題は尽きない。
「イタリア赴任中の友達がSURSTROMMINGを食べていたら、翌日から近所の人の見る目が変わった。あんな臭いものを食べているなんて、あいつら人類じゃないアニマルだ、と言われたそうだ」
「別の国ではガス漏れだと通報された」
で、味の方は生臭くて塩辛い。それも並大抵の塩辛さじゃない。
イギリスで暮らしていたこともあって、かなりのものまで、「おいしい」とお愛想が言える私でも、さすがに今回は「良い経験をさせていただきました」としか、言えなかった。
でもね、これだけは、最後に心からヤノスに言いました。
「この料理は最高のディナーメニューだね。だって、話題がつきないもの」