苦しんでいる患者さんを前に、何もしてあげられない無力感は、医療者であれば誰でも経験したことがあると思います。
どうしようもない、何もしてあげられない苦しさ。
「それでも逃げずにそこにいる。」事が大切なのだと言われても、やはりそこにいるなら何とかしてあげたいのが人間です。
今日もそんな場面に出会いました。
肺がんの末期で、感染も起こしているようです。
仲の良いご夫婦で、病床にある認知症の妻が、愛おしくてしょうがないのだと、夫の目が語っています。
一度痰があふれ出すともうとめどなくて、ゼロゼロとして気道をふさぐのです。
一生懸命力を振り絞って、ピンク色の痰を吐きだしながら「苦しい・・」と言葉が漏れます。
結局酸素を上げたり、オプソをなんとか飲ませたり痰を出しやすいように補助したり・・なんとか落ち着き徐々にSPO2も回復していきましたが・・。
これを繰り返せば、身体はますます衰弱するでしょうし、夫の苦しみも増すばかりです。
主治医に連絡をすると、今日往診に来てくれるとのこと。
それを伝えると「来てもらっても、治るわけじゃないんだろ・・。」と夫がつぶやきました。
「それなら、来てもらってもしょうがないじゃないか・・。」
絶望的なことば・・。
「それなら、一時的に人工呼吸器でもなんでもやってくれ。長い間じゃなくてほんの一時だけでいいんだ。」
何とかしたい思いが、極論になります。
「おとうさん。人工呼吸器は、一度つけることを選んだら、そんなに簡単には外せないのよ。」
「え、そうなんだ・・。苦しい時だけじゃダメなのか。」
「あんたたちだって、電話したらどれくらいで来れるんだ?それで来てもらってどうするん?」
それからしばらくお話をしました。
そして、主治医の先生に、その内容をお伝えしました。
「お父さん。やっぱり先生に来てもらおう。そして、今夜もまたこれがひどくなったときにどうするかをちゃんと決めておこうよ。だから、お父さんも考えておいてね。」
「そうか・・。わかった。」
結局、まだ穏やかな時間もある中で、意識だけを落としてしまう事はしたくないからと、定時の麻薬を増やし、レスキューもちょっと変えることとなりました。
何もできない、何もしてあげられないことの悔しさの中で、それでご夫婦の時間が少しでも穏やかであれればと願うだけです。
そして、唯一出来るとしたらその苦しみを聴くことと、医師との連携で緩和することだけです。
まだまだこれから在宅で可能になっていく治療もあるのだとは思います。
でも今は、出来ることで最善を尽くす。
それしかないし、それが限られた命の天命なのだとも思います。
「何をしてくれるのか?治してくれるのか?」
きっと、患者さんのご家族の本音なのだと思います。
それでも、なんとか向き合っていけるように、やっぱり私たちはそこにいるべきなのだと思います。
どうしようもない、何もしてあげられない苦しさ。
「それでも逃げずにそこにいる。」事が大切なのだと言われても、やはりそこにいるなら何とかしてあげたいのが人間です。
今日もそんな場面に出会いました。
肺がんの末期で、感染も起こしているようです。
仲の良いご夫婦で、病床にある認知症の妻が、愛おしくてしょうがないのだと、夫の目が語っています。
一度痰があふれ出すともうとめどなくて、ゼロゼロとして気道をふさぐのです。
一生懸命力を振り絞って、ピンク色の痰を吐きだしながら「苦しい・・」と言葉が漏れます。
結局酸素を上げたり、オプソをなんとか飲ませたり痰を出しやすいように補助したり・・なんとか落ち着き徐々にSPO2も回復していきましたが・・。
これを繰り返せば、身体はますます衰弱するでしょうし、夫の苦しみも増すばかりです。
主治医に連絡をすると、今日往診に来てくれるとのこと。
それを伝えると「来てもらっても、治るわけじゃないんだろ・・。」と夫がつぶやきました。
「それなら、来てもらってもしょうがないじゃないか・・。」
絶望的なことば・・。
「それなら、一時的に人工呼吸器でもなんでもやってくれ。長い間じゃなくてほんの一時だけでいいんだ。」
何とかしたい思いが、極論になります。
「おとうさん。人工呼吸器は、一度つけることを選んだら、そんなに簡単には外せないのよ。」
「え、そうなんだ・・。苦しい時だけじゃダメなのか。」
「あんたたちだって、電話したらどれくらいで来れるんだ?それで来てもらってどうするん?」
それからしばらくお話をしました。
そして、主治医の先生に、その内容をお伝えしました。
「お父さん。やっぱり先生に来てもらおう。そして、今夜もまたこれがひどくなったときにどうするかをちゃんと決めておこうよ。だから、お父さんも考えておいてね。」
「そうか・・。わかった。」
結局、まだ穏やかな時間もある中で、意識だけを落としてしまう事はしたくないからと、定時の麻薬を増やし、レスキューもちょっと変えることとなりました。
何もできない、何もしてあげられないことの悔しさの中で、それでご夫婦の時間が少しでも穏やかであれればと願うだけです。
そして、唯一出来るとしたらその苦しみを聴くことと、医師との連携で緩和することだけです。
まだまだこれから在宅で可能になっていく治療もあるのだとは思います。
でも今は、出来ることで最善を尽くす。
それしかないし、それが限られた命の天命なのだとも思います。
「何をしてくれるのか?治してくれるのか?」
きっと、患者さんのご家族の本音なのだと思います。
それでも、なんとか向き合っていけるように、やっぱり私たちはそこにいるべきなのだと思います。