北欧スウェーデン の生き方情報 スウェーデン報

北欧スウェーデンの日常を生活者目線でお伝えします。
幸せの国、北欧スウェーデンのなるほど〜な生き方をお伝えします。

なつかしい給食で牛乳の入っていたテトラパックはスウェーデンの企業

2020-11-03 18:30:23 | スウェーデン

 

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昭和30年代から40年代に小学校生活を送った方は、
テトラパックという四面体の紙容器を覚えていらっしゃるかもしれない。



それまで、重たい牛乳瓶を給食室から運んできたのに、
テトラパックの牛乳は、瓶の分だけ軽いので、当番が楽になった気がした。

片方が斜めに切られた短めのストローがついていて、それをさして飲むのだ。


それが、スウェーデンのテトラパック社の画期的な発明だった。

今では、あまり見られないが、テトラクラシックの名前で残っている。

現在のテトラパックの主流は、ブリックパック。

こちらは、どなたも多分、目にしたことがあるだろう。

いろいろな飲料会社で利用されている四角い紙パックだ。


テトラクラシックが、なぜ画期的だったか。

まず、それまで、液体飲料はガラス瓶に詰められているのが普通だった。

ガラス瓶は重いし割れる危険性がある。

そこで、創業者のルーベン・ラウジングは紙のパッケージ容器を開発したいと考えたのだ。

ルーベンはそのときすでに、包装機械の会社を順調に経営していた

そこで稼いだお金を、新製品の開発にまわしていたのである。

紙パックの中に液体を入れるというのは、すでに商品化されたアイディアとしてあった。

しかし、テトラパックの場合は、紙パックにもかかわらず、限りな
無菌に近い状態で充填し、常温流通を可能にしたのである。


従来の紙パックは、平たくした半完成品を一つ一つ折り開いてそこに液体を詰めていた。

そのため、どうしても、パックの中に空気が残る。

また、充填の過程で雑菌がはいりやすい。


テトラパックは、流通の合理化に目をつけた。

紙をリールのままで充填工場に運び、つめた商品を常温で運べるように
極力無菌化したのだ。


その最大のアイディアが液面下シール。

つまり、空気中で封をするとどうしても上の部分に空気が残ってしまう。

それなら、水面下でシールすれば全く空気の入らない製品になる。

どうしても空気が入ってしまうことを憂慮していたルーベンに妻が

「じゃ、なぜ、水中で封をしないの?」

とアドバイスしたのがきっかけだそうだ。

「そんなことできるわけないじゃないか」というルーベンに
妻のエリザベスは

「やってみなければ、わからないじゃないの」

そして、やってみたらできたというわけだ。

持つべきものは、賢い妻ですね。やっぱり。




機械本体はリースにして、紙の材料をリールで販売するという商売方法も成功の理由だ。

初期投資が安い。

創立から半世紀で世界60カ国で特許が登録され、
いまや、世界市場の80%のマーケットシェアを誇っている。


テトラパックの歴史を見ると、すごいなと思うことがいくつかある

まず、創業者のルーベンは、長い研究開発で資金がそこをついたとき、
今までうまく行っていた包装会社を売って資金を調達したのである

つまり、それまでの人生で培っていたものを全て投げ打って、新製品にかけたのだ。

幸運にも晩年にはテトラパックが軌道に乗ったのを確認して息をひきとることができたのだが。

  最初の充填機をはこぶところ うれしかったでしょうねえ



しかし、前述の妻エリザベスは本当の成功を見ることなく癌で亡くなった。

そのためにルーベンが後に、癌基金を起こしたのも有名な話である


この、長期スパンの考え方は世界戦略でも息づいていて、例えば、1965年に
日本テトラパックができたのだが、最初の受注は、なんと、6~7年後。

利益を計上したのは、17年後なのだ。

うまくいかなくなると、さっさと撤退してしまう傾向の強い外資系企業にしては、
驚くべき忍耐強さだ。


さて、ルーベンの死後、二人の息子のハンスとゴットが後を継いだ

テトラパックは現在に至るまで、オーナーカンパニーなのだ。

会社は成長を続け、二人は大金持ちになった。

ところが、スウェーデンの税金はご存知のように高い。

「ピッピ」で有名なアストリッド・リンドグレーンは税金120%をかせられたこともある。

ハンスはイギリスへ移住した。

イギリスでも申告所得は女王陛下を抜いて、イギリス1位だったというから、
いかにお金持ちかがわかるだろう。

ハンスのイギリス移住は当時激しい世論を巻き起こしたのだそうだ

その後、ハンスは、麻薬治療施設で知り合ったペプシコーラの重役の娘と結婚し、
その妻殺害の容疑で逮捕された。

証拠不十分で、不起訴処分にはなったものの・・・お金が有り余るのも幸せではないのかもしれない。


ハンスが株を売って、ガッド一人の経営になっていたのだが、
2001年ガッド・ラウジングも他界した。

そのとき、ルンドにある本社では、社屋前の国旗を全て半旗(弔問旗)にして、
経営者の死を悼んだ。

今は、ガッドの子供達が経営に携わっている。

 

   テトラパックのロゴにはPROTECTS  WHAT’S GOOD

   (あなたの食べ物、飲み物、環境、あなたにとって良いものを守ります)の約束が書かれている


ルンドのテトラパックのある通りは創業者を偲んで

ルーベン・ラウジング通り

と名前が付いている。


スウェーデンでは超有名なこの企業なのに、日本では、あまり馴染みがない企業名のようで、
テトラパック社員の知人が領収書をかいてもらったところ

そこには

「テトラポット様」

それは、海岸の波消しブロックです・・・

 

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聖マーティンの話は、つづく

2020-11-03 00:25:09 | スウェーデン

 

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オーストリア出身のシュタイナーは、

オーストリア、ドイツで活躍した。

 

ドイツでは、聖マーティン(聖マルティヌス)の日を祝う。

11月11日。

 

聖マーティンは

ローマの兵士で、真冬に寒そうにしている乞食に

自分のコートの半分を裂いて与えたというエピソードがある。

しかも、のちに

それが、実はキリストだったということがわかる。

 

11月10日がマルティン・ルターの誕生日

ルターの名前は、聖マーティンからつけられたのだそうだ。

 

そんなこんなで、このあたりの日には、ドイツでは

ヴェックマンという人型のパンを作って食べるらしい。

 

シュタイナースクールでも、

ランタン行列をしたあとパンをもらう。

(パン画像は、ウィキペディアから借りました)

 

カボチャをくりぬいたランタンを荷車に乗せて行列をしたりもしたようだから、

そんなこんなが混ざって、ハロウィーンになっているのかも・・・これは推測。

 

聖マーティンは、フランス読みだと

サン・マルタン


そういえば、子供の頃、サン・マルタンというパン屋さんがあったけど

ここから名前をつけていたのかも・・・


なんて、いろいろな推測や妄想が膨らむ秋の夜でした。


ところで、スウェーデンでも

11月11日はガチョウの日としてガチョウ料理を食べています。

 

それについては、11日にアップしますね。

(このテーマで、ひっぱるなあ・・・わたし)

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