称讃寺の和尚さんの独り言。お坊さんって こんなんでいいのかなぁ~と思いながらの毎日です。ナマクラ坊主のブログです。

浄土真宗本願寺派(西本願寺派)称讃寺の住職の瑞田信弘です。毎日忙しくしておりますが、ふと気づいた事を書いてみます。

妙さんへ

2010年01月16日 23時22分10秒 | インポート

コメント 有難うございます。

妙さんのご指摘の通り 今ではほとんどの赤ちゃんが病院で生まれ、ほとんどの方が病院で亡くなっています。これはお坊さんとしても大変憂慮すべき事態だと思っております。人間の生命の灯りがともり始める時、そしてそれが消え逝く時を人目から遠ざけてしまってしまいました。若い人達に限らず 人々から「命」を実感する瞬間を奪い取ってしまいました。理論的に「命」は理解できるが 感覚的に「命」を実感した人が少なくなりました。例えば 富士山の素晴らしさを写真と文章でいくら学んでも 実際に自身の目で富士山を見て 自身で富士山に登った人の焼きついた感動にはかなわないと思うのです。理屈ではなく「命」実感する場が無くなりました。これは大変な事です。学校の先生が「命は大切です。」「いじめはやめましよう。」「自殺もいけません。」などと説明しても実感として納得できていないのです。

本来人間は猿と同様に[群れ]を作って社会の中で生活してきたのですが、例えば 核家族・結婚しない人・子供を作らない夫婦・独居老人・孤独死・葬式をしない直葬・散骨・・・・、と数え上げればきりが無いですが [群れ]を作って[縁]を大切にしてきた社会から[無縁]社会に変わろうとしています。

例えば 核家族。2世帯・3世帯で生活すれば 価値観の違いなどがあり本当に毎日が大変でしよう。しかし そこでは色々な事がお互いに勉強できている訳でして、煩わしくて核家族の生活にすれば 色々な勉強ができなくなる訳で、学歴はあるかもしれませんが 一生を掛けての人間としての勉強を避けようとしている人が大変多くなっている事になる訳です。大変憂慮すべき事です。核家族によって得る事よりも 失う事のほうがきわめて大きいのです。

目の前の美味しいものをどんどん食べれば、肥満・高血圧・糖尿病・・・になり易くなります。健康を失います。目の前の煩わしさから 核家族を選択すれば その家族を構成する人は 人間らしさを失う事になるのです。

思わず 話が長くなりました。妙さんの訪問看護は 素晴らしい理念があります。旅立つ本人も家で家族と時間を共有することを希望するでしようし、家族の側も 旅立つ前 一生懸命看取った と言う満足感が残るでしよう。そのお手伝いができるのですから やっぱり 素晴らしいと思います。

これからも 頑張ってください。また コメント下さい。