称讃寺の和尚さんの独り言。お坊さんって こんなんでいいのかなぁ~と思いながらの毎日です。ナマクラ坊主のブログです。

浄土真宗本願寺派(西本願寺派)称讃寺の住職の瑞田信弘です。毎日忙しくしておりますが、ふと気づいた事を書いてみます。

西本願寺の 自殺対策フォーラムに行ってきました。

2010年02月05日 23時53分25秒 | インポート

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 大阪大学学長の鷲田清一先生の基調講演

         人が生きているのは「生かされている」と云う事。

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 それぞれの専門家のパネルディスカッション

         僧侶の私に 何ができるだろうか と 考えさせられました。


たまきさん コメント有難うございました。

2010年02月05日 23時37分14秒 | 独り言 ぼやき

たまきさん、これからも感じた事を書き込んでください。

たまたま 本日 京都の本願寺の聞法会館での[自殺対策フォーラム・命と向き合う]に参加して来ました。大阪大学学長の鷲田清一先生の基調講演は 素晴らしかったです。動物や植物は「生きている」のですが、人は「生きている」ということは「生かされている」と言うことを 例を交えて判りやすく説明下さいました。お坊さんもよく「生かされて 生きる」とのテーマでお話をしますが、鷲田先生の仏教抜きの説明に 聴衆皆ストンと納得なさっただろうと思いました。

過去に私も 自死の方の葬儀をした事が何回もあります。最悪なのは 30才台の青年が自死し、そのショックか数ヵ月後に母親が自死してしまった家があります。奥様を自死で亡くした方が今 自殺対策のボランティアをなさっています。彼によると、自死なさった奥様は 自死なさる直前には 「人は どう生きていくかを選択する権利を持っているように、どう死ぬか、も選択できていいはずだ。」と語っていたそうです。返事に困る難しい問答です。

さて、自死は仏教・真宗では どうとらえるのか?

私は学者ではありませんので このテーマで研究した事はありません。死には病死・事故死・自死・戦争死・犯罪による死・などいろいろありますが、仏教では死については区別していないように思います。お釈迦様のお弟子さんの一人が自死と思われる亡くなり方をしていますが、それに対して特段のコメントはありませんでした。すなわち 仏教・真宗では 自死だけを特別扱いはしていないと言う事です。

しかし、遺族の方々に特別の思いがずっと残るのは容易に想像がつきます。この遺族の心情のケアがきわめて大切です。どうでしょうか、これこそが お坊さんの役割でしょう。遺族の心情をじっくりお聴きし、自分を責めないようにとアドバイスし続ける事が必要です。また 同じように大切な方を自死で亡くされた方の話を聴き、自分も話し、私だけではないんだ、と実感してもらうのも とても効果的だと言われています。各地に 自死遺族の支援組織があります。お話をお聴きしているお坊さんが 紹介してあげればいいと思います。

いずれにしても 遺族の方々は いつまでたっても心の整理がつかないままでしよう。時の力を借りる事も必要でしよう。

最後に云える事は、ご自分も回りの人達にこの様な想いをさせない為にも、人生をまっとうする事です。

ご参考になりましたか?また、コメント 下さい。