新型インフルエンザの社会不安対策、 噂・流言対策シリーズ。
今回は、古典にあたってみました。
昭和の碩学、清水幾太郎(1907-1988)。社会学者、評論家。
人物の紹介はウィキペディアへ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%B9%BE%E5%A4%AA%E9%83%8E
この、昭和の碩学が文語体で書いていることが平成の新型インフルエンザで起こっていることにピッタリなのは驚く限りです。
<流言蜚語が発生するとき>
流言蜚語は無根拠であるとゐはれるが、一定の条件なり原因なりがなければ生ずるものではない。それはさう毎日のやうに起こるものでもなく、民衆が各々その緒に安じてゐるやうな時代に発生するものでもない。それは言ふまでもなく社会が危機に直面し、その秩序が既に幾分か動揺してゐる時に生じるものである。 社会的政治的事実を主題としながらも而も民衆の生活との結び付きを持つやうな風評が新聞からでもなく、雑誌かれでもなく、況や官報からでもなく、実に街頭から生まれるのである。与へられぬものは作り出されねばならぬ。白昼行ってならぬことは暗くなってからやればよいのである。流言蜚語はかうした隙間から生ずる。官報―新聞―流言蜚語。この三者の関係の把握は本質的に重要である。新聞が独自の機能を失って官報化すればするほど、その空隙を埋めるものとして流言蜚語が蔓って来る。「検閲の厳格の程度と流言蜚語の量とは一般に正比例す」といふ法則が立てられるかも知れない。
<ソース>
清水幾太郎:流言蜚語の根拠と対策. 流言、うわさ、そして情報 -うわさの研究集大成ー 現代のエスプリ別冊 242-254 至文堂
(これの元ソース 「流言蜚語」 清水幾太郎著作集2 講談社)