103歳のおばあちゃんが、旅立ちました。
今では珍しい、4世代大家族の長老だったおばあちゃん。
いつも穏やかに、担当の看護師の訪問を楽しみに待っていてくれた患者さんでした。
103年の人生。
子供夫婦だって80最近い年齢で、その子供が生まれて、歩いて、成長して、そのまた子供が生まれて・・
たくさんの「ただいま!」や「いってきます!」を聞き、笑い声や叱られて泣いている声を聞いて、お祝いやお別れの会をして、いくつもの時代を見ながら年をとってきたのでしょうね。
寝付いてからは、家族の暮らす音を聞きながら、ずっと家族を見守ってきたのだと思います。
思い出の写真やお気に入りの日用品が、きちんと整頓されている暖かい部屋。
そのいつもの部屋で、少しずつ食べられなくなり、飲めなくなり、眠る時間が増え、最も自然な形でその命を終わらせることができたのです。
こんなお別れができるのは、ほんとに少ないのではないでしょうか。
昔は、何世代もの大家族で、人が老いていく過程を自然に感じながら、自分も年を重ねて行ったのです。
だから、昨日まで生きていたおばあちゃんが、ある日死んでしまって、灰になって仏様として祀られていく様をみながら、死んでしまったら、もう二度と会えないことを、どの子供たちも当たり前に分かっていたのだと思います。
そこにリセットボタンなどは存在しないのだと、当たり前の事実をちゃんと見届けられるのです。
ずっと以前、あるおばあちゃんが危篤状態になったので、「お孫さんも、お別れしなくていいですか?」とおすすめしたら「前に会わせたからもういいです。子供も塾やらなんやら忙しいので。」とすごく嫌そうに言われたことがあります。
老いて弱っていく姿や死ぬことは、決して忌み嫌うことではないし、出来ることなら家族として一緒に子供たちにも向き合わせることが、とても大切だと思うのです。
それを思うと、103歳の死は本当にあっぱれで、それは死という概念より、大家族に引き継がれし生そのもののような気がします。
少子化が深刻な日本で、2030年には超高齢化社会となり、その後は人口は加速度的に減少すると言われています。
私たちが引き継げる相手はいるのでしょうか。
ところで・・・
先週、我が家の福寿草が咲き出しました。
もうすぐ春が来ます。
今では珍しい、4世代大家族の長老だったおばあちゃん。
いつも穏やかに、担当の看護師の訪問を楽しみに待っていてくれた患者さんでした。
103年の人生。
子供夫婦だって80最近い年齢で、その子供が生まれて、歩いて、成長して、そのまた子供が生まれて・・
たくさんの「ただいま!」や「いってきます!」を聞き、笑い声や叱られて泣いている声を聞いて、お祝いやお別れの会をして、いくつもの時代を見ながら年をとってきたのでしょうね。
寝付いてからは、家族の暮らす音を聞きながら、ずっと家族を見守ってきたのだと思います。
思い出の写真やお気に入りの日用品が、きちんと整頓されている暖かい部屋。
そのいつもの部屋で、少しずつ食べられなくなり、飲めなくなり、眠る時間が増え、最も自然な形でその命を終わらせることができたのです。
こんなお別れができるのは、ほんとに少ないのではないでしょうか。
昔は、何世代もの大家族で、人が老いていく過程を自然に感じながら、自分も年を重ねて行ったのです。
だから、昨日まで生きていたおばあちゃんが、ある日死んでしまって、灰になって仏様として祀られていく様をみながら、死んでしまったら、もう二度と会えないことを、どの子供たちも当たり前に分かっていたのだと思います。
そこにリセットボタンなどは存在しないのだと、当たり前の事実をちゃんと見届けられるのです。
ずっと以前、あるおばあちゃんが危篤状態になったので、「お孫さんも、お別れしなくていいですか?」とおすすめしたら「前に会わせたからもういいです。子供も塾やらなんやら忙しいので。」とすごく嫌そうに言われたことがあります。
老いて弱っていく姿や死ぬことは、決して忌み嫌うことではないし、出来ることなら家族として一緒に子供たちにも向き合わせることが、とても大切だと思うのです。
それを思うと、103歳の死は本当にあっぱれで、それは死という概念より、大家族に引き継がれし生そのもののような気がします。
少子化が深刻な日本で、2030年には超高齢化社会となり、その後は人口は加速度的に減少すると言われています。
私たちが引き継げる相手はいるのでしょうか。
ところで・・・
先週、我が家の福寿草が咲き出しました。
もうすぐ春が来ます。
素敵な最後ですね
理想的です
今の世の中、核家族や単身者が多くなってきて
なかなかこういう風景に出会う事が少ないです
普段の生活の中で
人が老いるという事、死ぬという事が身近にない
時代なんですよね
かくいう我が家もそうですが・・・・・・
主人の父を自宅で看取った時
これは大切な事だと、私は娘を連れて行きました
人の死とははどういうことかちゃんと教えておきたかったから
その時はまだ小さかったけれど
今でもよく覚えていますよ
いい経験だったと思っています
この方は、当日の午前中には穏やかに大好きな訪問入浴に入り、きれいなシーツでよく洗濯された気持ちの良い寝巻きに着替え、家族のちょっと目を離したすきに逝かれたそうです。
誰かが「徳の高い生き方をされたんでしょうね。」って言っていました。
モリー先生との火曜日」の中で、モリー先生が言った言葉に
「いかに死ぬべきかを学べば、いかに生きるかも学べる。」
っていう名言がありましたよね。
納得です。